コラム:転石苔むさず

 かつて英国を旅した時、ビートルズの故郷リバプール(Liverpool)からほど近いマンチェスター(Manchester)を訪れました。世界史の授業で「イギリス産業革命の中心地」と習ったこの都市を、ぜひ見たかったからです。

 通りを歩いていたら、窓に家の写真を並べた店が。住宅の売買をする不動産屋(real estate agent)でした。「どれくらいするのだろう?」と価格を見比べて驚きました。同じ地域の場合、新築同然の家よりも、蔦(つた)に覆われた煉瓦造りの古民家に10倍近い値がつけられているのです。「古き良きものに価値を見出す」というイギリス人の気質について論じた本を読んだことがありますが、それを不動産屋の店先で知ろうとは!

 よく知られた諺(ことわざ)に「転石苔(こけ)むさず/苔を生ぜず」というのがありますが、これは" A rolling stone gathers no moss."(転がる石は苔を集めない。moss=苔)という古いイギリスの諺に由来します。

 川の中にある石など、転がり続ける石には苔が付かない...頻繁に住所や職業を変えたりする人は成功しないという、忍耐の必要性を説く言葉として使われていました。苔ができるためには長い年月がかかるものなので、伝統や歴史を重んじる保守的なイギリスならではの発想と言えましょう。

 一方、アメリカにおいては苔は否定的なものと考えられ、「活発に活動している人は、いつまでも古くはならない、新鮮だ」という全く逆の意味になります。伝統や歴史は古臭くて価値の無いものとする考え方は、かつて新天地を求めてアメリカ大陸に移住した人たちの革新的な精神を反映しているようです。

 ただし、英米の解釈の違いはあくまでも一般的なもので、厳密には個人や文脈によって変わることもあります。

 ちなみにローリングストーンと言えば、イギリスのロックバンドのローリングストーンズを思い浮かべる人も多いかもしれません。これはイギリス風の意味で、風来坊とか、職業不詳な人、あちこち転がり回る人、根無し草などの解釈でよさそうです。

大津幸一さん(大津イングリッシュ・スタジオ主宰)