投稿より 「書は分校で習った」

 私は登米市山間部の小さな集落の分校で4年生まで過ごしました。二つ違いの兄と一緒の教室で学び、兄が5年になって本校に行ったら、二つ違いの弟が入学してきました。七十二、三年前のこと。分校暮らしが当たり前だと思っていました。

 初老の先生が一人で教え、学校と自宅がつながっていました。先生の息子さんが後を継ぎ、隣村からお嫁さんをもらいました。別の学校に勤めていたやえこ先生です。

 私は3年生。やえこ先生に放課後、習字を教えてもらいました。1年生から4年生まで五、六十人いても畑仕事や草取りの手伝いがあって、参加できたのは5人だけ。初めて硯(すずり)で墨をすって筆で字を書くのに興味津々でした。

 忘れもしないのが、家に帰って「今日はひらかずの春」って書いたんだよって自慢したら、八つ違いの姉に大笑いされました。母はくすっと笑い、「平和の春と読むんだよ」と言われました。友だちの和ちゃんも一緒だったので「かず」としか読めませんでした。

 本校に行っても、中学生になっても習字の時間があり、とても好きになりました。中学を卒業すると全く書かなくなりました。

 76歳になって、町の長生大学に入学しました。何十年ぶりに書と向き合い、初めはうろたえてばかり。良い先生方に恵まれ丁寧なご指導の下、志を一つにみんなで取り組むことが何よりの楽しみになりました。

 心身共に老化が始まり、決して展示会などに出せる字ではありませんが、書く喜び、自由に好きなことをする幸せを感じています。それもこれも分校の時のやえこ先生のおかげです。今は亡き恩師に脱帽です。

(小山みき子 農業 82歳 石巻市桃生町城内)