私の実家は気仙沼市で400年続く旧家です。終戦翌年の昭和21年、小学校に入学しました。戦後で物資の乏しいこの時代、わが家の家族は曽祖父、曽祖母、祖父、祖母、両親に私たち兄弟、姉妹が10人で総勢16人の大家族でした。
半農半漁の生活で、野菜や米麦、ノリ、カキなど自給自足の生活でした。現代のように何でも手に入る時代に生きていると、物のない子どもの頃が懐かしく、いろいろと貴重な体験ができたことをありがたく幸せに思います。
私の曽祖母は昭和の初め、40代で曽祖父の元に後妻として嫁いできたということを中学生の頃に初めて知りました。曽祖父が鬼籍に入った後も、曽祖母は全く血縁のない私たち大家族のために毎日の食事や洗濯、縫い物から家事全般を担って私たちを育ててくれたのです。綿入れはんてんは何枚も縫い上げ、裁縫の技術は見事でした。
日常の生活の中でしつけに厳しく、堅苦しいこともありました。清潔好きで、友だちが磨いた床を汚すと怒られました。
厳しさの中に深い愛情がありました。私たち一人一人の長所を見つけては褒め、自信を与えてくれました。姉妹の中で1番器量が良くないと劣等感を抱いていた私ですが、曽祖母は着物が似合うと思ったようです。私の頭をなでて「誠(まこと)さんに丸まげを結わせたら、なんぼ立派なおなごになるかなあ」と言ってくれました。曽祖母の優しい心に胸が熱くなりました。
本当に私たちのことを思い、家庭教育をしてくれた曽祖母は、私たちの心の中にいつまでも宝物として生き続けているのです。
(菅原誠 84歳 気仙沼市赤岩)
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