【佐藤 成晃 選】
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老いて行く時間(とき)をひとりは楽しめず今日のあしたの喰ふことばかり (石巻市恵み野・木村譲)
【評】伴侶を施設に預け、一人で暮らす作者。そのご老体の味気ない日常生活を詠んだ一首である。若いころは、こんな老後を想像したこともなかった。妻との談笑を楽しみながらの静かな生活を思い描いていたはずだ。現実はそうはならなかったという嘆きは大きい。毎日の食事のことばかりで頭がいっぱいだ。今晩は何を食うか、明日の三食はどうするかと、食うことにまつわる様々なことに追いまくられている生活。当然あるべきものがなくなった時のうろたえが如実に伝わる一首である。
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新聞をめくればかつての園児にて満面笑顔の作業療法士 (石巻市丸井戸・高橋栄子)
【評】朝刊のページをめくっていたら大きな写真が出てきた。どこかで見かけた顔だ。思いを巡らせて辿(たど)り着いたのが昔の教え子。しかも、園児の面影に重なる「満面笑顔」のこの人の現在は「作業療法士」。教育の場に身を置く人間の役得のような喜びが嫌みなく伝わってくる作品である。4月5月は、どこの新聞も「フレッシュマン」とか「ニューフェース」のタイトルで新社会人を取り上げるものだが、偶然かつての幼子と対面できた喜びは、いかばかりだったか。
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磯の香は景色とともに入り来る各駅停車のドア開くたび (石巻市羽黒町・松村千枝子)
【評】日常のごく当たり前なところに転がっている「詩」を見つけた一首かも知れない。各駅停車ごとに海の匂いが風景と一緒に列車の中に入って来るという。海岸線を走る仙石線や石巻線に乗った気分で鑑賞をこころみているのだが、すっかり納得させられてしまっている。「磯の香」が風景と一緒に入ってくると捉えた感覚の柔らかさに感嘆した。「詩」は生活のどこにでもあるもの。常識や先入観という兜(かぶと)を脱いでみれば、「詩」が見えてくるかも。
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耳うとくなりて久しきしずけさの幻聴なるや蟻の足音 (東松島市大曲・阿部一直)
夕暮れの空見上げてのコップ酒望郷を喉に流して眠る (石巻市駅前北通り・津田調作)
上品山(じょうぼん)に草食む牛の影追えば空に広がるかつての絵地図 (石巻市南中里・中山くに子)
るいるいと花殻散り敷く石だたみ掬(すく)う両手にまた春の雨 (石巻市開北・星ゆき)
梅花うつぎ白々と咲く朝なれどヘバーデン結節疼(うず)くをやめず (石巻市向陽町・後藤信子)
新緑は無料のサプリ今朝もまた老いた手足にみどりいただく (石巻市向陽町・中沢みつゑ)
衰えは静かに来ると思いいしにどどっと大波 満身創痍 (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
それぞれの葉に水玉を遊ばせて雨後のそよ風蓮田を渡る (石巻市蛇田・千葉冨士枝)
死に近き痩せ細りたる父の背の温もりいまだこの掌(て)の知れり (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
住む人のあらざる庭のたたずまい梔子(くちなし)の花夏を告げおり (石巻市蛇田・梅村正司)
八十年過ごした年は去って行く今行く道は卒寿への道 (石巻市鹿又・高山照雄)
一か月会わぬ曾孫(ひまご)は歩きおり転ぶようでも転ばぬ歩み (石巻市丸井戸・松川友子)
もったいない断捨離出来ぬ昭和人(しょうわびと)出してはしまい出しては仕舞う (石巻市水押・佐藤洋子)
上品山より田圃(みなぎ)見下ろせば湖(うみ)のよう幼苗など波に隠れて (石巻市桃生・三浦多喜夫)
聖火台撤去寂しいグランドで友と楽しむパターゴルフで (石巻市不動町・新沼勝夫)
波の音風さえいまだ怖けれど海に生かされ海憎からず (石巻市水押・小山信吾)
和やかに今日も暮れゆく八十路なかば戦中戦後を生かされてきて (石巻市わかば・千葉広弥)