短歌(5/1掲載)

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【斉藤 梢 選】

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春(はる)疾風(はやち)家のめぐりに音のして「風かしら」とう妻の声する   石巻市駅前北通り/庄司邦生

【評】暮らしの中で聞いた音を詠む一首。「春疾風」は「はるはやて」とも言う春の季語であり、春に吹く強風のこと。人は目に見えない風の存在を、その音で知り、風を詠むことは人が自然と共に在ることを認識することにもなるだろう。作者は家の中にいて風の音を聞いて「春疾風」が吹いていると感受する。妻もまた風を聞いていて、その声で風を伝える。同じ風の音を聞いている夫婦の時間は、詠むことによりこうして残ってゆく。心の耳で聞く音の「春疾風」。

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知人の名なき広告にほっとするこの一枠の悲しみ思う   石巻市羽黒町/松村千枝子

【評】新聞をひらいて死亡広告を見ているのだろう。この日は、知人の名がなかったのでほっとする。ほっとしながらも、自分とは関わりの無い人だとしても「この一枠」の重みを作者は感じている。死を伝える数行を読みつつ、故人の家族の悲しさを思う作者。「この一枠の悲しみ思う」という下の句は、胸に迫る表現であり、命の尊さをあらためて思わせてくれる。

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さてと言い長閑なニュースに切り替わる心も顔も置き去りにして   石巻市流留/大槻洋子

【評】アナウンサーの「さて」という声で切り替わるニュース。その切り替わりに気持ちがついていけないと詠む。それほどに、心を占める辛い報道だったのだろう。連日のウクライナの戦禍の報道に心が痛い。

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同じ月静かな日本照らす月ウクライナでは戦場照らすか   東松島市矢本/畑中勝治

【評】遠いウクライナの地と避難している人々を思う夜。日本にある平穏を感じつつ、この春の月を見ている作者の胸を締めつけるウクライナの凄惨な現状。「戦場照らすか」の表現には悲しみと願いが滲む。

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観覧車妻と回りて五十年時代(とき)の流れの早早(そうそう)と過ぐ   東松島市矢本/高平但

クロッカスまだ余白ありと衛兵の守りの如く並び競いて   石巻市渡波町/小林照子

ささやかな私怨を持ちて身の底の生き抜くすべの種火となしぬ   石巻市開北/星ゆき

手間かかる自分の世話に嫌気さす長いつき合い邪慳にも出来ず   東松島市赤井/佐々木スヅ子

病室の窓から見える夕桜病む弟との最後の景色   石巻市あゆみ野/日野信吾

わら筵広げて呑んだ花の下沖出し前の一夜の宴   石巻市水押/阿部磨

虫を食う番組のあり一瞬に稲子を追いし幼に戻る   石巻市南中里/中山くに子

思い出は雲に浮かびて風に消え晩酌のコップにまた映りくる   石巻市駅前北通り/津田調作

庭の梅津波きたりて弱りしも花はかはらず香ぞ匂ひたつ   石巻市山下町/浮津文好

朝ドラに知らぬ自分史重ね観て亡き父母に今あるを告ぐ   石巻市渡波/菅原冨喜子

会場でくしゃみをすれば一斉に我を疑う視線射しくる   石巻市桃生町/高橋冠

黄の帽子一年過ぎて飾られる児の成長のはやさに驚く   東松島市赤井/茄子川保弘

茶話時にひょっこり狸庭に来て何をかぐのか梅木の下に   石巻市桃生町/千葉小夜子

直せない心のねじれ病む心薬となるはやさしい言葉   東松島市野蒜ケ丘/山崎清美