コラム:安らかに眠って下さい

 「被爆75年を迎えるこの夏、広島市と長崎市がハワイの真珠湾に浮かぶ戦艦ミズーリ( USS Missouri )記念館で原爆展を開く。会期は7月~9月。両市がここで原爆展を開くのは今回が初めて」

 今年2月、このような報道に接しました。75回目の終戦の日を迎えた先週の15日、先のニュースを思い出し、しばし感慨にふけりました。真珠湾への日本の奇襲攻撃で始まった太平洋戦争は、米国による原爆投下を経て、ミズーリの甲板上で日本が降伏文書に調印して終結。そして、同じミズーリの記念館で原爆展が開催される...

 昨年の秋の暮れ、久しぶりに広島を訪れ、原爆慰霊碑(正式名:広島平和都市記念碑)に祈りを捧げました。皆さんご存知の通り、慰霊碑の前面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。1952年、自身も被爆者である雑賀(さいか)忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫(きごう)したものです。

 一読するとこの日本語はスーッと心に入ってきますが、実は長い間「過ちは繰返しませぬ」の主語は誰なのか、日本人かアメリカ人もしくは世界人類かを巡っての議論がありました。川端康成「雪国」で、冒頭部「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった...」の「トンネルを抜け」たのは誰なのか、それが分からないと英訳は不可能です。これも、日本語の曖昧(あいまい)さを代表する一文と言えるでしょう。

 論争を経て、「このような惨劇は人間世界に再びあってはならない」と主語は人類全体とする解釈に落ち着いているようです。

 碑文を考案した雑賀教授は次のように英訳しています。

 Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil.

 広島平和記念資料館に問い合わせたところ、これが公式の英訳とのことです。

大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)