短歌(10/4掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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鉛筆とボールペンとをざっくりと茶筒へ立てて七日生まれず   石巻市恵み野/木村譲

【評】結句の「七日生まれず」が分かりにくい。作歌の準備は万端整ったが、作品が浮かんでこなかった、と一応理解しておきたい。それにしても、「ざっくりと茶筒へ立てて」あたりの姿勢が何とも言いようがないほどしゃっきりとしていて気持ちがいい。Z(ゼット)音は音感が濁っている分、印象が薄暗くなりがちだが、ここでは音感で「生きた」言葉になっているのではないだろうか。短歌は意味や内容が問われることが多いのだが、作品は声に出して読んだ時の感じも捨てがたい。その点にも注意して作歌に取り掛かって欲しいものだ。

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機械化にて八十八手かからずになりしが美味しわがササニシキ   石巻市桃生/三浦多喜夫

【評】「米」という字をよく見ると漢数字の八十八にも見える。「八十八歳」の長寿を祝う「米寿」という言葉はここから生まれたのだろうか。農業も機械化されて昔のように沢山の手はかからなくなったが、自分が育てたササニシキに勝るものはないと詠(うた)う。単なる自画自賛ではないだろう。「米」への執心がなせる「自信」に違いない。うまい米を食べてほしいという一念で88回も手を差し出してきたという農家の良心(民謡の歌詞にもなっていますね)と自信から出た言葉に違いない。私も農家の二男。父の米への執心を近くで見てきた。五七五七七も父は手放さなかった記憶がある。

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巻き戻し出来ぬは浮世の常なれど老いて恋いおり海の耀(かがよ)い   石巻市駅前北通り/津田調作

【評】上の句が言っていることは常識だ。常識だけでは「短歌」にならない。下の句で一首が持ち直したような印象だ。「時間は逆に巻き戻せないが、思い出として青年時代のつらい漁労を思い出させるのだろうか。その「思い出」は「耀いて」いるのだから脱帽だ。「思い出す」という心理操作は時間を巻き戻すこととは次元が異なるものだが、その心理操作で青年時代の自分に会えるのだから真似てみたいものだ。作者が「思い出」の中で会えるのは「ひたむきな」「一生懸命な」自分であるに違いない。そのような「過去」を積み重ねておけば「思い出したい」という欲望にかられるのではないか。うらやましい限りだ。

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体力の衰え著きも気力あり敬老の日に届く胡蝶蘭   石巻市向陽町/後藤信子

帰りえぬ更地のままの9年余生まれし土地に吐息を落とす   石巻市中央/千葉とみ子

オラと言う一人称で立つ案山子(かかし)どこか昭和の野良着が似合う   多賀城市八幡/佐藤久嘉

図書館じゃなくてどこかに出かけたい爪の光のうつくしい日は   石巻市大門町/三條順子

淡淡と喜怒も悲哀も受け止めて八十路に向かわん凡庸の吾   東松島市矢本/川崎淑子

べらんめえの口調に生きて錆つかぬ鉄路のごとき桂子師匠逝く   石巻市開北/星ゆき

秋の空新内海橋の渡り初め老いらのマスクら歩みの軽し   石巻市南中里/中山くに子

日焼けした我が顔なんどながめても変りはしない夏も終わりぬ   石巻市桃生町/西條和江

さらさらと糸ひくように雨の中白き四照花(はなみずき)明日は開かん   石巻市蛇田/千葉冨士枝

町内会の寄り合いのたび行事消ゆ反論意見はマスクで封じ   石巻市桃生町/佐藤俊幸

掌(て)を合わすこの身に遊ぶ黒アゲハ供えし花に纏(まと)うことなく   石巻市門脇/佐々木一夫

子育ても孫育ても終え見渡せば朝顔咲くを数えておりぬ   仙台市青葉区/岩渕節子

菅総理の初めに言ったお話が「国民の為」「働く内閣」   石巻市桃生町/高橋希雄

秋たけて空どこまでも澄み渡り里の山々色づきにけり   石巻市三ツ股/浮津文好