【斉藤 梢 選】
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此処だけは空気を直に吸ふところ下仁田葱の三百本植う 石巻市恵み野/木村譲
【評】上の句に実感がある。ウイルス感染を防ぐためのマスクの着用が常となっている日々。正直、息苦しい。空気を吸うことは、四季を味わうことでもある。畑での作業の時だけは、「直に」空気を吸うことができると詠みながら、コロナ禍以前の呼吸を思う作者か。初句の「此処だけは」にある切実な現状に頷く。「三百本植う」の行為から想像できる時間と空間。日常の平穏は空気を吸うというごく当たり前のことにあることに、誰でもが気付くこの春。
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たばこやめ三十五年経ついまも美味しと喫(す)えるわれを夢見る 石巻市駅前通り/庄司邦生
【評】眠っている間に、作者だけ見ることができる夢。脳内では過去のことが再生され、夢として認識される。「三十五年」の年月が経つ今も「美味し」と思ってたばこを吸う夢を見る作者。味覚のある夢であるという解釈は「われを夢見る」ではなく「われの夢見る」とする場合か。原作の「われを」であれば、眠りの「夢」に限らずの願望の「夢見る」かもしれない。
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萌黄色増してざはつく里山や声潜ませてうぐひすの鳴く 石巻市門脇/佐々木一夫
【評】里山の春の気配を詠む。植物の命の勢いを表現している「ざはつく」がいい。春に萌え出る草の芽を表わす萌黄色、そして「うぐひす」という具体が季節を伝えている。「潜ませて」という捉え方が独特。
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水の字と関わり哀し閖上の河口に春の蜆舟五つ 多賀城市八幡/佐藤久嘉
【評】閖上を訪れた作者が見た光景の「蜆舟五つ」。東日本大震災の津波被災地であるゆえの「哀し」であろう。河口に佇む春の日の感慨が初句と二句におさめられていて、「閖上」の今を残す。
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永き日に祈る姿の水仙の蕾ほぐれゆ語りだすよに 石巻市開北/星ゆき
あのこともこのことも言葉にださず庭の石かげに咲く福寿草 石巻市蛇田/千葉冨士枝
田植日の天気気になる稲の苗チャンネル変えて晴マーク追う 石巻市桃生町/佐藤俊幸
菜の花を飛び交う蜂の忙しげに花掻き分ける羽の煌めき 石巻市蛇田/梅村正司
川土堤にいま盛りあがり咲きているさくらの花はついに動かず 石巻市桃生町/三浦多喜夫
桜咲き老いの厚着も解けたのに余多のニュースに胸も開けず 石巻市駅前北通り/津田調作
故郷の停車場で食むうどん蕎麦味も器も今も変わらず 女川町/阿部重夫
ほつほつの芽吹きを見れば三月尽力のごときものの湧きくる 石巻市向陽町/後藤信子
短歌の欄私の名前見つけては父が喜ぶ孝行なるかな 石巻市水押/佐藤洋子
黄砂には鉄分あると言われても比較出来ない百害と一利 東松島市赤井/佐々木スヅ子
コロナ禍に織り成すマスク二(ふた)春を越えて来たるもみちのり険し 石巻市わかば/千葉広弥
春寒や夫の小言の増えゆきて心の埃増えてゆく日々 東松島市野蒜ケ丘/山崎清美
朝まだき霞に煙る山々は稜線黒く空に浮かびて 石巻市三ツ股/浮津文好
甲子園最後の一点もぎとりて一瞬の笑み弾ける校歌 石巻市南中里/中山くに子