【佐藤 成晃 選】
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自己流の短歌(うた)に我が世を残さんと生き来し海に跡をたずねる (石巻市駅前北通り・津田調作)
【評】「自己流の短歌」だけれども、その短歌を創ることで自分の生きた証しとしたいという作者。その内容は船上で働いた若き日の過酷な体験だろうか。「我が世を」を残したいために思い出す船上での生活のあれこれ。あんなにつらかったことが、今の作歌の支えともなっているのだ。中身はかなり重いことを詠みながら「すらすら」と読めるのは57577の型に収まっているからだろう。型と内容のバランスがとれている佳作だ。
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銀色にたなびくススキを掻き分けてガマズミ採りしも現在(いま)はうたかた (石巻市高木・鶴岡敏子)
【評】「銀色」と「ガマズミ」との色彩が対照的で美しい。ガマズミは「そぞみ」や「そぞめ」などとも呼ばれているが、甘味の少なかった往時の少年少女にとっては心惹かれる物であったに違いない。銀色の中の朱色という魅力的な存在でもあったガマズミは思い出の塊(かたまり)でもあるが、老いてしまった今の私にとっては「うたかた」(泡)になってしまったと。上の句の鮮烈な色彩感がしぼんでいく寂しさは寂しさとしても、表現が持っている寂寥感に惹かれた。
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朝刊に慕はしき人の歌探す調べを作るといふ名の吾が師 (石巻市駅前北通り・工藤久之)
【評】この新聞の「短歌」欄を読んでいるうちに、いつの間にか「作歌」に踏み込んでしまった作者。師匠はこの「短歌」欄に居るのだから感激だ。名前は下の句に書かれている人だ。クイズではないが、皆様にはお分かりでしょう。古今集の序文にも書かれていますが、短歌(うた)には人の生き方に影響を及ぼす力があるんですね。こうして仲間が増えていくことが何よりもうれしい。今までに気が付かなった別の自分を発見したたとき、自然に歌が湧いて来るものです。
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雨あがれば一心不乱に編み直す蜘蛛(くも)の働きをそっと見守る (東松島市赤井・佐々木スヅ子)
たぐい稀(まれ)な台風ニュースにひと日暮る相撲番付進みゆく中 (石巻市南中里・中山くに子)
高齢化紙面をひらけば高齢化下段にたっぷり長生き広告 (石巻市恵み野・木村譲)
夏終(なつじま)い知らせねばとの蝉の声令和酷暑のかん高き声 (石巻市大門町・三條順子)
今年また網戸にすがり啼く蝉に夫の来しやと思われてならぬ (石巻市中央・千葉とみ子)
朝まだき中天高く輝ける下弦の月は空にとけこむ (仙台市青葉区・浮津文好)
夏草の青さに負けずこれ見よと言わんばかりに彼岸花咲く (石巻市桃生・大友雄一郎)
二学期が始まりたりし子らの声弾み行く背のランドセル踊る (石巻市丸井戸・松川友子)
まだ残暑の厳しき中の停電にいのちを落とす人もいたとか (石巻市向陽町・中沢みつゑ)
久しぶりに妻弾く大正琴(こと)の音の聞こゆ痛みし傷のやや癒えるらし (石巻市駅前北通り・庄司邦生)
朝露を一杯背負いかがやくもあと数日の黄金三月草 (石巻市桃生・三浦多喜夫)
夏越しの更地の叢(やぶ)にすっと立つマリーゴールドの金環二輪 (石巻市開北・星ゆき)
一匹の蝿がうるさく邪魔をする酒のツマなる新鮮ホヤに (東松島市矢本・奥田和衛)
彼岸より招く真紅(しんく)の登り花迷ひもせずに咲き誇るなり (石巻市門脇・佐々木一夫)
今日もまた赤旗立てて岬道にひびく発破のようやく終わる (女川町・阿部重夫)
子が巣立ち祭り広場は遠のけば今宵は花火の音を楽しむ (石巻市桃生・米谷智恵子)
受話器からかわいい子どもの声がして我も急いでかわいいバアバに (角田市・佐藤ひろ子)