【斉藤 梢 選】
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春なればもっと真面目に生きねばと十年前の大勢の無念へ 石巻市恵み野/木村譲
【評】東日本大震災から十年。ようやくのぼり終えた十年という<歳月の段(きだ)>。作者は「もっと真面目に生きねば」と言う。なぜなら、「大勢の無念」を心に置いているから。植物は芽吹き、桜が咲き、人々は冬という籠りの時から解放される春。しかし、作者の胸中には、あの大震災で亡くなった人たちの「無念」と、被災をした人たちの「無念」を思う気持ちが消えずにある。もちろん自らの「無念」もだ。被災地と呼ばれる前の春と、今年の春とでは、迎える心情が違う。「真面目」という言葉が、棒のように強く真っ直ぐ「春」の景に立っている。
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心配と期待のまじった未来図を月単位で描(か)く八十路の吾は 東松島市赤井/佐々木スヅ子
【評】心に描く「未来図」。さまざまな心情が入り交じり、明るく描こうと思っても、心配の影が射す。八十路の作者にとっては「月単位」だと言う。一か月の暮らしを大切にして、未来へ進んでゆくという意志に敬意を表したい。「未来図」を描くことは、明日を見つめていることだと思う。
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語り部の言うは真実未来永劫消ゆることなきこれが真実 石巻市桃生町/三浦多喜夫
【評】震災の被災体験を語る「語り部」。語る人は実体験の真実を話すことで、震災を伝える。自らの被災を心の底から何度も掘り起こすように話す「語り部」の、その真摯な言葉を「未来永劫消ゆることなき」と詠む。二つの「真実」が被災地に直にひびく。忘れてはならないという作者の思いを受け取る。
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故郷の思い出哀しいことばかりなのに身の奥ぬくく居座る 石巻市羽黒町/松村千枝子
【評】「身の奥」にぬくく居座る「故郷」。「哀しいことばかり」と表現して、「なのに」で転調する複雑な心境。人は生まれ育った場所の空気を吸って成長する。身体が覚えている故郷の四季、そして人々。「故郷」そのものに抱かれている実感としての「ぬくく」だろう。
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雪解けの水を集めて北上川(きたかみ)は海に注いで役目を果たす 石巻市桃生町/高橋冠
南極の氷溶けつつ水割りのグラスに響く遙かなる音 石巻市駅前北通り/庄司邦生
過ぎ去りし昭和懐かし人生の色濃き時を歯を食いしばり 石巻市不動町/新沼勝夫
啄木に北上川茂吉に最上川童話のごとき夕陽が沈む 石巻市蛇田/千葉冨士枝
四温細き三寒の風頬ふれて十五の頃のにがてな春の香 石巻市開北/星ゆき
いつの日かマスク外して春風の花の下にて歌吐きださむ 石巻市門脇/佐々木一夫
豆つぶれ鉄棒の錆にまみれた手やっとこ二度の逆上がり出来た 石巻市大門町/三條順子
年寄りて数多のニュースに追いつけずひとり善がりの短歌(うた)を編みおり 石巻市駅前北通り/津田調作
川面吹く弥生の風は滑らかに初音は葦の波を渡れり 東松島市矢本/川崎淑子
寂しげな冬の色から桜色つい口ずさむユーミンの曲 石巻市水押/佐藤洋子
ロウバイの蕾ほころび東風(こち)柔し香りを乗せて吹き渡るなり 東松島市赤井/茄子川保弘
長の漁疲労困憊気が重く今朝の食事の緑が癒す 石巻市水押/阿部磨