「これまで本当にお疲れさまでした、という気持ちを込めて、私たちはこうして体をさすってあげるんですよ」
死期が迫った父の体を丁寧に清拭(せいしき)し最後にクリームを手でやさしく伸ばしながら、看護師の女性が私たち家族にこう話してくれた。
父は脳内出血の後遺症で30年近く身体が不自由だった。出血の場所が悪く、常に疼痛(とうつう)もあった。母は20年ほど前に病気で他界し、以後、同居する私と妹が主に父を介護してきた。
2年前、85歳になった父は誤嚥(ごえん)性肺炎を患い、飲食できなくなった。母が亡くなってからもずっと家で暮らしてきた父を最期まで自宅で過ごさせてあげたいと思った。往診と訪問看護のお世話になりながら、残りの日々を一緒に過ごした。
意識がもうろうとする日が増え、それでも看護師さんが「庄子さん、また来ますね」と帰り際に声をかけると、父はそれに応えるように目を開けることがあった。看護師さんの温かい関わりが分かり、「ありがとう」と伝えたかったのではないかと思う。
命の灯が細く小さくなっていく父を見るのはとても悲しくつらかった。「これまで家族のために働いて、立派な家を建てて、奥さんが亡くなってからも頑張ってきたんでしょう」。こうした言葉が、私たちに父を大きな拍手で送りたいという晴れやかな気持ちを持たせてくれた。
訪問看護ステーションの師長として長年の経験を振り返り、父が亡くなってから話してくれた。「患者さんもご家族もそれぞれ違うので、私たちも悩みながら迷いながらなんですよ」。患者や家族、一人一人を思う深い愛情を感じた。今も感謝の気持ちでいっぱいである。
(庄子紀子 58歳 無職 仙台市若林区若林)
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三陸河北新報社は随想集「つつじ野選 愛の物語 50話」出版に伴い、読者が経験した「愛の物語」を昨年12月から募集しています。「恩師の愛情が人生の支えになった」「困っている仲間を助け、涙を流して感謝された」。かけがえのない愛を記した随想が寄せられました。投稿を随時紹介します。