投稿より 「父の主治医付き外泊」

 私は臨床外科医として長きにわたり診療に従事した。社会の縮図である病院で患者と家族が繰り広げるさまざまな人間模様を垣間見てきた。最も心に残るのは、父親の事例である。

 父は生来健康で老人クラブ活動や俳句・短歌を楽しんでいた。90歳で大腸がんとなり、私が手術を行った。1年後に再発し、再び主治医を務めた。

 診療の合間に頻回に父を見回ることができたが、涌谷町に住む母が仙台市まで見舞うことは困難であった。そこで隔週末には実家に母と姉を車で迎えに行き、病室でアルバムを開いては昔を懐かしみ、童謡を歌っては笑い声が絶えなかった。

 時には病室から父を連れ出し、近くの温泉宿に家族で宿泊した。年老いた両親と水入らずのいで湯を楽しんだ。父は少量ながらも日本酒を飲み、刺し身に箸を運んだ。車いすで浴場へ連れて行き、背中を流した。子供の頃は大きく見えた体がやせ細っていた。そして同じ部屋に親子4人枕を並べて寝た。翌日はチェックアウトまでゆっくり休み、病室まで父を送った後、母を実家まで送り届けた。

 父は温泉に行くことを心待ちにしたが、急速に衰弱し、病棟の看護師たちも外泊中の急変を心配した。そこで「主治医付きの外泊だから大丈夫。何があっても想定内の湯治だから」と言って、看護師を説得した。しかし亡くなる1か月前には、母や姉が心配して行くことを控えた。

 父は最期まで意識が明晰(めいせき)で「私は大丈夫だけど、お母さんはどうですか」と、母を気遣い電話を毎日掛けた。亡くなる7日前、辞世の句「春雨の音を聴きつつ種を蒔(ま)く」を詠み、黄泉の世界に旅立った。

 父を看取(みと)った3か月間は主治医冥利(みょうり)に尽きたが、息子としては多くの忸怩(じくじ)たる思いがある。

(中川国利 72歳 医師 仙台市青葉区一番町)

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