短歌(2/28掲載)

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【斉藤 梢 選】

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踏み出した足は未来に着地して後ろの足を過去より引き出す   東松島市矢本/川崎淑子

【評】歩くということについてあらためて考える。生きていればこその<現在、過去、未来>ではあるが、未来が見えずに過去だけに囚われることもあるだろう。「踏み出した」の初句に、気持ちの変化を知り、「過去より引き出す」の結句には意志を感じる。このように表現するために、作者は何度も自分の歩みを見つめて確かめたはずだ。歩行行為を詠みつつも、心の前進を表現している一首である。そして、見えない心情を的確な言葉で詠もうとすることが、作者を支える。日々の一歩を大切にしたいと思う。

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小袋を開けて今宵は草津の湯コロナを忘れ一時安らぐ   石巻市桃生町/千葉小夜子

【評】寒さとコロナ禍で、心も体も縮こまっている今年の冬。この一首は、読者をも温かい気持ちにさせてくれる。「小袋を開けて」の具体がいい。自粛生活でも「草津の湯」をたのしむという心ばえ。「今宵は」の「は」に、昨夜は<熱海の湯>だったか<別府の湯>だったかと想像することもたのしい。下の句には実感が詠み込まれ、ウイルスの終息をひたに願う今を残す。下の句「コロナを忘れ安らぐ如月」の方法も。

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古書店へ売り渡したる歌論集一年経ても書架にならべり   石巻市駅前北通り/庄司邦生

【評】「渡したる」の表現にある、本を手放したことへの思い。「歌論集」であるから、短歌に関わる人でなければ、なかなか手にとることはないだろう。売った本の存在と、その行方を確かめる作者。「一年経ても」の具体が語るのは<本の不在>のままに過ぎた作者の日常。「歌論集」の名を聞いてみたくなる。

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もうとまだ十年たちて故郷は見える復興見えぬ復興   石巻市水押/佐藤洋子

【評】東日本大震災からの十年を見つめる作者。「もう」なのか「まだ」なのか、「もう」でもあるし「まだ」でもあるという気持ちの揺れ。あえて「見えぬ復興」と言う。詠むことは、震災の真実を伝えることである。

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蔦おほふ高層たやすく壊されて人惜しみゆく蔦のくれなゐ   石巻市開北/星ゆき

海を見て海と咄(はなし)を聴いているあの刻どこでなじょしていなすた   多賀城市八幡/佐藤久嘉

語らえばあとは忘れる悩みなり大きい悩みは老いには持てぬ   石巻市羽黒町/松村千枝子

病廊のヒールの音の快活さ杖ながめつつ涙流るる   東松島市野蒜ケ丘/山崎清美

早寝すりや二度めぐりくる焼芋のすこし震へて遠ざかる声   石巻市恵み野/木村譲

被災地をあわれと思う故里をいとしと思う弥生月来る   石巻市大門町/三條順子

寒風に耳を澄ませば聞えくる海の夜嵐虎落の笛が   石巻市駅前北通り/津田調作

音もなく白く冷たき六つの花道をふたぎて重く連なり   石巻市門脇/佐々木一夫

硬い布くぐりつづけて役目終えやわい豆腐に供養をされる   石巻市桃生町/高橋冠

ようやくに朝の献立定まれば朝露の中さざんか咲けり   石巻市流留/大槻洋子

半世紀春土起こすトラクター排気の音はどこか悲しげ   石巻市北村/中塩勝市

バンザイと言う程でもない八十の誕生日一人あんもち食べる   東松島市赤井/佐々木スヅ子