SEVEN BEACH PROJECT×今できることプロジェクト

七ヶ浜10人インタビュー

あの日までの10年、あの日からの10年、ここからの10年

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子どもたちが生き生きと過ごせる
海の楽しさがあふれる町であるように。
内海成郎[うちみまさお]さん、知美[ともみ]さん
内海成郎さんは、地元七ヶ浜町花渕浜出身、1978年生まれ。知美さんは仙台市太白区出身、1981年生まれ。長男の駿輔(しゅんすけ)さん9歳、次男の央翔(ひろと)さん6歳、長女の穂佳(ほのか)さん3歳、次女で8カ月の彩綺(さき)さんの6人家族(※年齢は取材時の2020年11月当時)。震災後に新築した花渕浜上ノ山地区の自宅には、成郎さんが経営する株式会社内海設備の事務所が隣接。南向きで日当たり良好な二世代住宅に、成郎さんの両親と一緒に暮らしています。

外国人の優雅な避暑地があった浜の思い出

 成郎さんの生家は、表浜、通称“外人浜”と呼ばれる海水浴場が目の前に広がっていました。高山外国人避暑地がすぐ近くにあったこともあり、「外国人の子どもと一緒に浜で遊んだり、教会に呼ばれて行ってみたりした思い出があります」と、幼い頃の記憶を振り返ります。結婚して内海家に入った知美さんは、「七ヶ浜町での暮らしは、どこに行っても海、何をするのも海って感じなんですよね。私も、子どもが生まれたら、海で遊ばせてあげられると楽しみにしていました」と、当時の思いを語ってくれました。

子どもたちの成長を見守り続けた10年

 震災当日、成郎さんは父親と一緒に、菖蒲田浜にあったペンションの設備工事に従事していました。間一髪で津波から逃れ、高台の君ヶ丘公園方面へ避難。一方、自宅にいた知美さんは駿輔さんをお腹に宿した身重の状態で、「大きな揺れを感じ、とにかく無我夢中で身を守ろうとしました。この時は、津波のことなんて、まったく頭の中にはありませんでしたね」と、当時を思い起こします。成郎さんと無事合流した一家は、同じ花渕浜地区に住む親戚を頼り、しばらく身を寄せた後、仮設住宅へ移り住みました。そして震災発生から約20日後、無事に駿輔さんを出産。続き、央翔さん、穂佳さん、彩綺さんが誕生し、「子育てに追われた10年。今、大きく育った子どもたちの姿を見ると、あっという間だったなと感じますね」と、賑やかに駆け回る子供たちを見ながら笑います。

海水浴で賑わう浜の風景を願って

 生家と同じ花渕浜地区ながら、以前より高台の土地に自宅を新築したのが2013年。家族みんなで一つ屋根の下で暮らせる幸せを感じながらも、日を追うごとに変貌していく町の風景を見つめてきた成郎さんは、「海沿いの家並みが無くなってしまいました。特に、花渕浜は寂しくなりましたね。自宅にあったアルバムの写真もほとんど潮水に浸かってしまって、以前を知る手立ても無くなってしまいました」と話します。そんな花渕浜に望むのは、「外人浜(表浜)がまだ、遊泳禁止のままなんです。また、みんなが遊べる場所に戻って欲しいかな」。知美さんも、「地元の人たちはみんな、子どもたちを浜で遊ばせてあげたいと言っています。これから、子どもたちがもっとのびのびと活動できる環境が整ってくれるといいですね」と、家族みんなで海水浴が楽しめる日を心待ちにしています。