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1897年
河北新報創刊
河北新報は明治30年1月17日、一力健治郎によって創刊された。草創期、社内は進取の気性に満ちていた。当時としては画期的な英文欄の創設、無休刊の宣言などを次々と行った。外勤記者の制服制帽着用や、全員の自転車取材を奨励し、周囲の目を驚かせた。
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1899年
地方紙では初の「英文欄」を設ける
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1900年
「年中無休」を紙上で宣言(1930年1月まで継続)
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1906年
東日本の地方紙で最初の女性記者を採用
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1907年
東北帝国大学設立
東北帝大(現・東北大)は明治40年6月22日の設立。河北新報は、東北の発展に大学の必要性を訴え続けた。
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1923年
関東大震災
大正12年9月1日の関東大震災で東京は壊滅状態。河北新報の記事が福島・磐城無線局を通じて世界に打電された。
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1933年
第1回河北美術展
文化面の向上を図り、東北の美術界を大きく育てようと、昭和8年5月5日、第1回河北美術展(当時東北美術展)が開幕した。現在、80回を超える。
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1942年
1県1紙統制で5県版廃止
11月、1県1紙統制で5県版廃止、東北総合版設ける
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1945年
仙台空襲
昭和20年7月10日、仙台は空襲に見舞われた。辺り一面は火の海、社員決死の消火活動で社屋を守り、新聞発行を続けた。
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1950年
東北こども博覧会
4月、戦災復興を願って榴岡公園などで、国内初の「東北こども博覧会」を開催
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1952年
「河北文化賞」創設
昭和27年1月17日、東北の発展に尽力した人々を顕彰する河北文化賞が誕生した。300を超える個人、団体が受賞している。
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1960年
地球縦断ドライブ ボーン賞受賞
昭和35年7月23日、河北新報社の地球縦断ドライブ隊が南北アメリカ大陸の走破に成功した。ボーン賞受賞。
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1967年
東北大博覧会開催
4月14日、創刊70周年記念「東北大博覧会」を仙台・苦竹地区で開催
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1978年
宮城県沖地震
6月12日、M7.4の宮城県沖地震発生。死者27人、負傷者1万962人(宮城県まとめ)
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1982年
東北新幹線開通(大宮ー盛岡)
東北発展のためには新幹線や自動車道の建設が不可欠として昭和40、50年代、悲願達成のためさまざまなキャンペーンが展開された。
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1987年
未来の東北博覧会開幕
7月18日「未来の東北博覧会」開幕。会期中に296万人動員。
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1989年
仙台市が政令市移行
平成元年4月1日、仙台市は政令市の指定を受けた。東北地方の発展をけん引する都市が必要とされた。
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1993年
『東』は、未来
コーポレートスローガン「『東』は、未来」を決定
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1997年
国際ゆめ交流博覧会開催
創刊100周年記念式。7-9月に国際ゆめ交流博覧会開催
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2003年
河北新報印刷センター完成
仙台市泉区に河北新報印刷センター完成
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2004年
仙台に新プロ野球団誕生
平成16年11月、仙台を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスのパ・リーグ新規参入が決定した。28年ぶりとなる地元球団の誕生に仙台市内は祝賀ムードに包まれた。
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2005年
創刊108周年
創刊108周年(茶寿)。「かほく108クラブ」創設
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2008年
紙齢4万号に到達
1月25日に紙齢4万号に到達。会員組織「かほピョンくらぶ」発足。「河北いぐね倶楽部」発足
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2011年
東日本大震災
平成23年3月11日午後2時46分、三陸沖約130キロ、深さ約24キロを震源とするマグニチュード(M)9.0、最大震度7の巨大地震が発生。大津波、原発事故・放射能汚染を引き起こし、東北地方に甚大な被害をもたらした。宮城、岩手、福島3県の太平洋岸を中心に死者は1万5900人、行方不明者は2525人に上る(2021年6月11日現在)。
河北新報社は、新潟日報社の全面協力を得て、当日の河北新報号外、翌日付朝刊を発行、「再生へ 心ひとつに」を合言葉に、被災者に寄り添う報道を続けている。 -
2013年
東北楽天、日本一に
平成25年11月3日、東北楽天ゴールデンイーグルスが星野仙一監督の下、日本シリーズを初制覇。パ・リーグ優勝の勢いを維持して読売ジャイアンツを破り、球団創設9季目で初の日本一に。
第1回ツール・ド・東北in宮城・三陸」開催
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2015年
朝夕刊12段組、拡大文字を採用
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2017年
創刊120周年
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2019年
台風19号
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2020年‐
新型コロナウイルス流行