第22回新聞記事コンクール入賞作発表

日常を生き生きと 分かりやすく描写

 東北の小、中、高校生が、身の回りの出来事を調べて記事にしたり、社会問題を考えて論説にまとめたりする第22回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会・仙台市教育委員会後援、三陸河北新報社協賛)の入賞作品が決まった。計838点の応募があり、18歳選挙権、リオデジャネイロ五輪、障害者施設殺傷事件と人権、保育施設への待機児童、ポケモンGOなどのテーマが目立った。最高賞の河北新報社賞と、主な入賞作品を紹介する。

河北新報社賞 「手紙のあたたかさ」
仙台市中田小4年・渡辺ほとり(わたなべ・ほとり)さん
論説委員長賞 「私の1票」
山形県霞城学園高Ⅰ部4年次・升川桃(ますかわ・もも)さん
「18歳への配慮+α」
宮城学院中3年・菅野祥千(かんの・さち)さん
「最終処分場へ行ってみて」
大崎市古川二小5年・竹内雅樹(たけうち・まさき)さん
編集局長賞 「交通事故ゼロを目指して」
仙台市上杉山通小5年・中出りのあ(なかで・りのあ)さん
「信号無視調査」
宮城県仙台二華中2年・井崎英乃(いざき・あやの)さん
「障がいを持つ人は悪いのか」
宮城県古川黎明高1年・舛谷日薫(ますや・ひかる)さん
防災・教育室長賞 「「次は自分」と考える」
宮城県泉高1年・藤田和睦(ふじた・なごむ)さん
優秀賞/佳作
講 評/社会に高い関心

河北新報社賞

「手紙のあたたかさ」 仙台市中田小4年・渡辺ほとり(わたなべ・ほとり)さん

 私はこの夏、友達とけんかをしてしまった。すぐに仲直りをするために、お母さんのスマホで、友達のお母さんにメールであやまろうとした。しかし、母は、「手紙の方が、思いが伝わるよ」と言った。

 私は、手紙は、とどくのが明日になってしまうだろうと思った。しかし、母の言うとおり、手紙を書くことにした。手紙には、ごめんなさいよりも、これからも仲良くしてくださいを、少し多く書いた。私は、手紙がとどくまで時間がかかってしまうから、もっとおこってしまうかもしれないと思った。

 しかし、そんな心配はいらなかった。学校で会ったら、おはようよりも先に、「これからもよろしくね!」と言われた。私は、すごくうれしい気持ちになった。

 私は、クラスの友達にアンケートちょうさをしてみた。「4年生になってから手紙を書いたことがあるか」と「手紙が返ってきてどうだったか」というアンケートだ。

 ほとんどの人は、あまり手紙を書いていなかった。しかし、書いたことがあるという人は、「あける前にドキドキした」や「返ってきたらうれしかった」という人がいた。

 私は、メールは便利だけど、手紙もあたたかいなと思った。これからも、手紙を書いて、あたたかい気持ちを、相手に伝えようと思っている。

◎言葉 一生懸命考えた

 記事中のけんかをした友達は、同じクラスの仲の良い女の子です。原因は私が放課後、待ち合わせに遅れることを事前に電話で伝えることができなかったために、友達を待たせてしまったことです。その日は結局友達に会えず、遊びの予定もなくなってしまいました。

 翌日の学校では友達と会話することなく、気まずい雰囲気でした。前から付き合いのある大事な友達で、けんかをしたのは初めてでした。申し訳ないのと、仲直りしたいとの思いから手紙を書くことにしました。

 一生懸命言葉を考えて、自分の思いが伝わるよう丁寧に書きました。手紙を読んだ友達は笑顔で「ありがとう」と言ってくれました。また一緒に遊ぶことができるようになり、うれしかったです。

 手紙は書いた人の気持ちが字に表れ、読み手にしっかり思いを伝えることができます。対面では言いにくいことも手紙だったら言えるかもしれません。メールにはない手紙の温かさをこれからも大切にしたいです。

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論説委員長賞

「私の1票」 山形県霞城学園高Ⅰ部4年次・升川桃(ますかわ・もも)さん

 最近、選挙権が18歳からに引き下げられ、私も7月の参議院議員選挙から投票できるようになった。

 私は今まで、民主主義のためには選挙が大切だ、と上っ面な理想を語りながらも、もう一方では、1票で何が変わるだろう、と軽く見ていた。しかし、今は、初の19歳選挙を経験して、政治を身近に感じられるようになった。

 7月の選挙は、「行ったほうがいいかな、でもかったるいなぁ」と迷っていた。だが、メディアや学校で度々話題となり、だんだんと「行くっきゃないな」と乗り気になった。コマーシャルにはめっぽう弱いのだ。まず驚いたのが、私の学校のすぐ近くに、期日前投票所があったことだ。しかも、期間は2週間以上あり、好きな時にあっという間に投票できる。日曜日に公民館へ行って、並ばなくてもいいのだと、目からうろこが落ちた気分だった。

 次に意外だったのが、以前よりも政治の話題が目につくようになったことだ。多分、初めて1票を投じて、政治に参加したという満足感から、興味を持ったのかもしれない。例えば、図書室で『民主主義ってなんだ?』という言葉が目に飛び込んできた。SEALDsという、国会前でデモ活動をする若者のグループについての本だった。読んでみると、私と同世代の若者が、国や未来について本当に真剣に考えていた。また、全国の、あらゆる世代で同様の活動が起こる起爆剤となっていた。それだけ、「今の日本はおかしい」と感じている人が多くいるということだろう。私も、政治への期待を感じられずにいる。

 だからこそ、民意の表現である選挙が大切なのだと、少しわかった気がした。政治を任せられる、本当に信頼できる人を選ぶ。人となりの全てはわからないけれど、せめて適当には投票しない。私の1票は、「生きる民主主義」のための1票だ。

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論説委員長賞

「18歳への配慮+α」 宮城学院中3年・菅野祥千(かんの・さち)さん

 今年の選挙は70年ぶりに選挙権年齢が引き下げられ、18歳以上となり新たな有権者となった18、19歳の人々に対する配慮と政策が施されている。SNSやツイッターなどを使い選挙を身近なものにし、将来を担う若者たちへの意識の呼びかけを感じることができる。

 それに対し、いまだ十分な活動が見られないのは視覚・聴覚障害者に対する配慮だ。新有権者に対する配慮に比べ、認知度も政策もかなり乏しい。こうなると自分の投票したい政党の情報を見極めるのも、投票しに行くのもかなり困難になる。

 私が以前町を歩いていたとき、点字ブロックの上を白(はく)杖(じょう)でコツコツたたきながらゆっくり歩いている年配の方を見た。その方は少し遠慮した声で「今どこを通りすぎましたか?」と周囲の人に尋ねるように歩いていた。しかし誰も返事をしていなかった。見かねた私は何か手助けになるようなことをしようと考えたものの土地勘と勇気のなさで結局なにもしてあげられなかったことがある。

 このように、普段の移動ですら困難で危険が伴い、同伴者がいないと分からない慣れない道だとよりリスクが高まる。これは選挙の投票でもいえるだろう。投票所が小・中学校だったりすると点字ブロックのない所への移動となり危険性を考え投票がしにくくなる。行けたとしても投票用紙に記入するのは自分以外の第三者となり、投票先を知られることに違和感を覚えることになる。

 このように新有権者の政策の裏にはまだまだ解決しなければいけない事があると考えられる。投票率が低いのは有権者が投票しにくい環境があるからだとも言えるだろう。聴覚障害に目をあててみても、手話や手書きで教えてもらわないとわからない事もあるだろう。障害以外にも加齢による難聴や視力低下などで支援が必要な人も大勢いる。18歳への配慮と政策も重要だが、選挙が容易ではない人たちへの環境づくりも同じくらい重要なのではないか。

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論説委員長賞

「最終処分場へ行ってみて」 大崎市古川二小5年・竹内雅樹(たけうち・まさき)さん

 ぼくは、クリーンセンターで処理された灰を埋める最終処分場である大崎広域大日向クリーンパークに見学に行った。クリーンパークは、平成18年の計画から用地の選定、埋め立て方式の検討など5年の歳月を要し造られた施設である。

 最終処分場は、とてもきれいで、においもしなくて、言われないとごみが埋められている施設だとわからないくらいだった。しかし、爆発事故や火事にならないためのガス抜きや、汚れた水を出さないための浄化装置や遮水シート、人が立ち入れないようにするフェンスなどがあって、やっぱり近づくのはこわいなと思った。

 このクリーンパークに着くまで、たくさんの民家があった。用地の選定のとき、住民の皆さんの反対などもたくさんあったと聞いた。ぼくも、家の近くに最終処分場ができると聞いたら反対するでしょう。環境面や安全面が配りょされた施設だとしても、ごみというイメージがあるからだ。それでも今、こうやってぼくたちの家から出たごみを受け入れてくれる住民の人たちがいる。そう思ったら、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいになった。

 最終処分場は15年分のごみが埋め立てられるように作られたが、平成26年に完成したばかりのクリーンパークは、まだ2年しかたっていないのに、第1区画の3分の1が埋まっていて、あと13年分もはいるのかなと心配になった。

 ごみが減らない今、また新しい最終処分場を造らなければならない。

 今回の見学でぼくは、ごみが減らない社会になっていることと、自分たちが減らそうと努力していないことが問題なのだと感じた。ごみを減らすために一人一人がごみを減らそうと思い、ごみを減らすことを意識して生活していくことが大切なのだと思った。

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編集局長賞

「交通事故ゼロを目指して」 仙台市上杉山通小5年・中出りのあ(なかで・りのあ)さん

 「信号無視」をしている人を見たことがありますか。

 私は登下校中によく見かけます。赤信号で止まっているとき背後からもうスピードの自転車が通り過ぎていきました。そのような人を見て「あぶない」とひやっとすることが何回もあります。そこで、どのくらいの人が信号無視をするのかを調べてみることにしました。

 平日3日間、いつも通る通学路で午前7時30分から8時30分までの1時間、信号無視をした歩行者と自転車の数を調べました。

 グラフにもあるように1日目は1293人中信号無視をしていた人は歩行者63人、自転車75人でした。2日目は1211人中歩行者70人、自転車112人で、3日目は1425人中歩行者91人、自転車104人でした。

 宮城県けい察のホームページによると平成27年中の宮城県の交通ルールい反をして事故にあった人は歩行者231人で自転車481人です。この結果、交通事故が多発していることと自転車のい反の多さが分かりました。

 この交差点付近に60年住んでいるという男性に話を聞きました。「私も信号無視を見たことがあるよ。実は私もしてしまうことがあるんだよね」と苦笑いをしながら言った後、続けて、「急いでいるとついついやってしまうんだよ」とはずかしそうに語っていました。

 私も調査中にこのような人を見ました。視覚障害者が誘導音をたよりに横断歩道を進んで行きました。そこに信号無視の自転車が横からスレスレを通って行きました。

 交通ルールを守らないということは人をきずつけてしまいます。そして、自分の命を守れないということになります。交通ルールを守れば事故も減少します。交通事故がゼロになることを目指して、一人一人が注意をすることが大切だと思います。

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編集局長賞

「信号無視調査」 宮城県仙台二華中2年・井崎英乃(いざき・あやの)さん

 今日もまた、車のクラクションが鳴り響いた。事故にならないだけ良いのだろうが、どうしてこんなにもクラクションを鳴らす必要があるのだろうか。そんな疑問から、音の原因となる場所を観察していたところ、あることに私は気が付いた。

 私の家の目の前には、片側3車線の県道が南北に真っすぐ伸びている。そこに交差する形で何本かの市道が走っており、その中のひとつ、大きな交差点がクラクションの発生地点であった。そしてクラクションの前には、必ずと言っていいほど危険な運転や行動が見られるのだが、その中でもひときわ目立っていたのが信号無視である。

 そこで私は、夏休みの1週間を利用し、交差点での信号無視の調査を行うことにした。

 調査結果は別紙の通りである。

 この結果から、みなさんはどのようなことを考えるだろうか。調査時間帯によって車の通行台数に違いはあるものの、どんなに通行量が少ない時間でも、信号無視をする車がいたことに私は衝撃を受けた。調査結果には表れないが、信号無視は必ずと言っていいほどまとまった台数で行われている。その行為はまるで、「われ先に」と言わんばかりの行動に見えた。調査中に、何度も「危ない!」と声をあげるシーンがあったのだ。
No.3 南から北を見た写真

 黄色信号の時、ドライバーはどうするべきなのだろうか? 止まるべきか、進むべきか。その判断は、運転手一人一人の判断に委ねられる。それは、車だけには限らない。歩行者、自転車やオートバイに乗る人々も同じである。

 交通事故によって幸せになる人は一人もいない。譲り合いの気持ちと余裕を持った運転ができるなら、わが家の前でのクラクションの回数は減ることだろう。

 どうか私が静かな環境で生活できるように、そしてこの街から交通事故を減らすためにも、信号無視がなくなることを私は強く願う。

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編集局長賞

「障がいを持つ人は悪いのか」 宮城県古川黎明高1年・舛谷日薫(ますや・ひかる)さん

 障がいを持つ人は悪いのか。

 「この本ありますか?」。私が聞いたのは、片耳に補聴器をつけた店員さん。「今調べますので少々お待ちください」。笑顔で答えた店員さんはすぐに調べ始めた。ふとレジの近くを見てみるとそこには「筆談します。お気軽にどうぞ。」と丸っこい字で書かれている所があった。

 私がよく行く本屋さんは障がいを抱えている店員さんが多く働いている。片方の腕がない方や、片目が見えない方がいる。それでもその本屋さんの店員さんはいつでも優しく対応してくれる。その本屋のレジには、先ほど述べたようなメッセージが置いてあった。障がいを抱えている店員さんが働いている本屋さんには、お客さんに対しての小さな優しさがたくさんあった。何回も行ったはずの本屋さんだったが改めて考えるとこのような本屋さんが身近にある。身近で障がい者を受け入れる場所がある。私はなぜかその事が誇らしく思えた。

 つい先日起きた障がい者施設殺傷事件の容疑者は言った。「あいつらのためにいくらの金が使われているのか」と。容疑者の中で障がい者は『悪』でしかなかった。私は、障がい者の年金について調べた。20歳未満の場合22万円の補助が出ている。大人は78万円となっている。20歳から65歳になるまで年金をもらうとしたら約3500万円となる。そのように考えると多くのお金が使われていると思いがちだ。しかし、サラリーマンの平均生涯収入を見るとその金額は2億円だった。このように比べてみると障がい者が使えるお金なんてごくわずかだという事がわかるが必死に生きる人を私たちは逆に尊敬するべきだと思う。

 このように障がい者に対する思いは人それぞれだけど、その人たちがいたから分かる世界もあるわけで、どちらが正解かは分からない。しかし多くの人が障がい者を理解すれば、『悪』の考えから『善』の考えに変える事ができると思う。

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防災・教育室長賞

「「次は自分」と考える」 宮城県泉高1年・藤田和睦(ふじた・なごむ)さん

 「次」の災害が熊本で起きるとは誰も想像していなかったのではないだろうか。地震に限らず大きな災害が起きる度に、僕たちはその土地の人々の生活に思いを寄せる。そして次への備えを考える。その時、前例から示された発生確率の高低が思考を停止させている事がしばしばあるのではないか。「次」はどこにでも起こりうる。いつでも起こりうる。そういう自分も次まではあと1000年もあると思っていることに気付かされる。「次」をわが事としてとらえ、備えなければならない。

 5年前、内陸部に住む僕たちは、沿岸部で何が起きているのかを全く知らずにいた。深夜のラジオが伝える情報に、大人は言葉を無くしていた。全てのライフラインが止まった街で、わが家には僕の同級生の家族が3世帯集まって最初の1週間を過ごした。それができたのは、亡き祖母の「次」への備えがあったからだった。宮城県沖地震を経験した祖母は、大きな石油ストーブを買い置いていた。普段は全く使わないので物置で段ボール箱に入ったままだった。さらに、ボンベ式のプロパンガスコンロもあったので、暖を取り、食事の煮炊きをすることができた。それは30年以上前から未来の家族のためにと、祖母が準備してきた贈り物だった。僕たちは大人4人、子供6人の拡大家族で乗り切った。

 災害が起きたとき、まず最初に必要なのは『自助』である。自分の身を守れなければ、誰かに手を差しのべる事はできない。異常気象による豪雨被害や突風の発生、加えて日本は火山列島でもある。安住の地などどこにも無いと言っていいかもしれない。全ての災害に備えることは難しい。だからこそ、一番小さな社会の単位、家族で防災を考える事から始めてはどうだろうか。「次」をわが事ととらえ、どんな備えが必要かを考えてみてほしい。「次」という言葉を「未来」と置き換えると想像しやすいと思う。未来の家族のために、僕にできる事は何だろう。祖母のように。

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優秀賞/佳作

◆優秀賞
渡部心優仙台市将監中央小6年
宮崎文脩仙台市上杉山通小5年
高橋太郎同5年
赤川瑞姫同6年
西根晴花塩釜市第一小6年
阿部由奈仙台白百合学園小6年
千葉まひる登米市北方小6年
安住陸翔宮城県涌谷町箟岳白山小6年
下権谷芽生仙台市八木山小6年
馴松結同6年
小松礼奈宮城県古川黎明中3年
平沢涼介同3年
酒本聡尚絅学院中3年
大友彩弥香宮城学院中1年
佐山麻由同1年
城戸萌里同2年
日下部美央同2年
熊谷友紀子同3年
渡辺芹菜宮城県利府町利府西中3年
佐藤咲希栗原市金成中1年
佐々木みつは宮城県泉高1年
渡辺日和同1年
佐治花音同1年
関本千夏同1年
及川希宮城県登米高2年
宍戸瑛太宮城県古川黎明高1年
門間月菜同1年
相沢匠同1年
堀切菜央同1年
安彦麻里同1年
◆佳作
岡野奏音仙台市上杉山通小5年
大平瞳真宮城県古川黎明中3年
西野瑠那宮城県泉高1年
庄子梨央同1年
(敬称略)  
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講評

社会に高い関心/審査委員長・原谷守(河北新報社論説委員長)

 新聞記者はよく「足で稼げ」と言われます。頭の中で想像を膨らませて「ああだ、こうだ」と考えることには限界があります。まずは現場に出掛けて取材を重ね、事実を見つけ出すことの大切さを説いた言葉です。

 今回の応募作品も「頭でっかち」にならずに、自分が見聞きした体験を基にした「地に足が着いた」一般記事や論説が少なからずありました。また、グラフや写真を添えて視覚に訴えた作品もあり、できるだけ分かりやすくしようとする工夫が伝わってきました。

 震災関連、18歳選挙権、障害者施設殺傷事件、ポケモンGO…。テーマはバラエティーに富んでいて、社会への高い関心がうかがえました。一方でテーマが大きい分、自分の考えを掘り下げないまま、「借り物」の言葉でつづった作品もあったように思われます。

 難しい題材でなくともいいのです。日常生活で感じたささいな一こまを取り上げることでも、人々に共感を与えられる書き方はあるものです。

 その意味では、河北新報社賞に選ばれた「手紙のあたたかさ」は素晴らしい代表例です。けんかした友達にメールではなく、手紙を出して仲直りした話です。事実を淡々と書きながら、描写が実に生き生きとしています。現代社会にあって、重要さを増すコミュニケーションの在り方を示唆する内容になっています。

 論説委員長賞の3作品「最終処分場へ行ってみて」「18歳への配慮+α」「私の1票」は、実体験を通じて発見した「光」と「影」の部分に、焦点を当てて書いているのに感心させられました。

 編集局長賞の3作品はいずれも身近な問題を取り上げ、素直な視点で観察していることに好感が持てました。2人がそれぞれ取り組んだ交通調査も光っています。

 防災・教育室長賞の作品は災害時の「自助の精神」を訴えましたが、亡き祖母の知恵で苦難を乗り切った経験と重ね合わせているだけに説得力がありました。

 物事を筋立てて書くのは、なかなか難しい作業です。その分、考える力が養われます。これからも「社会の鏡」である新聞をよく読んでいただき、積極的に参加してもらうことを願っています。

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