【斉藤 梢 選】
田雲雀のあがりて春の空青し一日(ひとひ)テレビの悲しき口論 東松島市矢本/川崎淑子
【評】春の空へ高く舞いあがる「田雲雀」。春の季語の「揚(あげ)雲雀(ひばり)」を初句とせずに「田雲雀のあがりて」としたことで、作者の視線が空の青を捉えているのが伝わる。自然界は待ちに待った春の趣なのに、世の中はそうではない現状で「口論」が一日続いている。上の句と下の句にあるこの<隔たり>。「悲しき」という感情が湧いてくるのも当然のことだろう。しかし、この一首は悲しいだけの歌ではない。詠んだことで、作者の心の中にはこの日の空の色が広がり、生き生きとした「田雲雀」の姿が残ったのだと思う。
漁満たし怒濤の暗夜針路西 舳先に安堵の金華山(きんか)の灯台(あかり) 石巻市わかば/千葉広弥
【評】ある日の漁を詠む。「暗夜」の海原をゆく「舳先」が見えるようなリアルな表現が魅力。漁を終えて帰る様子が「針路西」という具体で、より鮮明になる。言葉の置き方がよく節調もよく、作者の気持ちの昂りを伝えて躍動感もある。「満たし」が引き立つように、下の句を「舳先に金華山(きんか)の灯台が見ゆ」とする方法も。
心にもない言葉心ない言葉 心に言葉言葉に心 石巻市あゆみ野/日野信吾
【評】思いを表現しようとして言葉を選ぶ。この歌を詠みつつ作者は言葉について思索しているのだろう。声となって文字となって伝えられる言葉が、人の心を明るくしたり暗くしたりもする。だからこそ誠実な言葉を、と思う。「心に言葉言葉に心」は純朴な願い。
山百合の花冠かしげて悩めるは我の悩みと同じことかな 東松島市野蒜ケ丘/山崎清美
【評】「山百合」を見つめて、その姿に何かを感じて歌が生まれた。「同じことかな」と思うとき花は友になる。悩みもつ「山百合」も「我」も懸命に生きている。
庭の客セキレイ一羽小走りに土を叩いて春知らすなり 東松島市赤井/茄子川保弘
生きるとはいいことだけが減ることかコバルトラインに春を探す 石巻市流留/大槻洋子
白ゆきとさざんかの朱(あか)戯れて葉のみのビオラ花きざしをり 石巻市開北/ゆき
黒津波に追われ天へと逝った友穏やかな今日忘れぬあの日 石巻市水押/佐藤洋子
貸してねと遺品のめがねで針仕事かすかに聞こえたいいよの返事 石巻市西山町/藤田笑子
門脇小の寄せては返す人の波バス三台も友と合掌す 石巻市錦町/山内くに子
老いてなお夢を探せと短歌(うた)が言う過ぎたむかしも明日の夜明けも 石巻市駅前北通り/津田調作
錦木の枯れたる根から新芽伸び生命つなぐ逞しさ見る 石巻市蛇田/菅野勇
梅ひらく五弁のひらき均等に狭庭の隅をわが世とばかり 石巻市南中里/中山くに子
星くずが夜空いっぱい散らばって寒い北風かきまぜたよう 東松島市矢本/畑中勝治
春の午後友は続きの犬描きて吾(あ)は過ぎし日の犬を詠むなり 石巻市湊東/三條順子
白菜の四分の一が三百円これでは鍋料理(なべ)も容易に食えぬ 石巻市駅前北通り/庄司邦生
春なれば花見はいつも潮見台あの公園に若き日の母 石巻市流留/和泉すみ子
冬日和ガラス越しに見る裸木は血管のごとく枝を巡らす 石巻市蛇田/桜井節子