【佐藤 成晃 選】
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延縄(はえなわ)の初釣り鮪(まぐろ)の心臓(ボツ)抜いて船霊(ふなだま)に祈る今日の豊漁 (石巻市水押・阿部磨)
【評】農民作家とか農民歌人とかいう言葉は文学史上にもしばしば出てくる言葉だが、ここの短歌欄のように「漁業歌人」が活躍する短歌欄はめったにはないのではないか、そんな気がしている。豊漁を祈る船上での儀式など、この作品を通して初めて知った。船上の緊張しきった空気が如実に伝わってくる作品の魅力は、例えようがない。若いころの苦しい体験が作品化されて読者の目を楽しませてくれる「短歌欄」だ。次作を待ちたい。
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来るたびにどうして頭に毛が無いのと孫撫でまわす小さき手もて (富谷市明石台・伊藤啓強)
【評】おそらく「抗癌剤」による脱毛か。お孫さんの行動から、「今までは髪がふさふさだったじじい」という読み方ができるからだ。「撫でまわす」は急変したじじいへのお孫さんの精いっぱいの愛情なのかもしれない。病院へお見舞いに来たお孫さんの何気ない行為が、作者にとってはたまらないのだ。「かわいい孫」と詠んでしまえば失敗作になるところを「小さき手もて」としたことで、読者たちの目を引くことになったのではないか。
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この頃は曾孫(ひまご)に会うを楽しみに十日過ぎれば遊ばれに行く (石巻市丸井戸・松川友子)
【評】孫の歌に劣らず、曾孫の歌が多く見られるようになった。短歌作者が長生きするようになった証しなのかも知れない。この作の場合、なぜ「十日過ぎれば」なのかは分からないが、「遊ばれに」が絶妙だ。ここの受け身表現がこの作品を「作品」たらしめているのではないか。自分の「受け身」を詠むことで、曾孫の「能動性」や「積極性」が生き生きとしてくるような気がしてならない。「受け身」で「積極性」を詠んだとも言える佳作である。
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雲垂れて空が小さく見える日の北洋(きた)の漁場の青黒き海 (石巻市駅前北通り・津田調作)
満州(まんしゅう)と呼ばれいし国に征きし叔父戦犯を背に異国に眠る (石巻市南中里・中山くに子)
バリバリと大きな鉄の爪の口開けてクレーンが解体始む (石巻市向陽町・中沢みつゑ)
ぼんのくぼのひさし揺らして遊ぶ子らの歓声聞こゆ風に乗りつつ (石巻市向陽町・後藤信子)
枝豆を芋(いも)を掘らせて弟とむかしむかしの飛び出す畑 (石巻市恵み野・木村譲)
生き方を少し変えろと雑草が暗示するよな雨後の生えかた (石巻市不動町・新沼勝夫)
届きたる背より大きなランドセル背負いて曾孫(ひまご)ははしゃぎて回る (石巻市中央・千葉とみ子)
寄るべなく絡みて伸びし藤蔓の棚色褪(あ)せて秋来たるらし (石巻市門脇・佐々木一夫)
裏庭に十坪ばかりの畑あり秋蒔き種子に心悩ます (石巻市鹿又・高山照雄)
朝日からパワーもらえる心地して病棟の端に立てばもう一人 (石巻市流留・大槻洋子)
研修の車窓に見ゆる出羽(でわ)の山心静かに両の手合わす (東松島市矢本・奥田和衛)
収穫の秋を迎えてこの季節台風それるをテレビに祈る (石巻市桃生・三浦多喜夫)
朝ぼらけ杜(もり)の都のビルの灯が空の碧(あお)さに淡く溶け込む (仙台市青葉区・浮津 文好)
赤蜻蛉(あかとんぼ)日溜まりベンチを独り占め身じろぎのなき羽のきらめき (石巻市蛇田・梅村正司)
大相撲観衆沸(わ)かす小兵らの巨体転がす技の醍醐味 (石巻市わかば・千葉広弥)
「最年長です」住職様の言葉にも自力で上る永平寺階段 (女川町・木村くに子)
背を丸め野菜作りに励む母土に触れてた姿生き生き (石巻市水押・佐藤洋子)