投稿より 東松島・矢本二中1年生の作文紹介 (上)

 三陸河北新報社が募集した「読者の愛の物語」に、東松島市矢本二中から1年生88人分の作文が寄せられた。「道徳の授業」の一環として、学年全体で取り組んだ。黒沼俊郎校長は「『愛』をテーマに自分の生活を振り返ることで、家族をはじめ多くの人たちに支えられていることに気付いた生徒が多い」と作文に取り組んだ効果を話す。

 中学1年生は小学生からの移行期を迎え「中1の壁」があると言われる。生徒たちは中学生活を1年近く過ごした自身や家族、仲間と向き合った。指導した保原美沙教諭は「自分自身を深く観察して具体的に文章にまとめている。作文を通して生徒たちの成長を感じる」と手応えを語る。

 寄稿文のうち、中1らしい感性で自分の生活を観察し、個性がにじむ作文を紹介する。


◆元気で頑張る祖父母の姿

 私のおばあちゃんはとても元気です。おばあちゃんはいつも朝に笑顔で元気に「おはよう」とあいさつをします。なので私も「おはよう」とあいさつをしますが、なんでいつも笑顔で元気に朝あいさつをするのか私はおばあちゃんに聞きました。
 「おばあちゃんなんで朝早くから笑顔で元気にあいさつをしているの」。おばあちゃんは「朝から元気を出さないと一日が楽しくない」と言っていました。私はそれを聞いて、確かにそうかもしれないと思いました。
 それで次の日にやってみることにしました。朝起きて元気よく「おはよう」と言うと、おばあちゃんも元気に「おはよう」と言って朝ご飯を食べました。その日はいつもより元気に過ごすことができました。
 あいさつをすることも大切だと思います。しかし普通にあいさつをしても気持ちがいいとは言えないと思います。ちゃんと気持ちを込めてあいさつをしたほうがいいと、私はおばあちゃんに教えられたんだと思います。皆さんも元気にあいさつをしてみてください。(佐藤 璃空)

 私はおばあちゃんの作る料理が大好きです。おばあちゃんは北海道に住んでいるので毎年冬に帰省しています。
 北海道に着いて空港から家に行く間はおなかがすきます。いつもおばあちゃんがおにぎりを握ってくれます。甘酸っぱい名前のわからない具が入っていたり、定番のサケが入っていたり、たくさんあります。どれもおいしくて、おばあちゃんの温かさがおにぎりから伝わってきて、まるで「よく来たね」「大きくなったね」と言われたような気がします。
 帰る日もおにぎりを握ってくれます。その時も変わらずおいしいのですが、来たときとは少し違って「帰っちゃうんだ」「さみしいな」のような少し悲しげな感じがします。
 おばあちゃんはこんなに私のことを大事に思ってくれているんだ、うれしいな、とおばあちゃんからの愛を感じました。私のことをこんなに大事に思ってくれるおばあちゃんとの時間をこれからも大事にしていきたいです。(五十嵐 美緒)

 僕には祖父がいます。80歳でリハビリを受けています。祖父はいつも、事あるごとに飛びついてきます。家族の誰かが出掛けたりすると、電話しようとします。祖父はすごく心配性です。そしていつも怒鳴っています。僕は、たまに面倒くさいと思うこともあります。
 でも、祖父のやりとりは家族みんなを思ってのことだと思います。僕たちが学校や仕事などで外出するときには「気をつけて」と言ったり、何時に帰ってくるか聞いてくれます。夜に出掛けるときには、懐中電灯を持つことを勧めてきます。家族の安全を思ってくれているのだと思いました。
 祖父は家族の誰にでも怒り、当たり前のように怒鳴ります。しかし、みんなは祖父を大事に思っています。祖父も、僕たち家族を大事に思ってくれていると思います。これからも家族の間の思いを忘れずに過ごしていきたいです。(渋谷 琉雅)


◆いつでも優しい母に感謝

 私の両親は共働きで、晩ご飯を一人で食べることがあります。ただ、誰もいない静かな部屋で食べるご飯はいつもよりおいしくない気がしています。
 ある日、私が早く家に帰った時、家にはまだ母がいてご飯を作ってくれていました。とても忙しそうで手伝おうと考えましたが、邪魔になるかなと思っているうちに、母は自分の準備の時間を削ってまでご飯を作っていることに気付きました。
 母を見送った後、自分がものすごく浅はかな考えを持っていたのではないかと実感しました。この前まで、作っている人の立場を知ろうとせずに、自分の都合で物事を考えていたのです。今更申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 この日から私の考えは変わりました。今まで、何げなく言っていた「いただきます」や「ごちそうさま」を心から感謝の気持ちを込めて言うようにしています。そうすることで遠く離れた人にも感謝の気持ちが伝わっているような気がします。(高橋 りほ)

 私の母は、毎朝私が家を出るときに手を振って、送り出してくれます。小学校のときからずっと続いています。以前は、何で毎回手を振ってくれるのかなぁと少しうんざりしていたときもありました。
 一度だけ「なんで毎朝手を振っているの」と聞いてみると「元気に送り出したいし、少し心配だからだよ」と言っていました。「行ってきます」と言うと母が必ず「いってらっしゃい」と返してくれるのも同じことなのかなと思いました。私が家に帰って「ただいま」と言うと、必ず「お帰り」と明るく返してくれます。
 それは、私が無事に帰ってきて良かったと安心しているからなんだと思いました。私は毎日、「行ってきます」や「ただいま」を当たり前のように言っています。それは、当たり前なのかもしれませんが...。自分のことを思ったり、愛してくれたりしてくれる人がいる限りずっと言い続けていきたいなと思いました。(八幡 春妃)

 僕の一日は、平凡な一日です。毎日同じ日々を過ごしているだけです。学校に行って家に帰る。帰ったら家族がいます。毎日のように声の大きい母にいろいろ言われ、部屋に戻ります。毎日、毎日、イライラしています。
 けれど、そう思っているだけです。口には出しません。今後も絶対に口に出すつもりはありません。
 だって、今どうやって生きているんですか。誰が毎日ご飯を作ってくれているんですか。誰が学校にお金を払っているんですか。誰が毎日「お帰り」と言ってくれるんですか。
 全部、家族がやってくれているから、今僕はここにいるんです。親がむかつくって思っても、出て行けなんて思ったことないし、近づいてくるな、なんても思っていません。
 むしろ困ったときにいつでも話を聞いてくれる。僕には、そんな家族がいるんです。一日は同じでも僕にとっては一つ一つ大切な一日です。そんなただの一日でいいんです。家族がいるからいいんです。(桶谷 蒼史)


◆見送り、掃除欠かさぬ父へ

 私の父は50歳になりました。僕が朝、中学校に行くとき、毎日欠かさず見送ってくれます。小学校の1年生の頃から見送ってもらっています。
 ある日「なんで毎日欠かさず見送ってくれるの」と聞いてみると、「しっかり安全に学校に行っているかを見守っているんだよ」と言っていました。父は、私が見えない位置に行ったとしても、大丈夫かなと心配してくれていると、言ってくれました。
 この言葉を聞いて私は「自分のことを待ってくれている人がいることは、とても幸せなことなんだな」と思いました。
 私は今は「行ってきます」や「ただいま」を言っています。僕が成長して1人暮らしをすることになったとしても、父や母が心配しないように「行ってきます」を言って出発し、帰ってきたときは「ただいま」を言って、父と母が安心するようにしたいです。(阿部 賢太郎)

 私の父はとてもきれい好きで、毎日必ず朝に家の廊下・キッチン・リビング・寝室の掃除をします。何年も前からずっと続けています。父は忙しく時間がなくても、風邪をひいていても掃除をします。
 私はそんな父の掃除をしている姿を見ると、手伝いたくなります。「私、手伝うよ!」と言うと、父は「いいよ、大丈夫。自分のことをやってな」と言われました。私は(なぜ、一人で掃除をしようと思うのだろう)と何だか不思議に思いました。
 父は私に手伝ってほしくなくてそう言っているのではなく、自分が今やらなくてはならないことを探して行動してほしい。こんな思いが言葉に込められているのではないかと思いました。私は、父のように毎朝家を掃除するとなったら、一人ではできません。ですから、毎日家を掃除してくれる人がいる、きれいな家に住むことができる私は幸せ者です。(千葉 優菜)