2022年4月10日付 プロローグ/古墳時代、他地域と交流
◆第1部 石巻地方を考古する
2022年4月13日付 (1)遺跡って何?/過去の人が残した痕跡
2022年4月20日付 (2)考古学ってどんな学問?/遺物から生活、文化 復元
2022年4月27日付 (3)いつから人が住んでいたの?/7500年前には定住始まる
2022年5月4日付 (4)発掘調査ってどうやるの?/専門員 記録取り進める
2022年5月11日付 (5)どうして何年前って分かるの?/科学と地層で新旧 検証
2022年5月18日付 (6)貝塚って何?/再生も願う ごみ捨て場
2022年5月25日付 (7)米は作っていたの?/約3000年前に稲作始まる
2022年6月1日付 (8)古墳はあるの?/円墳3ヵ所 埴輪も出土
2022年6月8日付 (9)日本の国はいつできたの?/古墳時代にヤマト国家
2022年6月15日付 (10)「蝦夷」って何?/東北の異民族 指し示す
2022年6月22日付 (11)古代の石巻地方はなんて呼ばれてたの?/最も古いのは日高見国
2022年6月29日付 (12)石巻地方はいつから日本の範囲に?/平城宮遷都前の可能性
2022年7月6日付 (13)城柵ってなに?/蝦夷征討する軍事施設
2022年7月13日付 (14)考古学が解き明かす歴史の実像/祖先の暮らし 浮き彫り
◆第2部 太平洋と北上川が育んだ文化と交流
2022年7月20日付 (1)古代石巻地方の面白さ発見/日本の歴史と深く関係
2022年7月27日付 (2)石巻地方の地形の形成/大河が豊かな環境 育む
2022年8月3日付 (3)縄文時代の石巻地方(1)/交易の広さ 土器に表出
2022年8月10日付 (4)縄文時代の石巻地方(2)/漁撈具発祥地の可能性
2022年8月17日付 (5)石巻地方の弥生時代/大規模な遺跡 ほぼ皆無
2022年8月24日付 (6)古墳時代人 石巻に現る Ⅰ/東海、北海道からも移住
2022年8月31日付 (7)古墳時代人 石巻に現る Ⅱ/移住の要件、お墓を発見
2022年9月7日付 (8)古墳時代人 石巻に現る Ⅲ/海辺から丘陵に移動か
2022年9月14日付 (9)倭国の北縁と東アジア/他国の情勢に対応開始
2022年10月5日付 (10)古墳時代中期の日本/石巻地方 円墳造られる
2022年10月12日付 (11)古墳時代後期 空白の時期/ヤマト王権の勢力外に
2022年10月19日付 (12)推古天皇と聖徳太子<上>/国交を求め遣隋使派遣
2022年10月26日付 (13)推古天皇と聖徳太子<下>/集落再出現 関東と交流
2022年11月2日付 (14)五松山洞窟遺跡/埋葬の謎 王権の政策か
2022年11月9日付 (15)石巻地方の画期/南北文化合流の結節点
◆番外編 発掘された日本列島2022展と毛利コレクション
2022年9月21日付 (上)貴重な史料 地元で公開
2022年9月28日付 (下)丁寧な調査 研究者が光
◆第3部 律令国家の形成と境界域の石巻地方
2022年11月16日付 (1)ヤマト王権から律令国家へ/大化の改新 地方も影響
2022年11月23日付 (2)大化改新-乙巳の変/城柵設置し蝦夷を服属
2022年11月30日付 (3)柵戸と牡鹿柵<上>/関東からの移民 再出現
2022年12月7日付 (4)柵戸と牡鹿柵<中>/蝦夷と移民で協働集落
2022年12月14日付 (5)柵戸と牡鹿柵<下>/白村江に柵の民も出兵
2022年12月21日付 (6)ヤマト王権の墓と蝦夷の墓/文化の混在 墓制に表出
2022年12月28日付 (7)石巻地方の移民の墓-矢本横穴墓群 I/東北古代史の定説 覆す
2023年1月4日付 (8)石巻地方の移民の墓-矢本横穴墓群 Ⅱ/墓前の儀礼変化 物語る
2023年1月11日付 (9)石巻地方の移民の墓-矢本横穴墓群 Ⅲ/都 出仕した役人も眠る
2023年1月18日付 (10)石巻地方の移民の墓-矢本横穴墓群 Ⅳ/里に住む人全体を埋葬
2023年1月25日付 (11)石巻地方の移民の墓-矢本横穴墓群 Ⅴ/故郷の器 葬儀用に運搬
2023年2月1日付 (12)在地民の墓-和泉沢・山田・合戦谷古墳群/北上川を境に別の文化
2023年2月8日付 (13)ヤマト王権の初期政策-官家としての柵・駅造営/移民の囲郭集落が出現
◆第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配
2023年2月15日付 (1)律令国家の成立とあつれき/反乱鎮めに多賀城 造成
2023年2月22日付 (2)律令制の成立と城柵官衙の改変/国家政策で方位、真北に
2023年3月1日付 (3)新しい牡鹿柵の構造と機能/城柵、藤原宮期に大改修
2023年3月8日付 (4)官衙的土器の導入/宮都的な「食器」に変化
2023年3月15日付 (5)ムラの復興/蝦夷に戸籍 反乱の源に
2023年3月22日付 (6)海道の蝦夷の朝貢/国と三陸 交流の玄関口
2023年3月29日付 (7)新たな移民と律令制/蝦夷との関係安定図る
2023年4月5日付 (8)行政単位と石巻地方 I/8世紀 律令国家に編入
2023年4月12日付 (9)行政単位と石巻地方 Ⅱ/「海道」を裏付ける木簡
2023年4月19日付 (10)養老4年の蝦夷の反乱と国家の動揺/自由な生業 脅かされる
2023年4月26日付 (11)海道の蝦夷反乱と丸子大国の活躍/牡鹿柵周辺で焼き討ち
2023年5月3日付 (12)陸奥国府多賀城の創建/国家の威厳 蝦夷に誇示
2023年5月10日付 (13)陸奥から出羽への連絡路模索と城柵改修/秋田城拠点に北進政策
2023年5月17日付 (14)国府、城柵と郡家の役人/牡鹿郡から異例昇進も
2023年5月24日付 (15)小田郡の産金と牡鹿郡の丸子氏/産金功績? 連の姓 賜う
2023年5月31日付 (16)中央の政変と石巻地方のかかわり/嶋足 反乱で功績 国司に
2023年6月7日付 (17)古代石巻地方の人々/丸子氏一族 著しい活躍
2023年6月14日付 (18)陸奥国大国造 道嶋嶋足/地方から貴族に大出世
2023年6月21日付 (19)道嶋氏一族の活躍/鎮守府の高官、副将軍も
2023年6月28日付 (20)道嶋氏の居宅と「舎人」の刻書土器/赤井官衙遺跡内に存在
2023年7月5日付 (21)奈良時代前半の牡鹿地方-国家への編入/蝦夷と公民 共存に不和
◆第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢
2023年7月12日付 (1)律令国家の版図拡大政策と蝦夷/38年戦争発端は桃生城
2023年7月19日付 (2)桃生城造営/8000人以上の労力費やす
2023年7月26日付 (3)伊治城造営/版図拡大へ山道の拠点
2023年8月2日付 (4)大国造道嶋宿禰嶋足の請う所なり/公民67人が一括 改賜姓
2023年8月9日付 (5)古代石巻地方の人々/大半の建物 猛攻で焼失
2023年8月16日付 (6)海道蝦夷、桃生城を襲撃/上総・紀伊国とつながる
2023年8月23日付 (7)伊治公呰麻呂の乱/国家に反旗 多賀城放火
2023年8月30日付 (8)牡鹿郡家の移転/赤井官衙から田道町?
2023年9月6日付 (9)古代石巻地方の田夷「真野公」氏/稲井・真野が本拠の蝦夷
2023年9月13日付(10)古代牡鹿・桃生の延喜式内社/海や川、山の安全を祈る
2023年9月20日付(11)牡鹿地方の須恵器生産/須江丘陵全体に窯分布
2023年9月27日付(12)陸奥海道地方最大の須恵器生産地1/謎多い遺跡「瓦山窯跡」
2023年10月4日付(13)陸奥海道地方最大の須恵器生産地2/簡略化し伊治城へ供給
2023年10月11日付(14)陸奥海道地方最大の須恵器生産地3/土器に仏教信仰の証し
2023年11月1日付(15)陸奥海道地方最大の須恵器生産地4/災害復旧で生産拡大?
2023年11月8日付(16)陸奥海道地方最大の須恵器生産地5/調査の成果、極めて重要
2023年11月15日付(17)古代の鉄生産と加工/製錬、工房跡が見つかる
2023年11月22日付(18)古代の塩づくり/江ノ浜貝塚で藻塩焼き
2023年11月29日付(19)漆工房/文字残す漆紙発見、期待
2023年12月8日付(20)胆沢の蝦夷攻略作戦/38年戦争経て城柵築く
2023年12月13日付(21)蝦夷征討の終焉と道嶋氏/陸奥平定活躍後、姿消す
2023年12月20日付(22)平安末期の石巻地方/突如出現、「水沼窯跡」
2023年12月27日付(完)エピローグ/南北から影響、境界地域
◆番外編 東北学院大博物館「復興と発掘調査」展
2023年10月25日付 「総合展示」11月8日まで/10月28、29日に日本考古学協会2023年度宮城大会