短歌(10/8掲載)

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【斉藤 梢 選】


真夏日に部屋深くまで入(い)り込む陽椅子と一緒にあちこち逃げる   東松島市赤井/佐々木スヅ子

【評】作者の行為が生き生きと表現されて、今年の夏の暑さを詠み残す。春夏秋冬の四季の区切りがはっきりしていた頃は、真夏日も一時のことで、暑さを凌ぎつつ夏を味わったことと思う。部屋の深くまで届く陽差しを避けるために、居場所を移ることを「逃げる」として、心情を表したのがいい。「椅子」は座り馴れた一脚で、作者と共に夏を過ごしている相棒だろう。「暑い」とせずに、その実状を詠む方法が印象的。


永久に使わぬことを念じつつ避難タワーの草を刈る人   石巻市流留/大槻洋子

【評】作者はある日、津波避難タワーの周辺の草を刈っている人に気付く。そして、このタワーが永久に使われないことを念じて草を刈っているのだろうと、その「人」の胸の裡を思う。上句の言葉は、そのまま作者の願いでもある。東日本大震災の災禍を、十二年以上経った今も、忘れることはない。疾く逃げねばならないことが、起きないことを強く祈る、その祈りの象徴のような「避難タワー」ではないかと。


銀色に光るすすきのその奥の稲穂のかがやき深みゆくなり   石巻市あゆみ野/日野信吾

【評】一枚の絵というよりは、奥行のある映像を見ているような一首。すすきの銀色と、稲穂のかがやきは、自然からの贈り物のようでもあり、美しく尊い。「深みゆくなり」として、季節の移りゆくことに心を寄せた結句が優れている。


玄関の隅にまだある登山靴津波で錆びたが負けぬと置いてる   多賀城市八幡/佐藤久嘉

【評】「まだある」は、まだ置いているという作者の気持ちがこもる言葉だろう。錆びた登山靴は、作者と共に、震災後を闘ってきた。「負けぬ」にある気概。


延延と真夏日続き草や花熱に焼かれて秋庭侘し   石巻市水押/阿部磨

首都圏を台風過ぎればテレビより消えてしまいぬその後の進路   石巻市駅前北通り/庄司邦生

空澄みて鶏頭ひらき風涼し里は黄金(こがね)の裾を広げる   東松島市赤井/茄子川保弘

夕焼けに染まりて長き我が影は髪無き頭も見事に捉える   東松島市矢本/奥田和衛

いい風が今日は朝から吹いているこうして夏も秋へと移るか   東松島市矢本/畑中勝治

初秋の夜空に響く祭りの音姉さんかぶりのはねこの踊る   石巻市桃生町/西條和江

目をさらうムラサキシキブの鮮やかさ連なりし実の重さに堪えて   石巻市南中里/中山くに子

いくつもの思い出ありて幸せと独りを生きる命を生きる   石巻市流留/和泉すみ子

おかげさまは言って言われて身に沁みて独り暮らしに少しのエール   石巻市桃生町/佐藤俊幸

ラジオから流れし唄は「藤圭子」ふと思い出す十七の冬   東松島市矢本/高平但

海に生き陸に上がりて十五年牡鹿の海の波の音変わり   石巻市門脇/佐々木一夫

都会より家族三人(みたり)の初帰省こよみの斜線のみどりの眩し   石巻市開北/ゆき

群青の空にひときわ白き雲恩師の画集に見かけし色の   石巻市湊東/三條順子

亡き母が植えにし百合が今年また蟬時雨ふる庭に咲きおり   石巻市三ツ股/浮津文好