【斉藤 梢 選】
思い出をふり返るのは脳によし青春貯金暮らしを助く 石巻市渡波/小林照子
【評】私たちは今を生きているけれど、今を生きながら昔のことを思い出す。思い出すことが多い事ほど、しっかりとした忘れることのない記憶になる。時には辛くもなるけれど、心を豊かにしてくれる記憶もある。記憶をたどることは脳トレにもなり、若き日のことをあれこれ思い出すことにより、心も身体もおのずと健やかになることだろう。「青春貯金」は記憶の蓄え。多くの記憶を持つことで心も潤う作者。「暮らしを助く」という心の持ち方に、作者の生き方の指針を見る。
庭に植え日々に眺める草花の息吹聞きつつ春を楽しむ 石巻市駅前北通り/津田調作
【評】春を悦ぶ歌であり、豊かな感性の歌でもある。作者が眺めている「草花」を想像したり、聞いたりしている「息吹」に読者もまた心を添わせたくなる。人間の命と「草花」の命の呼応をこの一首は表現しているとも言える。「息吹」を感じることができる春を、作者はしみじみと味わって、自身の生きる力としているよう。「庭に植え」の「植え」という行為を詠み入れたところがいい。「春を楽しむ」という純朴さが伝わってくる。
文庫棚に肩並べてる「ことりっぷ」昔々のニューヨーク街 石巻市湊東/三條順子
【評】女性向けの小さな旅のガイドブックである「ことりっぷ」。ニューヨークへの旅のために昔求めたのだろうか。ある時代の街の記録である一冊が、作者の文庫棚に立っている。古くなった情報でも恋しい。
亡き父母の回向(えこう)をしつつ親としてまた生まれてと願う吾あり 石巻市あゆみ野/日野信吾
【評】「親としてまた生まれて」に込められている心情が胸を打つ。定型に収められた亡き父と母への思い。詠むことで、さらに強く確かなものになる願い。
朝霞白一色の港街遠山淡く空に浮かべて 石巻市三ツ股/浮津文好
涙して我を送りし妣(はは)想う希望に燃える孫の旅立ちに 東松島市赤井/佐々木スヅ子
潮の香も薄れ干鱈の皮縮れ老いし漁師に春の陽温し 石巻市門脇/佐々木一夫
コロナ禍の寄りあいスムーズ酒のサがどこにもなくて本音歯痒し 石巻市桃生町/佐藤俊幸
春日向出船の波止場赤子泣くまた一年の航海(たび)のはじまり 石巻市中里/佐藤勲
早朝の庭木に小鳥の数の増す餌待ち居るかそれとも木の芽 石巻市南中里/中山くに子
朝霧の包む港に汽笛鳴る無事の入船安堵を知らす 東松島市赤井/茄子川保弘
下萌えの野辺をゆられて市場へと肉牛たちの瞳(め)ただうるはしく 石巻市開北/星のり子
春彼岸渡波歩けば震災から十二年もたちて新しき町へ 仙台市泉区/千葉咲子
午前四時庭に車の音のして息子帰り来夜勤を終えて 石巻市駅前北通り/庄司邦生
このところ一日(ひとひ)の時間長すぎて忙(せわ)しき日々がふっと懐かし 石巻市流留/和泉すみ子
春がすみ菜花摘み取る昼下がりキジ鳴く声に耳傾けて 石巻市桃生町/西條和江
我儘も無理も言わないこの人はいつも控え目我のみ立てて 東松島市矢本/畑中勝治
満開の日和山にてだんごをば頬張る児の手に花びら一片(ひら) 石巻市蛇田/菅野勇