短歌(5/3掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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静かなる暮らし一変と言いながら増えし家族に張り切るバアバ  (石巻市向陽町・後藤信子)

【評】この短歌作品を鑑賞するについては、これまでの投稿歴から知りえるさまざまな情報を総動員しなければならない。御主人との二人だけの静かな生活が終わったその後の家族の動静を作品化したものだ。もしかしたら、孫連れの子どもさん家族と同居することになったのだろうか。にぎやかな家族になって、ついつい張り切ってしまうバアバ。「バアバ」とは作者自身のことだ。賑やかさで夫亡き後の寂しさを忘れようとしておられるのか。喜びが抑えられているが、自然と滲んでくる佳作。下の句、秀逸。

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満開の一目千本に宴(うたげ)なし並木は風の渡る音のみ  (石巻市蛇田・菅野勇)

【評】「三密」不可で花見の茣蓙(ござ)やブルーシートが今年は無くなってしまった。遠くまで続く桜の下には、いつもの乾杯乾杯が無い。コロナウイルスで世情が一変してしまった。ただ桜の枝を吹く風の音だけが響き渡っているさびしさ。「満開」とか「千本」とか「宴」という大きな言葉の下に「なし」とか「のみ」を置いてで絞っていくことで、寂しさが引き立った作品となった。コロナ関係の作品が応募はがきに数首あったが、この作品に心が動いた。

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短歌(うた)ひとつ纏(まと)めてほっと息を吐くまぶたに浮かぶ青き海原  (石巻市駅前北通り・津田調作)

【評】難渋の末にやっとまとまった一首。推敲に推敲を重ねてまとまったときの満足感で「ほっと」一息ついたのだろう。気持ちのいい一息だったに違いない。若いころ魚を追って走り回ったあちこちの海の様子がぐるぐる頭の中を回ったのかもしれない。三十一音しかない小さな世界だが、沢山のことが歌えることは誰もが知っている。青年・壮年時代の漁労の世界がこうした詩に昇華していくことの喜びは例えようがないものだ。新人の参加を待っております。

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かんぬきをかけた世代の同窓会どんぶく童子(わらすこ)話途きれず  (石巻市大門町・三條順子)

子ら五人帰りて行けば五人分の食器は棚の奥に収まる  (石巻市羽黒町・松村千枝子)

海豚(いるか)にも鯱(しゃち)にもなれず捕はれて牡鹿半島を観に来る鯨  (石巻市恵み野・木村譲)

蝶一羽ひらりと回り飛びさりぬ「不要不急」を思い出したか  (東松島市赤井・佐々木スヅ子)

我が影が背すじ伸ばせと喝(かつ)入れる老いゆく我を鼓舞するごとく  (石巻市不動町・新沼勝夫)

小女子(こうなご)を探しあぐねて泣くかもめ牡鹿の海に春は来たのに  (石巻市門脇・佐々木一夫)

苗の束ほどよく放る父なりき結子(ゆいこ)のもとへ届けとばかり  (石巻市南中里・中山くに子)

穏やかな四月の空を切り裂いて黒いマンタ(F15)が飛び出して来る  (東松島市矢本・川崎淑子)

門前(かどまえ)の白木蓮(はくれん)が老いの肩に降るわずかに温き春惜しみつつ  (仙台市泉区・米倉さくよ)

この地区にべっぴんおばさん集まりて百歳体操見事にこなす  (東松島市矢本・奥田和衛)

コロナゆえ花は咲けどもテレビにて今年の花見終わりとせんか  (石巻市駅前北通り・庄司邦生)

一度でも言いたかったな「俺はプロ」一人よがりのどんぐりだけど  (石巻市桃生・佐藤俊幸)

オブラート一枚ずつを剥ぐように心をめくり再びペンとる  (石巻市丸井戸・高橋栄子)

漁船(ふね)下りてまさかの出会いの短歌道 投稿うながす声ありがたし  (石巻市水押・阿部磨)

空高くさえずる雲雀 減反の田の面の麦をすいすい燕  (石巻市桃生・大友雄一郎)

幼子に泣かれまいとて猛者(もさ)の叔父ネコ鳴きまねと顔面作る  (石巻市開北・星ゆき)

野に山にあふれるばかりの桜見て家に帰ればうがい手洗い  (石巻市中里・上野空)