【佐藤 成晃 選】
===
青梅の甘煮ひと口味見する九十過ぎても菓子屋の御内儀(おかみ) (石巻市中里・鈴木きえ)
【評】お菓子屋の味を創り、育て、守ってきた作者の御内儀としての心意気が詠まれた一首である。大量生産の合理化されたシステムのなかでは「味見」などということは存在しないのではないか。街の「お菓子屋さん」であればこそ、職人さんがこしらえた材料を御内儀が検分することが生きているのだろう。自分が創って育てて来た味になっているか、90歳を超えた今も現役として「動く」作者の存在に敬意を表したい。
===
手農具を握る気力も胼胝(たこ)も消え出放題なる草をたのしむ (東松島市大曲・阿部一直)
【評】年齢を重ねるとともに握力が衰えた。それだけではない。手仕事の出来る印(しるし)でもあった胼胝がきれいに消えてしまったのだ。これではどうしようもない。ただ周り一面ほしいままに繁っている草を見ているしかないではないか、という作者の嘆き。だが、ここで終わらない作者。いまや草を楽しむところまで人生を味わい、また自然への優しい眼差(まなざし)をも身に着けたのだ。自然と一体化した、かすかだが深い人生観に至った一首として味わった。
===
父親の五十回忌の墓参り戯れに問う黄泉(よみ)への道順 (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
【評】五十回忌まで先祖の供養に執してきた作者の生活態度に粛然とする。そして回忌の数が大きくなればなるほど親との距離が遠くなり、親の記憶も薄らいでいくのだろうが、見方を変えれば、自分にとっては黄泉の国が近くなることでもあろう。はて、あの世への道順はどうなっているのだろうか。「戯れに」とは詠んだが、かなり真面目な問いでもありそうだ。軽い物言いではあるが、これはかなり重い「問い」に違いない。
===
船の上で鮪(まぐろ)処理する夢覚めて闇にただようサモアの港 (石巻市駅前北通り・津田調作)
可愛(かわい)いとまた可愛いと抱き上げるブルーの瞳グランパと呼ぶ (石巻市北村・中塩勝市)
あれこれと過(よぎ)る不安を抱きつつ健診五年目診察を待つ (石巻市丸井戸・高橋栄子)
絹莢(きぬさや)をほどよき色に茹で上げて水に移せば浮き来る湯玉 (石巻市南中里・中山くに子)
黄昏(たそがれ)の光を受くる母の墓に守り人点(とも)す香のひとすじ (石巻市開北・星ゆき)
ヒロシマと書きフクシマと並べれば日本の惨事、昭和・平成 (石巻市蛇田・千葉冨士枝)
あと幾年生きられるのか六月は父母の忌(き)の月わが生(あ)れし月 (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
六月の庭の芝生に子を立たせせっせせっせと鶺鴒(せきれい)の来る (石巻市恵み野・木村譲)
沢山の支えを受けて歳重ね父母を超えたり今朝も経読む (石巻市中央・千葉とみ子)
孫からの写メールが来ぬ実習先の幼稚園児らの元気な笑顔と (石巻市桃生・三浦多喜夫)
高齢者運転講習受けて来ぬなぜか肩身が狭い感じで (東松島市矢本・奥田和衛)
若葉竹に社旗なびかせて船出する巻網船は水脈(みお)立てながら (石巻市水押・阿部磨)
葦原にギョギョシギョギョシとよしきりの鳴く声聞きて夏汗をかく (東松島市矢本・川崎淑子)
玄関にカサブランカの香りするそうか今日は母の日だった (石巻市蛇田・菅野勇)
真青な窓のサイズの空眺む今日も同じき温度の部屋で (石巻市須江・後藤妙子)
大玉のキャベツに小さな穴一つシャリシャリシャリと青虫が食(は)む (石巻市桃生・米谷智恵子)
日課なる義母の元へと通う道梅雨めく色のあじさいが咲く (角田市角田・佐藤ひろ子)