短歌(4/25掲載)

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【斉藤 梢 選】

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此処だけは空気を直に吸ふところ下仁田葱の三百本植う   石巻市恵み野/木村譲

【評】上の句に実感がある。ウイルス感染を防ぐためのマスクの着用が常となっている日々。正直、息苦しい。空気を吸うことは、四季を味わうことでもある。畑での作業の時だけは、「直に」空気を吸うことができると詠みながら、コロナ禍以前の呼吸を思う作者か。初句の「此処だけは」にある切実な現状に頷く。「三百本植う」の行為から想像できる時間と空間。日常の平穏は空気を吸うというごく当たり前のことにあることに、誰でもが気付くこの春。

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たばこやめ三十五年経ついまも美味しと喫(す)えるわれを夢見る   石巻市駅前通り/庄司邦生

【評】眠っている間に、作者だけ見ることができる夢。脳内では過去のことが再生され、夢として認識される。「三十五年」の年月が経つ今も「美味し」と思ってたばこを吸う夢を見る作者。味覚のある夢であるという解釈は「われを夢見る」ではなく「われの夢見る」とする場合か。原作の「われを」であれば、眠りの「夢」に限らずの願望の「夢見る」かもしれない。

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萌黄色増してざはつく里山や声潜ませてうぐひすの鳴く   石巻市門脇/佐々木一夫

【評】里山の春の気配を詠む。植物の命の勢いを表現している「ざはつく」がいい。春に萌え出る草の芽を表わす萌黄色、そして「うぐひす」という具体が季節を伝えている。「潜ませて」という捉え方が独特。

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水の字と関わり哀し閖上の河口に春の蜆舟五つ   多賀城市八幡/佐藤久嘉

【評】閖上を訪れた作者が見た光景の「蜆舟五つ」。東日本大震災の津波被災地であるゆえの「哀し」であろう。河口に佇む春の日の感慨が初句と二句におさめられていて、「閖上」の今を残す。 

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永き日に祈る姿の水仙の蕾ほぐれゆ語りだすよに   石巻市開北/星ゆき

あのこともこのことも言葉にださず庭の石かげに咲く福寿草   石巻市蛇田/千葉冨士枝

田植日の天気気になる稲の苗チャンネル変えて晴マーク追う   石巻市桃生町/佐藤俊幸

菜の花を飛び交う蜂の忙しげに花掻き分ける羽の煌めき   石巻市蛇田/梅村正司

川土堤にいま盛りあがり咲きているさくらの花はついに動かず   石巻市桃生町/三浦多喜夫

桜咲き老いの厚着も解けたのに余多のニュースに胸も開けず   石巻市駅前北通り/津田調作

故郷の停車場で食むうどん蕎麦味も器も今も変わらず   女川町/阿部重夫

ほつほつの芽吹きを見れば三月尽力のごときものの湧きくる   石巻市向陽町/後藤信子

短歌の欄私の名前見つけては父が喜ぶ孝行なるかな   石巻市水押/佐藤洋子

黄砂には鉄分あると言われても比較出来ない百害と一利   東松島市赤井/佐々木スヅ子

コロナ禍に織り成すマスク二(ふた)春を越えて来たるもみちのり険し   石巻市わかば/千葉広弥

春寒や夫の小言の増えゆきて心の埃増えてゆく日々   東松島市野蒜ケ丘/山崎清美

朝まだき霞に煙る山々は稜線黒く空に浮かびて   石巻市三ツ股/浮津文好

甲子園最後の一点もぎとりて一瞬の笑み弾ける校歌   石巻市南中里/中山くに子