あの日までの10年、あの日からの10年、ここからの10年
震災当時、俊邦さんは京都で修行中。その日の夜9時頃、心配した住職の知人からの電話で知らされました。花渕浜地区にあった同性寺は一時避難所に指定されていましたが、境内は海抜3〜4mの場所にあったため水没。今も、本堂の壁や柱にその微かな痕跡が残されています。「修行道場の近くにあった銭湯の電話を借りて連絡したら、一度だけつながって。家族や近隣の方々が裏山を登って難を逃れたことを聞き、ショックを受けました」。師僧から帰郷を勧められ、新潟と山形を経由して宮城へ。大量の支援物資を抱えながら利府町にある母親の実家にたどりついたのは、震災発生から3日後でした。
約1カ月、家族と共に過ごしましたが、京都へ戻り修行を再開。「戻ってしばらくは、何かふわふわと心が落ち着かない時間を過ごしましたが、地元の皆さんやボランティアの方々などに支えられて再建が進捗していることを聞き、地域の輪の頼もしさを感じるきっかけになりました」と俊邦さん。地元を気に掛けながら、さらに九州でも修行を重ねて五年、墨染めの衣に新たな決意を抱き、帰郷を果たしました。住職の父を助けながら、同性寺に隣接する和光幼稚園で子どもたちを見守る日々を過ごす俊邦さん。「寺子屋から始まった幼稚園は創立から60年以上が経ち、親子3代通ったという家族もいらっしゃいます。地元の方にとって、この寺は馴染み深い場所。住民の方から孫と一緒に座禅を組みたいという要望を聞き、ちょっとしたお茶飲み場のような地域のコミュニティーを育む機会づくりができないかと思い立ちました」。足が不自由な方でも参加できる座禅会や般若心経を気軽に学べる読経会、ボランティアが敷地内に植樹した桜の花見会など企画が続々。現在、実施に向けて準備が進んでいます。
また、SEVEN BEACH PROJECTとのコラボレーションにも挑戦しており、「七ヶ浜町で生まれ育った子どもたちに、“海と共に”という気持ちを取り戻してあげたいと思い、代表の久保田靖朗さんに相談を持ちかけたら、一つ返事で“やりましょう!”と賛同いただきました。園児たちと行ったビーチクリーンは、地元を愛せる子どもたちを育てたい私の志の弾みになりました」と目を輝かせていました。