【斉藤 梢 選】
青空に両手ひろげて深呼吸 春を入れたり肺の中にも 石巻市あゆみ野/日野信吾
【評】長くて寒い冬が去って、春を迎えるよろこびに満ちた一首。庭に水仙が咲いたり、木蓮が蕾をひらいたり、桜が咲き始めたりと、自然から春を受け取るこの時期。作者は、よく晴れた日の空に向かって深呼吸をしている。植物の芽や、風のあたたかみが春の到来を知らせてくれている。肺の中に「春を入れたり」の表現が感覚的で新鮮であり、作者自身が一本の木になっているようでもある。春には、春を享受して春の歌を詠もう。私達は季節と共に生きているのだから。
全集と雑学書すべて捨てた後本棚に咲く初心のこころ 石巻市桃生町/佐藤俊幸
【評】本棚を見直して、整理した後の感慨を詠む。全集も雑学書も、読み親しんで長く手元に置いていたものだろう。知識を得るために開いてきた、それらの書を捨てるのにはやはり決心が要る。この一首は、下の句がいい。「本棚に咲く初心のこころ」には、真っ新な心で、またさまざまなものを吸収しようとする柔軟性を見る。春にふさわしい「初心」だとも思う。
なにごともなき日は佳き日ふかふかのタオル取り込む春の夕焼 石巻市駅前北通り/工藤幸子
【評】日常生活の中で感じる春。夕焼をながめながら、タオルを取り込む時の幸せを表現している。「佳き日」に感謝しつつ一日を振りかえる作者。特別なことが幸せであるのではなく、普通の暮らしの中にこそ幸せがあると気付かせてくれる一首。夕焼が美しい。
秋の夜にこおろぎ鳴けば脳裏には昆虫食が浮かぶ世となり 石巻市流留/大槻洋子
【評】秋の夜を思い出しての作か。新たな食として注目されている「昆虫食」。こおろぎは、たんぱく質が豊富とされている。話題に敏感に反応しての作品。
新聞に載りたる古き鮎川の祭りの写真に亡き母さがす 東松島市矢本/高平但
葦の沖小舟の姿見え隠れ鋤簾引きするシジミ漁夫かな 東松島市赤井/茄子川保弘
卒寿すぎし吾を残して逝きし娘(こ)に顔すりよせて来世にと誓う 東松島市野蒜ケ丘/菊池はま子
春山に鳴く小綬鶏の鋭さや眠さ気だるさどこぞへ飛んで 東松島市矢本/川崎淑子
一枚づつしやぼんの香り含ませてちよつと奥へとこの冬しまふ 石巻市開北/ゆき
次々と孫が飛び立ち安堵すも大きい釜がさびしさ誘う 東松島市赤井/佐々木スヅ子
短歌ブーム老若男女詠み人に恥ずかしながら吾も一首を 石巻市不動町/新沼勝夫
亡き母が植ゑし水仙咲きにけりひともととりて遺影に供ふ 石巻市三ツ股/浮津文好
沿道の花たちと同じ仕草して風に吹かれるここちよき日よ 石巻市湊東/三條順子
見上ぐればふと気づきたる寒桜春に先がけ色づく蕾 石巻市南中里/中山くに子
『右大臣実朝』にみる歌ごころ太宰治の思い偲ばゆ 石巻市駅前北通り/庄司邦生
春の日の誰そ彼時はのどかなりこのまま月の出るまで待つか 東松島市矢本/畑中勝治
陽光に桜前線背を押され列島和ます北への旅路 石巻市わかば/千葉広弥
春灯火それぞれにある幸不幸ペンをはしらせ思いめぐらす 東松島市野蒜ケ丘/山崎清美