短歌(7/28掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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三陸道通ればいつも見やる窓母の終(つい)なりし日赤(にっせき)の棟  (東松島市矢本・川崎淑子)

【評】三陸自動車道は日赤病院の近くを通っている。お母さんが終の日を迎えたのは石巻日赤病院だったのだろうか。三陸道を通ると自然に目がいってしまう母親が最後の息を引き取った部屋。遺族にとっては格別な場所である。悲しい場所でもあろうが、あるいは看護師さんへの感謝の気持ちを思い出すなつかしい場所なのかも知れない。親を送った場所として見える日赤のあの窓への切ない気持ち。名詞止めが生きた一首である。

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雄花手に雌花(めばな)を探し葉をめくる西瓜(すいか)畑の祖父の蜂真似(はちまね)  (大阪市住吉区・竹節温子)

【評】西瓜の交配の仕事に追われている祖父を詠んだ一首。ハウスの中では、交配の仕事は蜂が受け持つと聞いたこともありますが、蜂の真似ごとをするかのように仕事に夢中の祖父を詠まれた作品である。上の句には、仕事に対するひたむきさまでが丁寧に詠まれていて、仕事を愛する祖父が目に見えるようだ。大阪在住の若い作者が石巻に住む祖父を訪ねてきての作だろうか。次回の作品を待ってます。

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風の向き日向(ひなた)の匂いに現在地確かめて又眠る老犬は  (石巻市流留・大槻洋子)

【評】動物が自分の身を守るための感覚は鋭い。犬ならば狼時代の感覚が生きているのではないか。「風の向き」や「日向の匂い」から自分の現在地(それはおそらく「安全」であること)を確認してから眠るという犬の習性を詠んだ佳作。犬と生活を共にしている人にしか見えない犬の生態が、無理なく詠まれた作品である。見慣れたことを見直して、新しい発見に巡り合えれば、それは作者の大発見です。よく「見る」ことから作歌が始まります。

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出るはずのなき裏庭のひとところ<もじずり>咲きぬ今日は友の忌  (石巻市向陽町・後藤信子)

百歳が普通となりてわれも又あと二〇年生きねばならず  (石巻市向陽町・中沢みつゑ)

北限の茶畑営む鹿島園に初摘み終えてうぐいすを聞く  (仙台市青葉区・岩渕節子)

覚めぎわの脳は朝食考えず起きてしまえば手が作りだす  (石巻市中央・千葉とみ子)

脚腰(あしこし)の立つ今ならばもう一度釣に行きたしキノコとりたし  (東松島市大曲・阿部 一直)

霖雨の間雀がエサをねだるから麦飯分かつ箸(はし)休ませて  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

被災地の廃校跡地は波なして虎杖(いたどり)揺らぐほしいがままに  (女川町・阿部重夫)

弟に姉に声かけ馬鈴薯(ばれいしょ)の掘る日なかなか今日も雨降る  (石巻市恵み野・木村  譲)

名にし負う戦時生まれのわが友は「勝利(かつとし)」「勝」「征雄」と「靖男」  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

僧の説く十一面菩薩拝しけり坂も石段も帰途には軽し  (石巻市南中里・中山くに子)

鴫(しぎ)つつき千鳥よろけたあの干潟日がな眺めた頃もあったに  (多賀城市八幡・佐藤久嘉)

たましひを吸い込むやうに海霧(がす)流れ舳先(へさき)のカモメと霧笛聞くなり  (石巻市門脇・佐々木一夫)

荒海の木造船支える機械場の鐘の合図でハンドル回す  (石巻市水押・阿部磨)

葦原の瑞穂(みずほ)の沃野に植えし苗西風(ならい)で迎えよ豊穣の秋  (石巻市鹿又・高山照雄)

藍色はコイイロとでも言いましょうか遠い日二人で見てた海原  (石巻市大門町・三條順子)

今朝もまた犬を連れてたご婦人と逢えて嬉しや花いちもんめ  (東松島市矢本・奥田和衛)

あすなろに触れて誓いし遠き日よ誓い果たせぬ八十路(やそじ)の慚愧(ざんき)  (石巻市不動町・新沼勝夫)