あの日までの10年、あの日からの10年、ここからの10年
父・進さんが創業した会社の経営を担う冷静沈着で理知的な祐樹さんですが、高校3年生の夏休みまでは、跡継ぎになろうとは考えていなかったそうで、「朝4時に起床して、まだ暗いうちから仕事にでかけるオヤジの背中を2階のベランダから見かけた時、その背中がものすごく小さく見えて…自分に何か手伝うことができないか考えるようになったのが、この仕事に入るきっかけになりました」と話します。小さい頃から手先が器用で情熱家の博行さんは、「よく建築現場に連れてもらっていて、オヤジの後を追いかけながら掃除の手伝いをしていました。給料としてもらったお小遣いでカブトムシを買った時、労働の対価が得られるやりがいを感じ、幼いながらも大工になろうと決心しました」と、兄とは対照的な動機を教えてくれました。そんな真逆な性格の二人ですが、お互いの資質を尊敬し合っており、「自分に無い才能を持つ弟は、自分にとってかけがえのない存在」と祐樹さん、博行さんも「突っ走りがちな私に、兄は落ち着けと諭してくれる大事な人」と、聞いているこちらが思わず赤面してしまうほど固い兄弟の絆を示してくれました。
震災発生時、博行さんは父親らと泉区八乙女の建築現場で仕事中でした。携帯電話の警報アラームがけたたましく鳴り、進さんの「すぐ逃げろ!」という叫び声を聞いて駐車場に移動。直後、建築中のアパート2階通路のコンクリートが崩落し、その有り様を見ていたみんなの頬に冷や汗がつたいました。
祐樹さんは、顧客との打合せで多賀城市内におり、長い揺れを感じてただ事では無いと感じたそうです。自動車を走らせ国道45号に差し掛かると、渋滞に捕まってしまいました。ふと目線を上げると、陸橋に人だかりが。不安にかられ最寄りの駐車場に車を寄せたその時、道路に水が迫ってきているのが見え、走って高台へ避難。その日は、多賀城市の八幡公民館で一晩過ごしました。
幸いにも自宅と家族全員が無事で、事務所への浸水もわずか。1カ月後には仕事を再開し、雨もりを訴えるお宅から連絡を受けて、屋根の補修などから着手しました。「今まで地域の皆さんにお世話になっていたことへの恩返しだと思い、ほぼボランティアで応急処理に回りました」と祐樹さん。町内外には倒壊している家屋がたくさんあり、再建を望む人たちからの電話が鳴り止まなかったそうですが、「いつ来るの、急いでくれ、という声が多かったんですが、あちこち中途半端に手をつけてしまうと、よりお客さまに心配をおかけすることになってしまいます。だから、1軒、1軒、丁寧に仕事をすることを信条に業務へ当たりました」と話します。博行さんも、現場で施主と対面する際は、「安心してください」と声をかけながら建築現場に入るように努めていたそうです。
10年を経て、ようやく平穏を取り戻した感のある七ヶ浜町ですが、岩本兄弟は若者離れが進んでいる現状を憂いています。その思いが突き動かし、NPO法人七ヶ浜の100年を考える会が行ったワークショップに参加。SEVEN BEACH PROJECTの代表である久保田靖朗さんとの交流もここから始まり、「カフェレストラン SEASAW」に隣接する2階建ての建物を、岩本建設が手がけました。
共通の趣味である釣りは、2人にとって七ヶ浜町がいかに魅力的な場所にあふれているかを再確認する機会にもなっているそうです。そんな町内のアピールポイントをより多くの人に知ってもらえるよう、ベストな情報発信の手段を考えていました。そしてたどり着いたのが、YouTubeチャンネル。博行さんが、釣りの達人“染吾郎師匠”などのユニークなキャラクターに扮し、町内各所に登場して釣りや観光情報などをドラマ仕立てで紹介。チャンネル登録数は2,000を超えています。博行さんは、「自分たち自身が地元を知り、若い世代に伝えていくことが大切なんだと感じています」と笑顔で結んでくれました。