【佐藤 成晃 選】
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次々と波まじわりて輪唱のように寄せては返す春の海 (多賀城市八幡・佐藤久嘉)
【評】純粋な「自然詠」。作者が作品の中で行動するものに魅力を感じてきたが、この作品の「輪唱のように」の比喩を発見した作者の手柄にも大きな感動を覚える。与謝蕪村の春の海を詠んだ一句なども連想されるが、時期が時期だけに、3.11と重ねて読んでしまう。あのすさまじく荒れた海の八年後の浜に立って、元の生活を取り戻しつつある現在のかすかな安穏を喜んでいる作者像をも思わせる一首である。
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生かされて生きてしまった八十四年その八年の悲喜のこもごも (石巻市中央・千葉とみ子)
【評】これまでの八十四年の生涯を「生きる」と言い「生かされる」とも言う両面からの見方が、この作品に厚みをもたらしたと思う。あえて欠点を言えば下の句の「その八年」か。これは「末尾の方の八年」ということだろう。この八年の中に3.11があり、夫との死別があり、孫・曾孫(ひまご)との喜びがあった。それを「悲喜のこもごも」とまとめたのだ。「悲喜のこもごも」からそのような内容を想像するのは読者には難しいのではないか。時間が経過してから推敲を試みてほしい。
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今日の日も無事平穏に暮れたると長押(なげし)の上の妻にささやく (東松島市大曲・阿部一直)
【評】亡くなった奥様の写真が、長押の上に掲げられている。やや前のめりの角度をもって家族の生活を眺め下ろすかのようだ。古い家にはご先祖さまの写真が幾枚も並んでいたものだ。亡くなった人に今日一日の報告をしなければ今日は終われない、そんな心情をもって実践している生活態度に見習いたいものだ。ゆっくりと小さな声で話しかけるさまが見えるようだ。
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ひと日ずつ歳の欠片(かけら)を拾い積み短歌(うた)に残さん老いの埋もれ火 (石巻市駅前北通り・津田調作)
短歌(うた)メモに良き裏白と切りてゆく葬儀の済みし日程表も (石巻市開北・星ゆき)
八年目の冷たい雨によみがえる助け求めて叫ぶわが声 (石巻市丸井戸・高橋栄子)
北帰行為せざりし白鳥護岸にて3.11悼(いた)むがごとし (東松島市矢本・川崎淑子)
風の色知らずに今日も新しき朝を降り来る宙(そら)からの陽よ (石巻市大門町・三條順子)
祭の夜アセチレン灯の薄暗き夜店に引きし籤(とすけ)はずれき (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
しあわせは何かとふっと考えるそこそこ食べてそこそこ健康 (石巻市向陽町・中沢みつゑ
黄泉(よみ)で待つ地獄極楽の別れ道 目覚めし今朝は母の命日 (女川町・阿部重夫)
詐欺される他人(ひと)のお金の豊かさよ生きるに余るおかねなら良し (石巻市恵み野・木村譲)
窯(かま)だしの茶碗を取れば温かし外は粉雪春まだ遠し (石巻市門脇・佐々木一夫)
薪(まき)割りの音がこだます啓蟄(けいちつ)の炉端(ろばた)の燠(おき)は赤々と燃ゆ(石巻市北村・中塩勝市)
愛犬のおらぬ散歩はつまらない口笛吹いてもハミングしても (石巻市高木・鶴岡敏子)
煮魚(にざかな)の匂いが嫌いと言う恩師四十三年経(た)ち思い出す (東松島市野蒜・山崎清美)
黙々と勉強する子の足元のかばんの端の赤いお守り (石巻市桃生町・米谷智恵子)
朝夕に歩く境内 石段を見上げるそばに梅花が匂う (角田市天神・佐藤ひろ子)
今日もまた「生きがいディ」に交ざらんと送迎バスにいそいそと乗る (石巻市丸井戸・松川友子)
北上の川面に写る飛行雲童(わらわ)のごとく心が弾む (石巻市桃生町・千葉小夜子)