短歌(7/2掲載)

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【斉藤 梢 選】


草むらに玉(ぎょく)のごときの<蛇いちご>美しすぎて呼び名悲しも   東松島市矢本/川崎淑子

【評】小さな黄色い花を咲かせた後に、実をつける蛇いちご。その赤い実を、作者は「玉(ぎょく)のごとき」と表現する。草むらの緑の中に美しい石のように在る、実の赤。植物には名前があり、その名から花や草のイメージを得ることが多い。撫子、一輪草、薔薇、すみれ、鈴蘭など、名前が花に寄り添っていると感じられて、親しみを込めてその花の名を一首に入れて詠むこともあるだろう。結句の「呼び名悲しも」には、感慨がある。蛇いちごを見た日、作者は美しすぎる命を胸に、過ごしたのかもしれない。


幼児と若者達の笑顔こそカオスの世に射る希望の光   東松島市赤井/佐々木スズ子

【評】尊い命が奪われるニュースや、戦禍の報道には、心が痛む。日々、アナウンサーの声で伝えられる戦争の事実、犯罪に私たちは立ち止る。胸に食い込んでくるその黒いかたまり。今を生きる作者は「カオスの世」であると詠む。そして、「笑顔こそ」が「希望の光」と言う。「幼児と若者達の笑顔」の明るさが、作者に平和を感じさせ、「こそ」には、願いがこもる。


愛し子をのこし逝く人想ふときおぼろの月は赤き輪を付く   石巻市流留/大槻洋子

【評】愛しい子をこの世に残して、命を終える人を思う作者。見上げると、月には赤い輪が添うようある。この月に、この時の気持ちを預けているように思える下句が哀しい。詠むことは思いを残すことでもある。


漁船(ふね)下りて幾年過ぎても精神(こころ)には大漁不漁嵐や凪が   石巻市水押/阿部麿

【評】「幾年すぎても」は実感。漁船に乗ることがない今も、数々の漁の経験が「精神(こころ)」にあり、作者を支えていることをこの歌は伝える。生きて来た証しの一首。


初咲きの一尺五寸の房をもち鏡に映る昔の乙女   石巻市須江/須藤壽子

黒板とチョークの頃の思い出は生涯忘れじ生徒の明るさ   石巻市渡波町/小林照子

畳替へ香りの上の大の字や俺は男と見得を切るなり   石巻市門脇/佐々木一夫

わが夫の十三回忌七月を家族で待てりじいちゃん来ると   石巻市南中里/中山くに子

白波の千波を煽(あお)つ青あらし波濤つらぬく漁(すなどり)の舟   石巻市中里/佐藤いさを

我が浜に防潮堤がそびえ立ち失くした物の大きさ伝える   東松島市矢本/高平但

父母とはらからたちに経を読む遺影の笑顔我を見守る   石巻市あゆみ野/日野信吾

諍いの仲裁に入る愛猫に長生きしてと餌をやりおり   石巻市桃生町/千葉小夜子

生き物のイノチ手繰れば海に出るだから時折海を見たくなる   多賀城市八幡/佐藤久嘉

雨ガッパ予報外れの田植えなり晴耕雨読ならぬ日ありて   東松島市矢本/武田信子

吾の胸の道の駅なる古き友たくさん話してまた前をみる   石巻市流留/和泉すみ子

友来たりこの一年を語り呑むこれが最期であるかのように   石巻市駅前北通り/工藤久之

病弱の妻が作ったこの料理とってもうまいじゃがいもなのに   東松島市矢本/畑中勝治

汗を拭き腰を下ろして一休み山鳩の声風に乗り来る   東松島市赤井/茄子川保弘