【斉藤 梢 選】
夢の中だけでもいいから逢いたくて「震災前行き」列車を待ちぬ 東松島市矢本/高平但
【評】二月十一日が過ぎると、震災報道が多くなる近年。三月十一日は、特別な日であり、被災した人にとっては、この日の二時四十六分の前と後では、すべてがまったく違うものになってしまった。作者は大切な人を震災で亡くされたのだと思う。「夢の中だけでもいいから」の言葉は、言い尽くせない悲しみの中から生まれた願いだろう。記憶の中にだけ生きている人に逢うために乗る特別な列車。時間を遡って震災の前の<あの時>に行きたいという気持ちが、一首から真っ直ぐに伝わり、切ない。あの日から被災は続いている。
友亡くしいまだ悲しみ貼りついて剥がしてくれよ海に降る雪 東松島市矢本/川崎淑子
【評】友を亡くした悲しみを胸に、日々を過ごす作者。「悲しみ貼りついて」は、とても深い悲しみであることを表している。自分ではどうすることもできない悲しみを抱えて、「剥がしてくれよ」と海に降る雪に語りかける。この一首は、雪と海にしか聞こえない、独白なのかもしれない。雪はどこまでも白く、海につぎつぎに消えてゆく。心に残る、冬の抒情歌。
湯たんぽのような言葉を抱きしめて友の家辞す外は粉雪 石巻市あゆみ野/日野信吾
【評】寒さの冬でも、友の言葉が作者を温める。友の家を訪れて共に時間を過ごす冬の一日。粉雪が降る道を帰るときも、「湯たんぽのような言葉を抱きしめて」いるから、満ちる心。友の存在がじんわり温かい。
友ら逝き二重線増える住所録その線上で思い出跳(おど)る 東松島市赤井/佐々木スヅ子
【評】住所録に二重線を引く時に思う友とのこと。亡くなった悲しみと友との思い出が、わっと作者の心をめぐる。鮮やかに甦る記憶のあれこれ。「跳(おど)る」が秀。
陽は見えず屋根から下がる氷柱さえとける暇なく鉾先磨く 東松島市赤井/茄子川保弘
怯むのは地震(ない)に出遭ってからの事なにかにつけて小心者に 多賀城市八幡/佐藤久嘉
ふり返り手をふり合いて角に消ゆ常遠き子は帰り行きたり 石巻市向陽町/後藤信子
北上川(きたかみ)の流れの淀に氷(しがこ)張り朝日に輝き水鳥集う 石巻市水押/阿部磨
ただ一枚の着物うちかけ柩閉ぢ残りの処分に娘を詫びる 石巻市開北/星ゆき
久々の氷柱の先に朝日差し燦めく色に目をうばわれる 石巻市須江/須藤壽子
大相撲貴景勝の踏んばりに拍手を送り夕餉の肴 石巻市桃生町/千葉小夜子
ケータイの電話帳ひらけば五年前逝きし友の名いまだ残れり 石巻市駅前北通り/庄司邦生
丹田に気を張り詰める初稽古マスク越しなる気合も籠もる 石巻市門脇/佐々木一夫
真っ白な雪を太陽照らしてる輝く朝の母の命日 東松島市矢本/畑中勝治
雲間から日差しが洩れて温くなる老いのエンジンゆるりと始動 石巻市不動町/新沼勝夫
寒さなど苦にせず母は商いの重き背の荷に磯の香詰めて 石巻市中里/佐藤勲
ならい風夕影迫る過疎の駅小雪ちらつき灯下の乏し 石巻市わかば/千葉広弥
介護してあれほどながくふれ合いて長女の我は亡き母ひとり占め 石巻市流留/和泉すみ子