短歌(9/20掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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手花火を家族と囲めば亡き夫の持ちえぬ時間の長さに佇む   石巻市開北/星ゆき

【評】手花火は今も家族で楽しむ夏の風物詩だ。夫の初盆を迎えての手花火は格別なものがあったに違いない。一家に流れるゆったりした時間が見えるようだ。こんなゆったりした時間が夫にはあったのだろうかという想像が一首を詠ませたに違いない。この作品の欠点をあえて探せば「夫の持ちえぬ」か。ここを現在形で読んでしまっているが、過去形で読むべきところではないだろうか。作歌歴の長い作者への老婆心?としてここに書いておきます。

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島に生まれ船子稼業を務め来し夏雲に呼ぶ黒潮の海   石巻市駅前北通り/津田調作

【評】自分の生涯を振り返ってみると、おおよそは船上での漁労に終わったという反省が頭をよぎるのだろうか。けれども後悔しているわけではない。黒潮の船上で見上げた夏雲の様子が思い出されてならない。今も夏雲を見上げるたびに、あの海の雲のさまが思い出されてならないという。雲を見上げて海を思い出すことが、今の、老後の自分を支えているのかも知れない。若いころの漁労の思い出が自分の今の生活を支えているとしたらこれに勝る幸福はないのではないか。しかも、それを五七五七七の形式に流し込んで短歌に仕上げる幸せ。作者は今二重の幸福を手に入れているのだとしたら、これに勝るものはないのではないか。作歌を続けてほしいものだ。

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来年度の「十年日記」の案内を受けしもしばし返事は出来ず   石巻市向陽町/鈴木たゑ子

【評】1月から3月までの間ぐらいだろうか。書店に入るとずらり日記や手帳が並ぶ。仕事をもっている人にとってはどれも必需品だ。さて、「十年日記」の前でためらった思い出がわたしにもある。「これから十年・健康でいられるかな」という自問自答だ。この十年日記も3年目になると面白い。話題の少なくなった老いた夫婦の「話のたね」になるのだ。「去年はこうだった」「一昨年はこうだった」と日記を見ながら話に花が咲くことも多い。安いものではないが、損をするものではない。どちらかというと多くの読者に勧めたいと思っている。

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大和堆(やまとたい)に煌々とイカを釣る日本漁船に日の丸の輝(て)る   石巻市水押/阿部磨

うねうねと腹腔まさぐる内視鏡命の行方たどりて進む   石巻市門脇/佐々木一夫

水を遣り肥料を与えて太らせて今年の夏は自分の世話だけ   東松島市赤井/佐々木スヅ子

母親に似てる私の節くれた手はしっかりと物をつかめる   石巻市大門町/三條順子

じりじりと競い鳴いてるせみの声残暑に負けぬと言わんばかりに   石巻市水押/佐藤洋子

ごくごくと水を飲みます喉でなく心だろうか乾いてゐるのは   石巻市桃生/佐藤国代

神前の榊(さかき)の葉散るハラハラとこの世に何の未練無きごと   石巻市南中里/中山くに子

朝夕の薬は一錠になっただけ一錠に減っても心軽やか   石巻市丸井戸/高橋栄子

早朝のチャイムの下の蟷螂(かまきり)は今も終戦を知らないらしい   石巻市恵み野/木村譲

啄木の句を思いつつ戯れに孫の背にあり三時の茶の間   石巻市蛇田/菅野勇

盟友の面影薄れゆく日々の冥途を思う今日は命日   女川町/阿部重夫

紫蘇巻きと漬け物上手な友が逝く「餅懐石」は行けず仕舞いに   東松島市矢本/菅原京子

見渡せば白一面に蕎麦の花痩せた土とて人の手を得て  多賀城市八幡/佐藤久嘉

絶景に心惹かれてグーグルで荷物を持たぬ旅を続ける   石巻市流留/大槻洋子