短歌(5/5掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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七草に薺(なずな)・薺とそやされし薺咲きても目もくれぬなり  (石巻市中里・鈴木きえ)

【評】七草粥(かゆ)に入れる七草のひとつである薺。畑の隅や道路の脇などから必死になって探してきて粥に入れた薺。そんな時代がかつてあって、薺はもてはやされていたのです。それが今やスーパーでビニール袋に七草が入れられて売られています。なんの苦労もなしに材料がそろってしまう安易な生活に慣れきってしまった現在の生活ぶりを喜んではいない作者の気持ちにも納得させられてしまいます。作者は92歳。

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震災の御霊(みたま)を彫りし住職の山庭(にわ)に一面堅香子(かたかご)の花  (東松島市矢本・川﨑淑子)

【評】当地の新聞記事で読んだ記憶をもとに、この短歌の世界を思いやっています。震災で亡くなった人たちの鎮魂のために住職さんが何か彫刻されたという記事です。上の句は、このままではやや無理な印象も残りますが、新聞の記事の記憶をもとに以上のような解釈をしたうえで、その寺の庭一面に生えた「かたくり」の花は、まるで「かたくり浄土」とでも言いたい情景に見えたのでしょうか。作者と一緒に私も一瞬息を止めて合掌しました。

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甲冑(かっちゅう)のごとくまといし綿入れ着なりふり要らぬ老いの気楽さ  (東松島市大曲・阿部一直)

【評】「甲冑のごとく」の比喩が目を引きます。完全防寒で着ぶくれている作者が見えます。「綿入れ」どんぶくを着込んで寒さをしのいでいるのでしょうか。家屋の防寒化(暖房設備の普及)によって、家の中は昔のように風が吹くものではなくなったのに、やはり老体には冬はこたえるのでしょう。着ぶくれても、他人に見られてどうのの意識がない老体の堂々とした、超然とした感覚に一瞬惹(ひ)かれるものを感じました。

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春の陽を吸いてふかふかのクッションを薄くなりたる夫の背に置く  (石巻市羽黒町・松村千枝子)

背に赤子右手に幼女のおかあさん「令和」に映える横断歩道  (石巻市恵み野・木村譲)

歳月のかなたに今も残りおり夫を庇(かば)いて絶食七日(なのか)  (石巻市中央・千葉とみ子)

湾はまだ春の眩(まぶ)しさ牡鹿嶺(おしかね)のところどころに残雪光る  (女川町・阿部重夫)

年嵩(かさ)み吾国の御代を三つとも渡りし浮世のしあわせを問う  (石巻市駅前北通り・津田 調作)

あの波にクルマ流されアクセルをペダルに変えて春を出直す  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

童謡も唱歌もすらすら口に出るさっきのことが思い出せぬに  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

友想い短歌(うた)を贈れば返礼と朗々吟(ぎん)じて受話器の奥に  (仙台市青葉区・岩渕節子)

二時間の呼ばれるまでの待合室それぞれ瞑想座禅(めいそうざぜん)のごとく  (石巻市蛇田・菅野勇)

両岸から色とりどりの鯉のぼり水面(みなも)に触れる端午の節句  (角田市角田・佐藤ひろ子)

新しき御代を迎えて日の本の永久(とわ)の安寧(あんねい)祈りてやまず  (石巻市わかば・千葉広弥)

山畑に土器の破片を探してはこころ躍りし少年なりき  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

きのうより青さ増したる今日の空「れいわ」「れいわ」と鴎(かもめ)飛び交う  (石巻市大門町・三條順子)

雪道に向き合う二つの靴の跡なぜかそこだけ湯気立ち昇る  (東松島市矢本・奥田和衛)

西行の戻(もど)りの松に人集ふ春満堂のああ松島や  (石巻市門脇・佐々木一夫)

凛(りん)として岩場に佇む白鷺はオブジェのように一点見つめて  (石巻市丸井戸・高橋栄子)

お供物(くもつ)を漁(あさ)るカラスの七・八羽彼岸の墓地を我が物顔に  (石巻市丸井戸・松川友子)