短歌(8/23掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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忘れたと一日(ひとひ)に何度言うのやらそれも忘るる今日日(きょうび)この頃   石巻市駅前北通り/庄司邦生

【評】「物忘れ」は「高齢」の代名詞みたいなものだった。そして許されてもいたものだった。「呆(ぼ)け」や「耄碌(もうろく)」などと親しみを込めて呼び捨てにしていたものだった。最近は高齢者の人格に傷をつけない呼び方をするようになっていて、人格を認めることになっているらしいが、その分表現面での個性や面白さが消えかかっているのではないか。とにかく私も「忘れる」ことが普通になってしまったと思うくらい「忘れる」し「思い出せない」。現代短歌作歌法の根幹の一つは、自分をよく見つめることだ。それをしないで草花を詠んでみたり、鳥や月を詠んだりする。自分から「逃げている」みたいに思われてもしかたがない。自分を冷たく見据えた後にみえる草花や月の光はそれなりの独自のひかりを放つのではないか。投稿者すべてへの問いかけである。

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分校の図書教室が遊び場で初めて知りし広島のこと   石巻市流留/大槻洋子

【評】小学生の生活が生き生きと表現されている一首である。たかが小学生だが「されど小学生」の意味がよくわかる一首である。しかも広島という日本の臍(へそ)を自分の力で発見できた図書教室。単なる「遊び」で終わらなかった小学校時代の子どもの「時間」を考えさせられた一首であった。出だしの「分校」では、作者の生涯のことを思いやることができる。このようによく働く言葉で短歌を創ることが求められているのである。佳作。

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反抗期はおやじが敵だった盆来れば稲田の風に涙腺ゆるむ   東松島市大塩/羽生憲明

【評】「男児」にとっての「父親」の存在理由は。その答えが「涙腺ゆるむ」だ。「骨肉の争い」「血で血を洗う」など、血肉の争いを面白く言う言葉にも事は欠かないが、結句での「涙腺ゆるむ」がすべてを解決へ導いているようだ。「稲田」とあるから父親の生業(なりわい)(農業)も見えるように工夫している。何回読み返しても味わい深い一首だ。誰にもこれに近い少年時代があったはず。そこを避けて短歌を詠むことは不可能なのではないか。自分を見つめることが作歌の第一歩だと肝に銘じておいてほしい。

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老いづきて歌などかじり始めれば平均寿命がわれに近づく   石巻市恵み野/木村譲

「つば」「胸」と忙しく動く監督の指さすままに駆け逝く走者   石巻市南中里/中山くに子

自家製の夏野菜たちつやつやと赤・紺・緑並ぶ朝朝   石巻市水押/佐藤洋子

傘寿過ぎて米寿へ続く坂道を焦(あせ)らず踏みしめ上りゆきたし   石巻市中央/千葉とみ子

朝刊を開けばパット目に入る同姓同名が訃報(ふほう)の欄に   石巻市丸井戸/高橋栄子

ヨガに集う女の背にある生きざまの履歴はすべて合掌のなか   石巻市開北/星ゆき

今年また墓石に愛おしき雨蛙声をかければゆるりまばたく   石巻市大門町/三條順子

老いし今遠い記憶の忘れもの呼べばかすかに昭和の海が   石巻市駅前北通り/津田調作

校庭はいま夏休み合歓(ねむ)の花校舎の時計は三時を示す   多賀城市八幡/佐藤久嘉

どくだみに占領された我が庭で古参の花々平然と咲く   東松島市赤井/佐々木スヅ子

一画のパズルのごとく駅前の広場に並ぶタクシーの列   石巻市蛇田/千葉冨士枝

梅雨明けの雄勝の浦の空と海くっきり分ける海霧(うみぎり)の白   東松島市矢本/川崎淑子

道端にポイ捨てられしマスクあり様済みなれどなぜか侘しく   石巻市不動町/新沼勝夫