短歌(6/2掲載)

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【斉藤 梢 選】


幾人(いくたり)の精霊とも見ゆ木蓮の純白あおぐ春陰のそら   石巻市開北/ゆき

【評】作者が見ているのは白木蓮の花。その花の咲く様子を、白い鳥が枝に止まっているようだと詠む人も多い。心の在り方によって、花の見え方が違うのだ。「幾人(いくたり)の精霊とも見ゆ」という見立ては、作者の心の中に今はもう亡くなってしまった人たちとの思い出があるからこそ、その人たちの面影を忘れずに思っているからこその表現だろう。「春陰のそら」に浮き立つように見える「純白」。きっと、咲き始めの木蓮だと思う。清らかな悲しみが漂う一首。


ふるさとの貝の器の夏料理俎板がわりの母の手のひら   石巻市中里/佐藤いさを

【評】望郷の歌であり、母を想う歌でもある。おそらく、思い出の中の「夏料理」であろう。食材の新鮮さを伝える「貝の器」。そして、新鮮なままで食べて欲しいというのは、母の真心。手のひらを俎板にしている母の姿は、今も生き生きと作者の心の中にある。かけがえのない記憶をこのように詠む時、過ぎし日の出来事がもう一度心の中で甦る。もう戻らない愛しい時間を詠み残していて、調べがとてもいい。


しとしとと雨のやさしい音聞こえ友の庭には藤のシャンデリア   石巻市西山町/藤田笑子

【評】作者は友の庭を見て詠んでいるのだろうか、それとも、友の庭の藤を心に描いているのだろうか。雨の音と藤の花に心を寄せる春のひととき。「藤のシャンデリア」で、その花房の見事なことが伝わる。


十三年過ぐるもかけがえなき友ら攫(さら)いし憎き三月の海   石巻市向陽町/成田恵津美

【評】東日本大震災から十三年経っても、「憎き海」と詠む。大切な友たちの命を奪った津波。作者にとっては今も「三月の海」は牙。悲しみと怒りを受け取る。


ふんわりとただよう蝶に気づかさるめぐる自然のかけがえのなさ   石巻市南中里/中山くに子

野仏へ皐月の風のやわらかし宥めるような海からの風   多賀城市八幡/佐藤久嘉

日曜の今日も空き地は花盛り黄のたんぽぽに会釈する朝   石巻市湊東/三條順子

「それはね」と新社会人の孫は言いニュースの言葉われに解説す   石巻市羽黒町/松村千枝子

新しき朝のひとときペンを執り今日なすべきこと吾と対話す   石巻市あゆみ野/日野信吾

満開の桜追いかけ角館 日本の四季の優雅なひととき   石巻市水押/佐藤洋子

遠山の根雪の如く残る影漁師の頃の五月の海よ   石巻市駅前北通り/津田調作

事終えて帰路の信号青青と奇跡のご縁を良き日と記す   石巻市須江/須藤壽子

お得だと特売品を買い過ぎて食べるに追われ食欲なくす   東松島市赤井/佐々木スヅ子

ニュータウン尾根までのびてカラフルに喜怒哀楽のジグソーパズル   石巻市流留/大槻洋子

葉桜に打ちつける雨冷え冷えと寒さ戻りて冬着取り出す   東松島市赤井/茄子川保弘

成り行きに委せて生きて七十年どう生きようか残りの道を   東松島市矢本/高平但

吾の前綿毛飛び交うゆらゆらと生命継ぐや何処の地でか   石巻市不動町/新沼勝夫

風吹けば松の木白いけむり上ぐきっと花粉だ木々にも春が   東松島市矢本/畑中勝治