【斉藤 梢 選】
この花に気づかぬ日あり鉛筆を何度も削り写経せしころ 石巻市流留/大槻洋子
【評】花の名前を具体的に示さずに「この花」と詠む。今は「この花」に気づくことができるのだけれども、気づかない日のあったことを「この花」を見て思う。作者の身近で毎年咲いている花であろう。一心に懸命に写経をしていたことが「この花」に気づいて甦る。何の花なのだろうと、読者は想像する。「鉛筆を何度も削り」は、ある時期の作者を支える行為であったのかもしれない。花を見ずに、鉛筆を握り続けていた日々が確かにあったことを一首に残す。
うぐいすの鳴く里山を詣でれば澄みし鳥語に笹の香ゆれる 石巻市須江/須藤壽子
【評】里山に春が来たことを知るよろこび。研ぎ澄まされた感覚で春を感受していることが、下句により伝わる。「澄みし鳥語」と表現するうぐいすの声。影山一男の「春の日の空には鳥語地にはわが幼女(をさなをみな)と草花のこゑ」の一首を思う。「笹の香ゆれる」としたところが優れている。
咲く桜散りゆく桜に人は寄る生きる喜び花に預けつ 石巻市駅前北通り/津田調作
【評】精一杯に咲いて、そして散る桜。咲く前も咲いている時も散る姿にも、人は心を寄せる。生きていればこそ見る一期一会の桜。この歌は、作者の人生の春の道で出会った今年の「桜」を詠む。「生きる喜び花に預けつ」には、深い感慨がある。
これの世の終わりのごときはなやぎに悉く花 一斉の花 石巻市向陽町/後藤信子
【評】桜の花に満ちているこの世。作者が感じている「はなやぎ」は、桜ならではのもの。「悉く花 一斉の花」という光景は、言葉にし難いほどに美しく艶やかである。きっぱりと言い切って魅力ある下句。
灯火が消える瞬間口もとが笑った父の穏やかな顔 石巻市水押/佐藤洋子
男気の長期操業時化のなか満船帰航と一報入る 女川町旭が丘/阿部重夫
公園の椿満開気もつかず耳目を塞ぐ事が多くて 東松島市赤井/佐々木スヅ子
さざなみを立てて流れる春の川水面(みなも)に映る入り日煌めく 石巻市あゆみ野/日野信吾
早春のアセビの香り木木青く寄り道楽し石だたみ行く 石巻市西山町/藤田笑子
春の雨さっきは白く今薄く色を変えつつ激しく降るよ 東松島市矢本/畑中勝治
誘われ歌碑読みにつつ散策す白百合香る万葉の森 東松島市矢本/高平但
さくら咲き観る歓びを分かち合う時は今ぞと笑顔が満ちる 東松島市矢本/川崎淑子
楽好きこそこっちの家系ときらりきら孫のクラリネット弟と聴く 石巻市開北/ゆき
町内に子が誕生もお知らせのひとつとなりて回覧板くる 石巻市向陽町/成田恵津美
桜咲き昭和の時を思い出す港に揃いし鮭捕る船を 石巻市水押/阿部磨
遅霜に濡れし愛車のボンネットその冷たさにハッと手を引く 東松島市赤井/志田正次
ありがとう言えぬ自分に嫌気さす一人何度も反すうするなり 東松島市野蒜ケ丘/山崎清美
人住まぬ庭に今年もこぶし咲く楽しい思い出回顧するごと 石巻市蛇田/菅野勇