あの日までの10年、あの日からの10年、ここからの10年
2009年、結婚を機に七ヶ浜町に移住した加藤さん。最初に七ヶ浜町へ足を踏み入れた印象を「潮の香りを感じて、海の町に来たんだと感動しました」と語ります。10年12月に長男を出産し、翌年3月に里帰りをして数日後、震災が発生。実家の家屋も倒壊する被害を受け、両親とともに避難所へ向かいました。ご主人はその時、大阪に出張中。神奈川県在住の弟を通じてメールで安否を伝えることができましたが、連絡が取れるようになったのは1週間後。その時、七ヶ浜町の自宅を失ったことを知りました。避難所では、おむつなど育児に関する物資の心配、水が冷たく手があかぎれだらけになるなど、困難も多かったのですが、「それでも、息子の存在が支えになりました」と振り返ります。
5月に七ヶ浜町に帰還することができましたが、松ヶ浜地区の自宅は津波で被災。義理の祖父母と両親、加藤夫婦は、吉田浜地区の第1スポーツ広場にできた仮設住宅で暮らすことになり、不慣れな生活が4年も続きました。仮設住宅の集会所では、全国から駆けつけたボランティアが毎日のように訪問し、さまざまな支援活動を行っていましたが、「当時は、自分が一緒に参加するまで心が追いつかない状態でした。私は元気なのに…という後ろめたい気持ちもあって」と加藤さん。それでも、再建した自宅に引っ越した際、心の一歩を踏み出したような心境が訪れ、「お世話になった人たちに恩返しをしたい」という思いが芽生えたそうです。そこで、高齢者を対象にしたハンドマッサージのボランティアをスタート。他にもいろいろな活動を考えたそうですが、「誰でもできることじゃなくて、私にしかできない事はないかと思って。そこで、宮城らしいものを使って感謝を込めたハンドメイド作品を作ろうと思いつき、自分が住んでいる地域と身近な松島湾のカキ殻を見つけたんです」。オリジナルのレジンジュエリーの製作に着手し、2019年3月から本格的に販売スタート。瑞巌寺の「杉道市」で出店するなど地道な作家活動を続け、現在に至ります。
透明な樹脂の中でキラキラと輝いているのが、カキ殻から抽出したフレーク状の真珠層。何度も繰り返される洗浄と研磨、加工、ジュエリーの仕立てまで、すべて加藤さん一人の手作業で行われています。「カキ殻から必要な素材を取り出すまで、10日ほどかかるんです。鮑や夜行貝と違って、カキは作業に一層の手間がかかります。でも、松島湾のエッセンスを吸収したカキの殻だからこそ、地域の思いを伝えることができるのではないかと考えています」と、自信あふれる笑顔で語ります。
波間に光の粒がきらめく情景を思わせ、海のおおらかさも感じられる加藤さんのデザイン。「私は、よく菖蒲田海岸の防潮堤を散歩するんですが、海の癒やしがもらえる時間になっています。心に澱として溜まってしまったものを、みんなそこに置いてスッキリしていける気がするんですよね。だから、海に惹かれる人が多いんだなって。OSTRICAのジュエリーを身に付けてくれる人が、穏やかな心を取り戻したり、御守代わりに背中を支えてくれたり、心に灯すほのかな明かりのような存在になってくれればと願っています」と、作品の魅力を教えてくれました。