社会人野球選手を引退し8年がたちました。社業に専念し、転勤を何度か繰り返した後、石巻の会社に戻りました。会社野球部を応援するため仙台市民球場の観客席で試合を見ていて「やっぱり野球は最高だな」と心から感じました。
野球を始めたのは小学3年。柴田町の公園グラウンドで地元野球チームが練習しているのを見て「すごく楽しそうで、やってみたい」と思ったのがきっかけです。父と母にお願いして地元チームに入りました。父は仕事が終わると一緒にキャッチボールをしました。母は試合の日に朝早くからお弁当を作ってくれて、すごくおいしかった。
中学生になり、仙台のチームで野球をやらせてもらいました。学校の授業が終わってから電車で通い、帰りは午後9時か10時。電車で寝過ごしたり、電車が動かずに帰れなくなったりした時は、父と母が迎えに来てくれました。
選手として成長すると、けがに泣きました。高校と大学時代に右肘を手術、大学では左足首靱帯(じんたい)断裂で入院しました。何度も野球を諦めようとしました。父と母がいつも優しい声をかけてくれたおかげで頑張ることができました。
社会人野球では地方遠征や東京ドームでの大会など遠くまで応援に来てくれました。引退を両親に伝えた時、とてもつらかった。父と母から「お疲れさま。ありがとう」と言われ、涙が出てしまいました。私は今でも野球が大好きです。
小学生から社会人まで、大好きな野球を続けられたのは父と母のおかげです。いつも全力で応援してくれた父と母は私の誇りであり、目標です。私も父や母のようになれるよう一生懸命頑張ります。父ちゃん、母ちゃん本当にありがとう。
(山木正博 39歳 会社員 石巻市南光町)