投稿より 「バッパ先生を忘れない」

 私は仙北(現登米市米山町)の農家の四男に生まれ育った。戦後の新制中学に学び、高校へ進学できるような家柄ではなかった。

 昭和25年4月、中学3年になって受け持ちの先生がバッパ先生になった。親しみを込めてこう呼ばれていた女性教師だ。当時は就職難で近くに働くところがなく、卒業後が心配だった。

 5月頃の日曜日、バッパ先生が突然、私の家を訪ねてくれた。何事かと心配したら、高校進学を勧めに来てくれたのである。母はバッパ先生の説得を受け、受験だけはさせてみるからとなった。バッパ先生は息子が使ったという受験用の参考書5冊を私の手に渡し、「これで勉強すれば大丈夫」と励ましてくれた。

 私はうれしかったが、合格するだろうかと心配であった。受験高校は家から15キロの名門。同じ中学から受験したのは私1人だった。

 当時は合否通知が学校に届き、職員室に呼ばれて行くと、バッパ先生が駆け寄り、「合格よ」と言って抱きしめてくれた。

 高校に進学してからも私を気にかけてくれた。高校卒業後、公務員試験に合格して仙台の職業学校に入校したことを喜んでくれた。

 私が仙台市内の公所に勤務していた昭和53年秋頃だった。バッパ先生が田舎のバス旅行会に参加し、秋保温泉の帰りに私の職場を訪ねてくれたのである。

 受付から、観光バスの客が中沢に会いたいと言ってきていると連絡があり、急ぎ駐車場に行くと、バッパ先生がいた。私を抱き寄せ「大きくなったね」と言ってくれた。バスの中に案内され、皆さんに「私の教え子で自慢の中沢君です」と紹介してくれた。皆さんから「頑張ってね」と拍手をいただいた。

 帰りにバッパ先生が後部席に回り、手を振ってくれた。今日あるのは、バッパ先生のおかげだ。ひとときも忘れたことがない。

(仙台市青葉区中山 会社顧問 中沢常夫 87歳)

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