短歌(6/2掲載)

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

【佐藤 成晃 選】

===

出勤の途中と写メール送り来(き)ぬリラ真っ盛りの五月の札幌  (石巻市向陽町・後藤信子)

【評】写メールを送受する行為から、写真を送って来た人と作者の間柄を想像してみました。おそらく作者のもとを発って間もないお孫さんからのものではないでしょうか。出勤の途中、偶然目にしたリラの美しさ。これはおばあさんに見てもらわなくっちゃ、ということの次第までが読めてきます。もしかして札幌の街自体が、写真を撮ったお孫さんにとっては新鮮な存在だったのではないでしょうか。赴任・着任してまだ間のない街の、代表的な象徴的なリラの花の美しさがしのばれます。

===

早苗田(さなえだ)の水面(みなも)をサーッと滑り行く五月の風の白い耀(かがや)き  (東松島市矢本・川崎淑子)

【評】風景を客観的に詠んだ作品です。一読で内容がよく分かるし、修飾意識があんまり前面に出てこないところが魅力にもなっている一首だと思いました。下の句の「五月の風の白い耀き」に工夫のあとは見えますが、そんなに邪魔にならないし、読者を納得させる描写になっていると思いました。回を追うごとに作品が整ってきた作者の努力に拍手です。

===

ともすれば嘘溶けがちの口を閉じ澄みゆく声の鳥を見ており  (石巻市開北・星ゆき)

【評】自分の口から発せられる言葉は真実でありたいと、誰もがそんなことを念じながら生きています。でも実際はすこし異なるところもあるのが現実。ついつい言葉を飾ったり、やや大げさな表現に作り替えたりしがちなものです。いま自分の口を飛び出そうとしている言葉たちにそんな「ずれ」を感じた作者は、作為のない澄んだ声でさえずる小鳥を見つめて立ちつくしています。虚飾のない小鳥の小さくても澄んでいる世界。自然の中に詩根を発見することの上手な作者に、いつも感心させられています。

===

遠き日に祖父の胡坐(あぐら)の中にいしその息(こ)五歳の祖父となりおり  (石巻市中央・千葉とみ子)

また一人惚(ぼ)けをつくりにセールスが食事・食料宅配するとふ  (石巻市恵み野・木村譲)

ペン持てば日に日に募る若き日の姿記(しる)さん短歌(うた)の真中に  (石巻市駅前北通り・津田調作)

銭もなく知恵もなければ妻もなし真っ赤な夕陽になだそうそう  (東松島市大曲・阿部一直)

ふと目覚め言葉あれこれ入れ替えつ時過ぎ行きて短歌(うた)まとまらず  (石巻市南中里・中山くに子)

夕暮れの職場帰りの店の隅コップ片手に今日を語らう  (石巻市水押・阿部磨)

わが町を北限となすお茶畑 北上川の霧を浴びつつ  (石巻市桃生・三浦多喜夫)

古い巣に今年も来たるつばめごの挨拶代わりかさえずり高し  (石巻市桃生・大友雄一郎)

病にて小さくなった父と母頑丈な手と知恵は変わらず  (石巻市水押・佐藤洋子)

こんなにも旨(うま)い味噌汁は他に無い十三浜のワカメのみどり  (東松島市矢本・奥田和衛)

目の前を小さき影の飛ぶ病(やまい)言い得て妙なり飛蚊(ひぶん)症とは  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

しゃべらずに済ませるメールと言う手段 会話のできぬ人間社会  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

しっかりと右脳左脳が支配する右往左往と手探りしつつ  (石巻市大門町・三條順子)

そよそよと港の風に夏木立並んで誰かを待つかのように  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

十連休のんびりしたい子等集い老いたる私は体力勝負  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

清しきは令和の朝の青き空この国のさきを慶ぶごとし  (石巻市大森・木村友子)

放牧の牛馬はいまだ幼くて牧草食(は)みおり人遠ざけて  (女川町・阿部重夫)