【斉藤 梢 選】
爪を切る如くあっさり切りたきにすべなきものが我がうちにあり 石巻市流留/大槻洋子
【評】心情を詠む一首。「すべなきもの」を胸に抱えながら暮らしている作者。できることなら、爪を切るように「切りたき」と願う。切ることができたら、すっきりするのにと。自身の内面を見つめて、苦悩を率直に表現しているこの歌に読者は共鳴する。真実をこのように言葉にしてみると、心が少し落ち着くこともある。詠むことは、自身と対話すること。詠んであらためて自覚する「我がうちにあり」だろう。
枝々が光をゆずりあう桜 開花の自慢待ち受ける日々 石巻市湊東/三條順子
【評】春の光をゆずりあっている桜の枝々。上句の表現が優れていて、桜の木が春の来ることを喜んでいるかのよう。開花を待っているとはせずに「開花の自慢」を待っているとしたところが独特。蕾や花を詠むことが多い桜。作者は、咲く前の桜に思いを寄せている。咲く準備をしている桜の木から漂う何かを感じているからこその一首。明るい方へ歩んでゆくような花を待つ日々。
ゆるり降る一片の雪を手にとれば夫の遺意か変わらぬ煌めき 石巻市須江/須藤壽子
【評】ゆっくりと落ちて来る一片の雪を、手のひらに受けた時に「夫の遺意」かと感じた作者。その「遺意」をしみじみと受け取りながら、最愛の人を深く思う。この時、作者は亡き夫の声を聞いたのかもしれない。心と心が呼び合う一瞬は、とても清らかで愛しい。
冬みかん萎びし味もまたいいと張りあるきんかん横目に見ている 石巻市羽黒町/松村千枝子
【評】萎びているみかんと、張りのあるきんかんが同居している季節。「萎びし味もまたいい」に、情感があり、人もまた歳を重ねて<人間味>が滲み出る。
寒さにもそろそろ先の見えて来て波間を翔るうみどりの数 石巻市中里/佐藤いさを
古本の「一箱市」は賑わいて歴女はうんちく語りて値切る 東松島市矢本/高平但
思い通りならぬ日もある老体に寂光浴びつつ短歌(うた)を編みゆく 石巻市駅前北通り/津田調作
縁側の切り取っただけの空だけどここが私の自由な大空 東松島市矢本/畑中勝治
沼の淵葦に絡まる鳥の羽雁の姿は北の空かな 東松島市赤井/茄子川保弘
ウトウトと春の日差しにつつまれてふと夢の中ふる里にいる 石巻市あゆみ野/日野信吾
霜枯れの擬宝珠の葉は透きゆきて葉脈のみに伏す凍て土に 石巻市開北/ゆき
被災禍の映像いくたびいつ見ても甦りくるムンクの叫び 多賀城市八幡/佐藤久嘉
種蒔いてあとは任せる土の菌出たとこ勝負これが楽しい 石巻市桃生町/佐藤俊幸
入選の百首記念も老いの短歌(うた)友らは笑いてわかるわかると 東松島市赤井/佐々木スヅ子
病院の帰りに見つけたミニ広場ゆらりゆられて一人ブランコ 石巻市西山町/藤田笑子
忘れてはいけないだろうか三月は春迎えたし軽き心で 石巻市駅前北通り/工藤久之
スマホには孫送信のひ孫いて泣きべそ笑顔飽きずに愛でる 石巻市蛇田/櫻井節子
この松はいつからここに生まれいるやがて朽ちゆく我に重ねて 石巻市門脇/佐々木一夫