短歌(7/14掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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今しばし生(よ)のたそがれを歩みつつ小さな花の短歌(うた)楽しまん  (石巻市駅前北通り・津田調作)

【評】人生のたそがれ時をどのように過ごそうかと思案している作者。有終の美を飾るために大輪の花を咲かすとか、でかい何かで締めくくるとかには関心がない。実に慎ましやかに、控えめに、そして形よりは内容が充実している人生のたそがれでありたいと願っているのだ。短歌は、このような人生観を構築できる人のためにあるのではないかとさえ思われる。今しばらく、歌の道に勤(いそ)しんで手本を見せていただきたものだ。

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振り向けどそびらに迫る何もなし大ひまわりの燃ゆる夕映え  (東松島市大曲・阿部一直)

【評】死は後ろから迫って来ると兼好法師は「徒然草」に書いている。何かが迫って来ているかと急に後ろを振り返ってみたが何もない。ただ夕映えの中に大きなひまわりが咲いているばかりだ。何も変わったことの無い、いつもの時間の流れに身をまかせ、辺りの自然の有様をそのままに受け止め、静かな老後の時間に身を浸している。ゆったりとした生き方が偲ばれる一首。しかも「燃ゆる夕映え」の名詞止で決まった作品。

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ほの暗き谷の歩道にほんのりと灯りをともす<ほたるぶくろ>は  (東松島市矢本・川﨑淑子)

【評】谷に咲く小さな花を見つめて一首とした清楚な感じの作品である。「灯りをともす」の擬人法はやや常識的な感じもするが、無理なく受け入れられる。行きずりの薄暗い谷に咲いている<ほたるぶくろ>。あの袋のなかに蛍を入れて昔の子供たちは遊んだのかもしれない。手の込んだ表現法は特にない。谷の風景のなかの蛍袋だけがクローズアップされる静かな作品である。短歌初歩の人たちが真似てみてもいい作品かもしれない。

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青梅のへたを除いて並べゆくほど良い塩に埋まるさ緑  (石巻市南中里・中山くに子)

手をのべて明けをまさぐる朝顔か梅雨のさなかの大坂サミット  (石巻市恵み野・木村譲)

雨上がれば視界広がる津軽の海西に虹立つ尻屋の岬  (石巻市わかば・千葉広弥)

スイスイとハンドル躱(かわ)す若きらの白シャツの列サドルに泳ぐ  (石巻市開北・星ゆき)

野仏は海辺の道に目を閉じてご破算ご破算ととなえてなさる  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

梅雨の朝は歩道橋に花揺れるちびっこ達の彩る傘々  (石巻市蛇田・菅野勇)

西ひがしの窓を開ければ部屋中に初夏を匂わせ風通り行く  (石巻市水押・阿部磨)

令和に入り親父の歳を追い越しぬ越して喜ぶことならねども  (石巻市桃生・三浦多喜夫)

立体駐車場にいる二羽の鳩この辺りが安全地帯かゆっくり動く  (石巻市須江・須藤壽子)

朝一番の離島に急ぐ定期船食料も積む人らとともに  (女川町・阿部重夫)

眠りより眠りへ続く真夜中のベルに覚むれば朝(あした)の八時  (石巻市中央・千葉とみ子)

幾たびも眼鏡を外しまた掛けて辞書と古書とをかたみに見つむ  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

雨の中満開の桜見せるという「生きがいディ」の車に乗りぬ  (石巻市丸井戸・松川友子)

種を採りそのタネ蒔いて夏を待つ一輪二輪と朝顔の咲く  (仙台市青葉区・岩渕節子)

一日ごと老いゆく身をば慈しみ元気な百歳たぐり寄せたし  (石巻市不動町・新沼勝夫)

つややかに光を放つ佐藤錦地震の傷みを感じさせずに  (石巻市丸井戸・高橋栄子)

梅雨に合う紫陽花(あじさい)の花生き生きと藍(あい)深き花人々を呼ぶ  (石巻市桃生・千葉小夜子)