社会を直視、鋭く取材 伝えたい熱意込めて
東北の小中高校生が、学校や地域など身の回りの出来事を調べたり、社会の動きをテーマにしたりして、記事や論説にまとめる第20回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会、仙台市教育委員会後援、三陸河北新報社協賛)の入賞作品が決まった。今回は宮城、秋田、山形の3県から1035点の応募があり、ネット依存症、集団的自衛権、自然災害、震災復興などのテーマが目立った。審査は、ニュース性があるか、体験や取材に基づいているか、論旨に一貫性があるか-を基準に行った。最高賞の河北新報社賞と主な入賞作品を紹介する。
河北新報社賞
「自殺からみる命」 宮城県古川黎明高1年・森 風美香(もり・ふみか)さん
「3万人」。このフレーズで、人は何を思うのだろうか。東日本大震災の被災者人数、仙台市の人口、県内の学生人数、そのどれにも私の言う「3万人」は当てはまらない。これは、日本国内で年に自殺をしてしまう人数である。つまり、1日83人の人が自殺によって死んでいるのだ。何が原因で人は自殺まで追いこまれてしまうのか。私は自殺について考えてみた。
実を言うと、私も何回か自殺を考えたことがある。ここで私のことを話すとすれば、私は軽度の難聴者である。軽度とは言えど、私は補聴器をつけている。周りと違う、そのことに何度も悩まされた。カ行タ行の使い分けができない。虫の声が聞こえない。人の声が聞きとりづらい。また、補聴器には多くのお金がかかるため親への負担も大きい。もう、死んでしまった方が人のためになるのではなんて考えたこともあった。そんな私は今も生きている。私が死ななかった理由は一つ。友達の存在が大きい。私が補聴器をつけていても気にしないでくれる。だから死ななかった。私にはストッパーがいたのだ。しかし、自殺をしてしまう人には、ストッパーとなる物や人がいなかったのではないだろうか。または、ストッパーに気づけなかったのではないだろうか。
私は問いかけたい。「自分のこと、価値のない人間だと思っていませんか」と。これは自殺を考えている人以外にも言える言葉である。この世に価値のない人間はいない、というのが私の考えだ。もし、それでも自分に価値がないと思うなら、一回その考えを捨ててみるのはどうだろうか。自分が生きたいから生きる、それで良いのではないだろうか。そんな考えが日本に広がり、「3万人」が少しでも減ったらいい、私はそう考えている。
◎生きる価値 誰にも
私は補聴器を着けています。それが原因でいじめられたことはありません。でも、難聴が精神的な負担となり、「もう、死んでしまった方がいいのでは」と考えたことはあります。
重松清さんの小説「十字架」を読んだことが、自殺について深く考えるきっかけになりました。いじめに遭って自殺した少年。級友たちは重いものを背負ってその後の人生を歩みます。
何にせよ、死んでしまったら終わりです。ことに、いじめによる死は、いじめた相手のために死んでしまうような感じがして、いやです。
生きている価値は、他人に決められるものではありません。逆に、どんなささいなことでも、生きる価値につながるものだと思います。人は、それぞれが固有のものを持った、かけがえのない存在なのだとの思いを込め、この文章を書きました。
論説委員長賞
「学校での救急処置」 大崎市古川二小6年・吉田 愛花(よしだ・あいか)さん
進級すると学校でいろいろな健康診断があります。私はその度に悪い結果が出ないかどうかきん張します。そして、家庭の方からは健康調査票に健康状態を書いて提出しますが、それは一体どのように学校で使われているのか、また養護の先生と担任の先生はどうやって連絡を取り合っているのか気になりました。そこで私は小学校の養護の先生に取材してきました。
健康調査票は毎年進級した時に全校生徒分をファイルにとじて保健室と職員室に置いておくそうです。特に救急処置が必要な児童は用紙の色を変えてすぐに見つけられるように工夫してありました。また、その児童については担任の先生だけではなく学年の先生にも対処の仕方を伝えているそうです。そして救急の場合には、すぐに対応できるように先生方の間で仕事を分担していることがわかりました。養護の先生は救急処置係、校長先生は救急車係、担任の先生は保護者に連絡をする係、教務の先生はかかりつけの病院に連絡する係です。以前、急に食物アレルギーで発作を起こし、救急車で病院に運ばれた児童もいたそうです。先生は「アレルギー症状が落ち着いていてもその時の体調によって突然発作が起こることもあるから、変更があった時はそのつど先生たちと打ち合わせをしているよ」とおっしゃっていました。
私は、先生方の間でこのような仕事分担がされていることを初めて知り、すごいなぁと思いました。きん急に備えて、用意周とうだと思ったからです。学校の先生は勉強を教えるという仕事の他に「児童の命を守る」という大切な仕事もしているのだなぁと強く感じました。そして児童の命を守るために家庭や児童と担任をつなぐ重要な役割をしているのが養護の先生なのだと思いました。
そのような「人と人をつなぐ」大切な仕事をしている養護の先生に、今まで困ったことはなかったかどうか聞いてみました。すると先生は「問題を解決するための意見がそれぞれ食いちがい、それをまとめていくことが大変でした」とおっしゃっていました。
私はこの取材を通して、養護の先生と担任の先生だけでなく学校全体の連けいで児童の命を守っていることがわかりました。自分の身を自分で守ることは大切ですが、自分の健康状態を正確に学校に知らせておくことも大切な事なのだなぁと思いました。
論説委員長賞
「夢は必ずかなう」 宮城県古川黎明中3年・今野 拓人(こんの・ひろと)さん
芸能人やプロスポーツ選手の講演会にありがちな題名「夢」。そしてその内容はどれも想像が容易にできて、自身のサクセスストーリーを語り、最後に決めゼリフの、「夢は必ずかなう」といった具合だ。各分野で活躍する「成功者」の話は多くの人々を勇気づける。
夢はいつだって人を前向きにさせてくれる。夢が壮大であればあるほど、未来への希望が大きく、特に子どもの頃は、今聞けば笑ってしまうような夢を持っていた人も多いはずだ。その頃はさぞかし世界が輝いて見えていたことだろう。そして夢というのはどこに落ちているか分からない。夢を追いかけたまま老後を迎えた人に思いがけないチャンスがめぐってきて、最後の最後に夢をかなえるといったような出来事も耳にしたことがある。そのため人生のどこかに落ちているかもしれないチャンスを無にしないためにも、常に夢をかなえる努力をしていることは大事である。
しかし、あなたの身の回りで、現在の仕事をするのが夢だったという人は、一体どれくらいいるだろうか。あまりいないと思う。この事実が物語っているのは、一握りの「成功者」と多くの「敗者」がいるということである。夢がかなうのはたった一握りで、その他は夢に敗れ、仕方なく別な仕事を見つけている。言い切ってしまえば、夢は断然、かなわない可能性が高い。そして僕は思うことがある。
必死で夢を追いかけすぎて、夢に敗れ気がついたときにまわりに何もなくなってしまい、その後の将来を棒にふるというようなことがある。いくら夢を持ち続けることが大事といっても、人生を棒にふってしまえば元も子もない。
「夢は必ずかなう」と無責任に豪語する人々が僕は嫌いだ。夢に向かって努力したことは、たとえ夢に敗れても自分の人生のどこかには生きる。そのため、たとえずっとかなえたかった夢でなくても幸せを探せるようになればよいと思う。
論説委員長賞
「災害FMを全国へ広める」 宮城県泉高1年・千葉 ひかる(ちば・ひかる)さん
東日本大震災を機に、各被災地に臨時災害FM局が開局した。ラジオには映像が伴わないため、たくさんの言葉がつめこまれる。そのため無駄なく一度に多くの情報を手に入れることができる。この災害FMは積極的に全国に広めていくべきである。なぜなら、ラジオは、健常者も視覚障害者も同じ立場で情報の受けとりが可能だからだ。
災害FMは震災の時、なくてはならない情報ツールだった。給水や配給情報など全ての情報はラジオから受けていた。またライフラインの回復の見通しが立たず、不安な中で、ラジオから流れる音楽は気分を明るくしてくれた。それは健常者も視覚障害者も同じであると考える。
私は中学3年生の総合の時間に、東北福祉大学の学生さんと障害者の疑似体験を行った。私は、アイマスクをして視覚障害者の体験をした。初めは一人で廊下を歩く。しかし当然ながら見えないので上手く歩けない。次に友達に声をかけてもらいながら歩く。一人で歩くより楽に歩けて何より人の声がそばにあることで安心できた。目が見えないという環境の中でも、人の声はちゃんと心に響いたし、安心感を与える。
不安な時、人間の声は安心感を与える。実際に視覚障害者の体験をすることで、人間の声の温かさを感じた。だから災害FMなどのラジオは目が見えない人にとって情報を受け渡す機能だけでなく、安心感を与える機能も果たしていると考えられる。私は震災、障害者疑似体験をして、災害FM局は全国各地に必要だと考えた。ラジオでは、テレビでは伝えきれない地域情報を詳しく知ることができる。そして何より視覚障害者にとって、災害時に情報と安心を与えてくれる大切なツールである。また、ラジオはリスナー同士でつながることもできる。人の声を聞いて、人と会話する。誰かとつながっているという事が何よりも人の不安を除いてくれるものである。
編集局長賞
「人間VS野良ネコ」 仙台白百合学園小5年・井崎 英里(いざき・えり)さん
今朝もまた、家の庭に大きな落とし物をし、立ち去った野良ネコ。この夏はその回数がとても多い。一体どこからやって来て、どこで生活しているのだろうか。そんな疑問から、私の野良ネコ調査は始まった。
はじめに、野良ネコの行動範囲を調べるため、町内の様子を歩いて観察したが、この時に野良ネコを見かけることはなかった。
しかし、次に行った聞きこみ調査では、野良ネコの被害状況や、野良ネコを防止するために行っているアイデアの話を聞くことができた。話を聞きながら歩いてみると、実に様々な野良ネコ対策を見つけることができた=地図=。
調査の結果、私の家がある区画では、大きな茶色の野良ネコと、親子のネコが確認されていた。フンの被害の他、大きな足跡(3)、(5)では親子の宿泊が確認されている。
続いて、町内を少し北に向かうと、野良ネコの数が少し増え、大きな鳴き声(8)や、冬に室外機の上でお昼寝をする様子(9)や、生協の箱でのツメとぎの話(9)を聞くことができた。この辺りでは、門にペットボトルを並べ、CDをつるす(10)。室外機の上に針金のしき物をしく(9)。ネコのパネルを庭に立てる(8)など、野良ネコ防止策の数々も見ることができた。
さらに町内を東へ向かうと、野良ネコの数はもっと増える。大きな道路からはなれていること。公園や森があること。さらには、えさを与える人がいるからだと聞いた(11)。この辺りのゴミ捨て場のネットはがんじょうに作られているが、すぐにこわされるようだ(12)。
今回の調査で、町内にはたくさんの野良ネコが住んでおり、その中の1匹が我が家に来ていることが分かった。そして、その野良ネコに困っている人が多いことにとても驚いた。
野良ネコ問題はむずかしい問題だ。人間もネコも幸せに生きる方法での解決を私は願う。
編集局長賞
「切り開こう明るい未来を~北高跡地という切り札~」 能代市能代二中2年・松山 雄太郎(まつやま・ゆうたろう)さん
7月27日、能代北高校跡地で「食と健康」をテーマとしたイベント「市~いち~」の第2回目が行われた。このイベントは能代北高校跡地の活用調査事業の一環であり、月1回のペースで行われている。今、その使い方が議論されている能代北高校跡地。市としての考えを聞くために能代市役所に伺った。
担当してくださった能代市企画部総合政策課の松橋優悦さんの話によると、市ではまだ具体的な使い方は決まっておらず、現在様々な調査を行い、最も有効な使い方を模索中だそうだ。その一つが「市」のイベントによる人の流れの調査である。イベントを訪れた人に行ったアンケートでは、今のところ、自家用車で訪れた人が全体の約7割、徒歩や自転車で訪れた人が約3割だそうだ。この調査は道路や建物を整備する上で役に立つ。例えば、今後自家用車で訪れる人が増えれば、周辺の道路を広くしたり、駐車場のスペースを増やす。逆に徒歩で訪れる人が増えれば、敷地や建物の入り口を増やすといった具合だ。また、そのアンケートの中で北高跡地の活用についての意見も集め、住民の意見が市政に反映されるようにしている。
さらに、松橋さんは別の観点からの使い方について話してくれた。それは、地形を生かした使い方だ。風の松原は海からの砂風をくい止め、その時に砂が積もり砂丘になる。北高跡地には風の松原と同じ特徴があり、最高標高が20メートルにもなる。これは東日本大震災以来注目されている津波対策に役立つのではないかと考えられているそうだ。
最後に、松橋さんは、使い方を決める際には、次世代に財政的な負担をかけない使い方かどうか吟味することも重要であると付け加えた。北高跡地は能代市の中心部に位置し、交通の便も良いだけに、市の未来を明るくできるかどうか、この土地の有効活用にかかっている。十代の世代にとっても身近な問題であり、決して他人事ではない。住民一人一人の理解と協力が必要だ。
編集局長賞
「『復興』とは何か」 宮城県仙台南高3年・西村 恵理子(にしむら・えりこ)さん
日本、主に東北の人々を恐怖に陥れた東日本大震災。あの日から3年以上が過ぎた今、まだ所々震災の傷痕は残るものの、人々は前を向き復興を目指してきた。これから先東北全体が明るさを取り戻すことを願うばかりだが、最近では新たな問題も発生している。それは指定廃棄物の処理場の決定である。今度は東北だけに限った問題ではない。日本の問題として真剣に向き合う必要があるのだ。
最近、テレビのニュースなどでは最終処分場の候補とされた地域での反対運動をよく目にする。デモ参加者の言い分は確かに理解できなくはない。自分達の近くに健康面での不安要素を置いておくのは納得できないだろう。しかし、私にはそれが嫌なことの押しつけ合いに見えてしまう。汚染物質に対する不安感や嫌悪感は人間であれば誰しも持ち得るはずで拒否したいと思うだろうが、そのような気持ちを持ってこの問題を押しのけているだけでは、いつまで経っても解決には向かわないと思うのだ。嫌なのは皆同じ。だからこそ日本各地で積極的に負担を受け入れ、せめて各県ごとの負担を軽減する努力をすべきである。原発被害による差別も見られた地域もあるというから、この問題には広い理解と配慮が必要だ。
最終処分場の設置。それは頼まれたとしたら耳をふさぎたくなるような問題ではあるだろう。しかし、これからはそうも言っていられない。どこかに押しつけるのではなく、また一方的に押しつけられるのではなく、日本全国で負担を分け合うことで処理問題を突破しなければならないのだ。私はデモで頑なに処理場受け入れ拒否を叫ぶ姿を見ると悲しくなる。世間が震災時に報じていた、「復興」や「絆」は一体何だったのかと思う。あの時に日本中で起こった「一つになろう」という思いは、今ではかなぐり捨てられて良いものなのか。そんなはずはない。日本はまだ復興の途中だ。あの日の様に思いを一つにするべきなのは、今、この時である。
優秀賞/佳作
◆優秀賞 | |
赤川 瑞姫 | 仙台市上杉山通小4年 |
遠藤 匡 | 同6年 |
飯田 遼 | 塩釜市第一小6年 |
藤崎 乃瑛 | 同6年 |
鈴木 映里 | 大崎市古川二小6年 |
新田 晏子 | 同6年 |
末永 咲瑠 | 同5年 |
吉田有里彩 | 同5年 |
大竹 快青 | 仙台市荒町小5年 |
井崎 英乃 | 仙台白百合学園小6年 |
植松 奈々 | 石巻市門脇中3年 |
手島 優美 | 大崎市古川中3年 |
紺野 桃花 | 同2年 |
金田 和美 | 仙台市幸町中3年 |
千葉 李子 | 宮城県古川黎明中3年 |
横田夏奈子 | 同3年 |
高橋 莉子 | 同3年 |
高橋 葵 | 同3年 |
岩渕 和可 | 同3年 |
渡辺 沙紀 | 能代市能代二中3年 |
高橋あかり | 仙台市仙台青陵中等教育校5年 |
荒木田月菜 | 宮城県泉高1年 |
相沢 太一 | 同1年 |
渡辺 将大 | 同1年 |
遠藤ひらり | 同1年 |
継枝 里穂 | 同1年 |
尾形 水穂 | 同1年 |
早川 綺水 | 同1年 |
槇 大悠 | 山形県霞城学園高Ⅰ部1年次 |
山本 侑佳 | 宮城県仙台南高3年 |
◆佳作 | |
木幡 千桜 | 仙台市八木山南小6年 |
石川あゆみ | 仙台市幸町中2年 |
鈴木伊万里 | 宮城県泉高1年 |
(敬称略) |
講評
幅広いテーマ 光る感性/審査委員長・沼倉良郎(河北新報社論説委員長)
丁寧な取材で事実を広く集め、伝えたいことを整理して、分かりやすく表現する。社会の出来事に関心を持ち、多様な視点を踏まえながら、自分の意見をまとめる。
一般記事、論説を問わず、自ら考え、活字として表す試みは、決して易しくはありません。
そんな取り組みに、今年も多くの小中高校生が挑戦し、その成果を披露してくれました。
テーマは幅広く、子どもらしい感性にあふれ、知恵を絞った力作がそろいました。
河北新報社賞に選ばれた「自殺からみる命」は高校生の作品です。年間の自殺者が3万人という社会の現実を直視し、自らの問題に引き寄せて、説得力ある内容にまとめています。
軽度の難聴があり、障害に悩みつつも友人の存在を支えに頑張る筆者は「価値のない人間はいない」と明快に主張。自らをおとしめる考えを捨て、「生きたいから生きるで良いのではないか」との呼び掛けも新鮮でした。
着眼の素晴らしさと、伝える工夫が評価を左右します。
その点、論説委員長賞の3作品は秀逸です。
「災害FMを全国へ広める」は、体験を踏まえたメッセージ性に優れ、「夢は必ずかなう」は少々、ひねりを利かせた視点が光ります。「学校での救急処置」は伝えたい意欲を強く感じました。
編集局長賞のうち、指定廃棄物の処分場問題を取り上げた作品は、わたしたちに迷惑施設に向き合う覚悟を問い掛け、一体感を取り戻すべきとの指摘は鋭く、訴える力に満ちています。
残る2作品はいずれも取材を尽くし、結論を導いており、記事の形態が整っていました。野良ネコの作品はユニークで楽しく読みました。
社会に目を向け、自分との対話を深める記事コンは生きる力を育んでくれるはずです。今後も新聞に親しみ、好気心と希望の翼を大きく広げて、思考し表現する力を磨いてください。