短歌(11/1掲載)

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【佐藤 成晃 選】

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牛(べこ)泣かす南部牛追い爺唄う泣くほど爺になついていたり   多賀城市八幡/佐藤久嘉

【評】ネットの記述によると、岩手県の中西部に位置する西和賀町沢内地方で作られたお米を盛岡まで牛の背に乗せて運んだ際に歌われた曲と言われています。岩手県が誇ってもいい民謡ではないでしょうか。この短歌の内容と民謡「南部牛追い唄」がどのように重なるかは分かりませんが、牛と牛を飼っている人との温かいつながりが伝わってきそうな感じがします。「田舎なれども」で始まるこの歌の哀調を帯びた高音の節回しが、そのまま牛に対する愛情にも聞こえて来るから、民謡は捨てられません。多賀城市民会館は東北地方の民謡大会の会場にもなっているから、作者は直接この歌を聞いての感動を一首にまとめたのかも知れません。「泣くほどなついていた」という表現から、なんとも言えない感動を味わいました。

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一人居も二人も嵩(かさ)に大差なしゴミ出す朝(あした)香る木犀   石巻市向陽町/後藤信子

【評】夫を亡くしてから数ケ月たっての作歌。ごみの量は一人の今も夫との二人の時もそんなに変わらないと言う。今は1人居だから2人の半分にはならない不思議さ。寂しさを紛らすためのすさびとして、不要な紙などを捨てることが多くなったのだろうか。生活の中では、ごみや不要物に対する意識が、男(夫)と女(妻)とでは、異なるのかも知れない。その意識に濃淡があるのかも知れない。面白いところに目を付けた作者の注意力に脱帽です。一人居の作品としては忘れられない佳作ではないだろうか。ごみと好対照の木犀の気持ちのいい香りが「ごみ集積場」に流れてきたのだろうか。亡くなった夫が大切にしていた樹なのかも知れない。

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如何にともせんすべ無くて預け妻千羽鶴との冬がまた来る   石巻市恵み野/木村譲

【評】「預け妻」とはよく言えたと思う。高齢で病気の作者の奥様である。知人から送られた千羽鶴と共に過ごすことの多い入居者(入院者)になってしまっているが、作者は「如何にとも」できない。同情してどうなるものでもないが、昨年と同じように友人たちに贈られた千羽鶴と施設で冬をすごしてもらわなければならないのが実情。そのような状況になってしまったことは作者の責任ではないだろうが、「責任がない」とは言えないのも実情。冬が来て、そして正月が来てと考えるとやはり自宅で一緒に新年を迎える「家族」としてのそれなりの和気を伴ったお正月を期待してしまうのも当然だろう。だが、「せんすべも無し」と嘆かざるを得ない作者である。

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拡げ見る合羽(かっぱ)の鱗(うろこ)によみがえる海の夜嵐嵐のマスト   石巻市駅前北通り/津田調作

子や孫へ残す物とて特になし「美田残さず」は偉人の言葉   石巻市蛇田/菅野勇

わが生活(くらし)不足在らねど子供らはひとりを案じ折々に問う   石巻市中央/千葉とみ子

ため池の水面にポチャンと小石投げ広がる波紋に手を振る児等は   東松島矢本/奥田和衛

四枚目の葉に押し付ける「幸福とは何ですか」とため息を吐く四葉のクローバー   東京都狛江市/三上栄次

田の神はこの夏暑き災いもじイとこらえて恵みを与う   石巻市桃生/三浦多喜夫

木々の葉や色とりどりに模様変え秋本番に進み行くなり   石巻市桃生町/西條和江

生きねばと家の近くに荒地借り季節遅れの種を蒔きたり   石巻市大門町/三條順子

朝ごとの姉との電話「ご飯食べた?」「薬も飲んだ?」変な挨拶   石巻市高木/鶴岡敏子

出来立ての空気を吸って細胞に送り届けん朝いち歩き   石巻市桃生町/高橋冠

おだやかな顔に秘め持つ建築家丹下健三の激動の昭和   石巻市蛇田/千葉冨士枝

秋雨に通学童の射す傘に金木犀のオレンジが降る   石巻市水押/阿部磨