日常を生き生きと 分かりやすく描写
東北の小、中、高校生が、身の回りの出来事を調べて記事にしたり、社会問題を考えて論説にまとめたりする
第23回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会・仙台市教育委員会後援、三陸河北新報社協賛)
の入賞作品が決まった。計1090点の応募があり、いじめ問題、テロと世界平和、少子高齢化、ソーシャルメディアとの
付き合い方などのテーマが目立った。最高賞の河北新報社賞2点と、主な入賞作品を紹介する。
河北新報社賞
「寄磯のホヤは世界一」 石巻市寄磯小6年・遠藤怜明(えんどう・れいあ)さん
「世界一うまいホヤだ」
私は、寄磯の金華ホヤは、日本一、いや世界一のおいしさだと思う。身は、プリップリで甘い。このように感じているのは私だけではないだろう。
七月、学校の行事の海洋体験で地域の人にインタビューをした。
「寄磯で有名な海産物は、何だと思いますか」
すると、地域の人たちから、「ホヤが有名かな」「寄磯のホヤは、世界一おいしいからなあ」という声がたくさん聞こえてきた。私と同じだ。
寄磯の人たちは、漁業をなりわいにしている人がほとんどだ。ホヤやアワビ、ホタテなどたくさんの海産物がとれる。しかし、正直どのように水あげし、どのように加工しているのかよくしらなかった。
そこで、海洋体験でホヤの水あげ体験、ホヤむき体験をした時、方法や手順をよく見て取り組んだ。
地域の漁師さんに教えてもらいながら船に乗り、水あげからホヤむき、パック詰めまで体験した。
特に、ホヤの皮をむくのが大変だった。私がどんなにがんばっても、ホヤの皮はむけなかった。でも、地域の漁師さんは、パッとすぐに皮をむいていて、さすがプロだと感じた。これを毎日続けるのは、本当に大変な仕事だと感じた。
大変な作業がたくさんあるからこそ、寄磯の金華ホヤは、世界一おいしいのだと思う。
金華ホヤだけではない。ホヤの他にもホタテやアワビ、ウニ、ワカメなども寄磯がほこる海産物だ。
寄磯のみ力をたくさんの人に伝えたい。ホヤを食べてもらいたい。アワビやワカメ、ウニ、ホタテのおいしい食べ方を知ってもらいたい。もし、ホヤを食べたことがない人には、「安心して食べでぇけろ。うめっから」と伝えてあげたい。
「寄磯のホヤは、世界で一番うんめえぞ!」。寄磯から日本全国へ発信したい。
◎方言で魅力を表現
小学3年から学校の総合学習で、寄磯のことを調べています。「ここのホヤは世界一おいしい」と地元の漁師さんから聞いたので、ホヤを中心に取り上げて、寄磯の魅力を発信しようと思いました。
決められた字数に収まるように書くことと、書き出しに苦労しました。「安心して食べでぇけろ。うめっから」と方言で呼び掛けたのは、地元の人の言葉をそのまま使った方が、ホヤのおいしさがより伝わるだろうと思ったからです。
私自身、ホヤはよく食べます。刺し身のほか蒸したり、焼いたり。ホヤたまごや、炊き込みご飯もおいしいです。冬はアワビのバターしょうゆ焼きがご飯に合います。
こんなにおいしいものを普通に食べていることが、すごくぜいたくなんだと気付きました。
中学生になったら、ホヤの皮をすばやくむけるようになりたいです。
河北新報社賞
「闘う勇気を持とう」 宮城県泉高2年・関本千夏(せきもと・ちなつ)さん
沖縄県の小学一年生担任が児童に向かい「赤ちゃん」「脳みそ使えよ」などの暴言を発していたというニュースを見た。私は目の前でいじめが起きたとき、それと闘う勇気を持つべきだと思う。
私が小学生の時、少し発達障害を持った同級生がいた。彼は落ちついて座っていることができず、授業中に何度注意されても立ち歩いてしまうことがあった。
それに対し私達の担任は「赤ちゃんだから言葉がわからないんでちゅね」など赤ちゃん口調で馬鹿にしたように話すようになり、次第に元気よく「はい」と挙手しても「はいはいなら前でやりな」と言って教壇ではいはいさせるようになった。その影響で児童まで彼を赤ちゃん扱いするようになり、彼がやめてと叫んでも誰もやめることも注意することもしなかった。
私はその担任に不信感を抱き、直接担任に「これはいじめだと思う」と抗議したが、とりあってもらえなかった。しかし、ある日の給食の時間に担任が突然、私からみんなに話があるそうだと言い出した。そんなこと私は一言も言っていないため混乱と恐怖でいっぱいになったが、ここで負けてはいけないと思った。私はいじめをやめようとみんなに懸命に話した。反論されても話し続けた。その結果いじめはなくなり、仲良く生活できるようになった。
よく言われるように、いじめを無くすことはできないだろう。だが、いじめられている人を庇(かば)う人が一人でもいたら、側にいて支える人が一人でもいたら心は救われるのではないだろうか。人は心が一人になった時に本当の悲しみを感じるのだと思う。自分の周りの人がその様な状況になった時、恐れや不安に打ち勝ち、闘う勇気を持ち続けて生きて行きたい。小さな私一人でも、少しの勇気で大切な人の心を守れるのだから。
◎声を出し助けたい
新聞記事コンクールに応募する時、単に読んだ記事内容を感想としてまとめるのではなく、自分の経験に基づいた形にしたいと思いながら題材を選びました。
私が小学生の時、同級生の男の子が必要以上に挙手をしたり、授業中に立って歩いたりしたことで、担任の先生から赤ちゃん扱いされてしまった体験を振り返ったものです。
男の子自身が「赤ちゃん扱いされるのは嫌だ」と言っていたので、本人が嫌がることは「やめるべきだ」と思った記憶があります。
担任から「関本さんからみんなに話があるそうだ」と言われた時はくじけそうになりましたが、黙っていたら負けてしまうと感じ、「これはいじめだからやめよう」と呼び掛けました。
やはり、周りに困っている人がいて、自分が何か言うことで助けられるのであれば、声を発する勇気が必要なのだと思います。
論説委員長賞
「サポートする人をサポートしていけば」 宮城県泉高2年・折原杏璃(おりはら・あんり)さん
「老老介護」。これは介護を必要とする高齢者の世話を高齢者が行うことを示す。高齢化が進み介護の必要性が高まる一方で、このような高齢者同士の介護が増え続けている。介護施設を利用するには金銭的負担が大きすぎることや、核家族が増え、近くに頼れる家族がいないなどの理由により「老老介護」となってしまうのだ。
しかしこのままでは、介護する側の肉体的、精神的ストレスが大きく、認知症の発症や共倒れなどの危険につながる。介護される人にはもちろん、介護をする人にも支援の枠組みをしっかり備えてこそ「在宅介護」が成り立つのだと考える。
私の祖母は七十歳になった今も、ほとんど休むことなく働いている。それは祖父のためだ。私の祖父はパーキンソン病を患っており、自由に体を動かすことができない。食事やトイレなど日常的なことは自力で頑張ろうとするも、時間がかかってしまい失敗も多い。常に祖母の手助けが必要なのだ。そのため祖母は仕事から帰ってきても祖父の世話に追われている。病状も少しずつ深刻化していく中で、祖母が担う部分も増えていく。
介護をするにあたっての金銭的負担も大きい。しかし、自力で立つことのできる祖父は介護支援の規定上、援助を受けることができない。だから祖母は働き続けなければならない。私たち家族もできる限り祖母の力になれるよう努力しているが、遠く離れて暮らす祖母をサポートできる時間は短い。
このような状況に置かれている高齢者は少なくない。今のままでは「在宅介護」は難しいと言える。介護を必要とする人へのサポートも大切だが、介護する人へのサポートをもっと重要視するべきだと思う。介護は決して一人の力でやりきれることではない。介護する人の負担を少しでも軽減するために、家族や会社に介護についての理解を深め、協力的になってもらう必要がある。また、国からの支援ももっと利用しやすいように改善させ、少しずつ負担を軽減するべきだ。
論説委員長賞
「いじりといじめ」 仙台市富沢小6年・高橋愛佳(たかはし・あいか)さん
最近はコミュニケーションの一つとして友達を「いじる」のがあたり前になっている。「いじる」とはからかったり、いじわるをして反応を楽しんだりするということで、「いじめ」とはちがうものだと私は思っている。じゃあ、「いじめ」と「いじり」のちがいとはなんだろう。
私が思う「いじめ」は、いやだと伝えてもやめてくれなかったり、大人数で一人に対していやがることをするということ。「いじり」は、言いかえせるような軽い口調で、言う方も言われる方も笑えるようなからかい…だと私は思っている。
でもこれは私の考えだし、他の人は他の考えがあるのだろう。
いじりがエスカレートしていじめになってしまうことがあるのは、いじりといじめの境界線があいまいで、人によって大きく差があることに気がつけないまま、いじりをキツくしてしまうからだと思う。
いじっていただけなのにいつの間にかいじめになってしまうなんてことがないようにするには、やっぱり友達とどこまでがいじりでどこからがいじめかを話し合うことが大切だ。ハッキリといじめといじりの間に線を引くことで、いじりはいじめになりかねない危険なものからコミュニケーションの一つとしてつかえるようになる。
私の学年でもいじりはよくみるし、私自身もいじられたり、いじったりする。いじってリアクションをみるのは面白いし、話すことがなくてもいじりでなんとなく話を続けることもできる。けっこう便利なので、たくさん言いすぎたり、言葉がキツくなってしまいがちだ。自分では言葉がキツくなって相手を傷つけてしまっていることに気がつきにくい。だから、いじられる側が「いやだな」と思ったら、相手に「今のはいやだった」と伝えることも大切だと思う。
いじりがいじめにならないようにするために必要なのは、「境界線」と「思いやり」、「意思表示」。この三つを忘れないようにして、いじりがいじめにならないようにしたい。
論説委員長賞
「「自分らしく」生きるために」 尚絅学院中3年・渡辺真央(わたなべ・まひろ)さん
みなさんは「心の性と体の性」と聞いてどう思いますか。世の中ではあまり認知されていませんが「心の性と体の性」が一致しない「トランスジェンダー(性同一性障害)」という人たちが世の中に多く存在します。今は昔よりも多くの人に認知されていますが、まだまだたくさんの問題があります。
その中の一つが制服です。普段何気なく着ている制服ですが、トランスジェンダーの人たちにとってその制服が大きな苦痛となっています。自分の性別と違う制服を着なければいけない、というのはその人にとって大きなストレス要因になります。中には、制服を着ようとすると吐いてしまったり、制服を着るのが嫌で不登校になってしまった人もいるそうです。
私は、そんな苦しみをなくすためにも、制服を自分で選べるようにするべきだと思います。そうすれば、トランスジェンダーの人たちだけではなく、アレルギーで足を出せない人や義足の人など、さまざまな理由で足にコンプレックスを持つ人も、もっと楽しく学校生活を送ることができると思います。
周りからいじめられてしまうのでは、という意見が出ると思いますが、その解決方法は教育にあると思います。調査によると、教員六千人のうち、授業でマイノリティーについて授業で取りあげたことがあるのはたった十四パーセントでした。今、九~十四歳までに性の多様性について学ぶという教育が欧米を中心として広まっています。差別によるいじめをなくすためには、こういった教育をとり入れるべきだと思います。
憲法十三条には「すべて国民は、個人として尊重される」とあります。つまり、私たちは「男らしさ」「女らしさ」ではなく「その人らしさ」を大切にしなくてはいけません。この世で生きる人全員が「自分らしく」生きるためにも、制服の選択の自由は大切なのではないでしょうか。
編集局長賞
「世界と日本と食料問題」 仙台市富沢小6年・只野禾埜(ただの・かの)さん
千九百万トン。この数をきいて、あなたは何の数を思いうかべますか。実は、この数、日本の食料廃棄量の数なんです。そして、皆さんは、日本の食料廃棄量が世界で一、二を争うほど高いことを、ご存じだったでしょうか。
政府広報によれば、その千九百万トンという食料、それは、世界の七千万人が一年間食べていける量だといいます。そのうち、まだ食べられるのに捨てられてしまうもの、いわゆる「食品ロス」が五百万トンから九百万トンもあるといわれています。日本は、食料の多くを海外からの輸入に頼っていますが、その半分近くを捨てていることになります。それを金額にすると、百十一兆円にものぼるというデータもあるそうです。
また、コンビニのお弁当には、廃棄時間があり、それは、製造時刻から八時間が多いそうです。つまり、つくられて八時間以上たった場合、すぐに処分される、ということです。コンビニは現在、日本全国で約五万件ありますが、たとえば各店が弁当を一日二十食廃棄したとすると、弁当だけで、一日に百万食捨てられている計算になります。とてももったいないとは思いませんか。
一方で、私達、消費者にも問題があります。それは賞味期限に対する異常なまでのこだわりです。賞味期限が切れたらすぐに捨て、また買うことをくり返したのがこの結果、千九百万トン、ということではないでしょうか。
こういう状態まで陥った私達はどうなってしまうのでしょうか。食べ物の大切さをわすれ、賞味期限や見た目のきれいさ、手軽さや便利さばかりを重視する、自分の事しか考えられない人に満ちた社会、いや、日本になってはいけません。
まずは、自分たちでできる事…たとえば、必要な分だけとり、その分だけ食べる…食材を使い切る…食べ残しを減らす…消費期限の近い物から食べる…等、方法は様々です。このように、一つ一つの問題にどう接していくかが、これからの世界を少しずつ良くしていくのではないでしょうか。
編集局長賞
「町の焼鳥屋さん 人々に笑顔を届ける」 宮城県古川黎明中3年・高橋樹輝(たかはし・いつき)さん
日が沈み、あたりが薄暗くなり始めたころ、ぽつんと赤い灯が灯る。香ばしいにおい、立ちのぼる白い煙。そこには焼鳥の屋台があった。
宮城県栗原市築館にあるこの屋台は二年ほど前から営業している。現在では知名度も高まり、評判を聞きつけ、はるばる遠くから買いにくる客も現れ始めたそうだ。
この店で特にこだわっているのは、食材の質と焼鳥の見た目だそうだ。食材は直接仕入れ、屋台の中に二台完備されている冷凍庫に保存。肉の新鮮さをそのままの状態に保っている。そのため、すぐに質が落ちてしまうレバーも、良い品質のまま提供できる。
また、焼鳥の見た目も、大きさのバランス、グラム単位での調整も行われるため、すっきりとした見た目となり、人々は食欲をそそられてしまう。
焼鳥の種類も様々である。焼鳥の定番である、ももやねぎま、鳥皮等をはじめ、ハツやハラミ、タンなど普段はあまり食べることができないものまで店頭にずらりと並んでいる。種類の数は他の店と比べても多い方であるという。
また、店員の人の良さもこの屋台の魅力の一つであろう。常連客には焼鳥のおまけや自家製野菜をあげたり、暑い日には冷たく冷えた麦茶や甘酒をサービスしたりと、常にお客さんを気にかけ、そのつどサービスを行っていた。
この店で焼鳥を焼く高橋さんによると、「今後は焼鳥だけではなく新たなことにも挑戦していきたい。例えば私は料理が好きなので、ここの肉を使ったメニューも考えてみたい」と今後の夢を語っていた。「ここで焼鳥を焼いていて一番幸せなことは、やはりお客さんが笑顔で私が焼いた焼鳥を食べてくれることです。それを見られるからこそ私たちはたとえ仕込みなどが大変だろうと毎日頑張れるのです」と笑顔で答えた。
今日も焼鳥の屋台では焼鳥と彼女たちの笑顔で人々に幸せと笑顔を届けている。
防災・教育室長賞
「「震災」を忘れないために」 宮城学院中1年・岩崎(いわさき)あかりさん
「逃げろ。津波が来るぞ」。この叫び声は、震災から六年が経った今でも頭から離れません。
二〇一一年三月十一日。その当時、私はまだ六歳でした。その日私は風邪を引いていて、幼稚園を休んでいました。当時まだ二歳だった妹と、母と遊びながら、「もうすぐおやつだね」などと話していました。
午後二時四十六分、突然大きな地震が起こりました。倒れかかるテレビ、ゆれる電灯。怖くなって泣き出す妹。その時の様子は、今も鮮明に覚えています。マンションの階段をかけ降り、車に乗りこむと、母は一目散にマンションへと戻っていきました。その間、私は大泣きする妹を、たまたま持ってきていた本でなんとか泣きやまそうとしていました。顔こそ平静だったものの、私は実際心の中で「お母さんは戻ってこれるかな」というようなことしか考えていませんでした。ようやく戻ってきた母はラジオをつけました。いつもは明るい母が真剣な顔で聞いていたので、私たちは黙っていました。
ラジオから「津波」という一言が飛び出した瞬間、母は住んでいるマンションへと戻っていき、腕いっぱいの荷物を車にのせ、避難所近くの公園へとにげました。
それから私たちは避難所へ移り、どこにいるかが分からない父を待つ不安な日々を過ごしました。
無事に父は見つかりましたが、今も行方不明の人はたくさんいます。行方不明者の家族は、どれだけ悲しい思いをしているでしょうか。私よりはるかに大変な思いをされた人、私よりも多くのものを失った人がいること、又震災がもたらした多くの悲しみを忘れないためにも、私たちが今から出来ることを考えていく必要があると思うし、震災を忘れないこと以外でも、震災についての記憶を次の世代、また次の世代へとつないでいくことも大切だと考えます。まずは今からできることを考え、少しずつ行ってみては? その小さな行動が、いつか大きくなることを信じて。
優秀賞/佳作
◆優秀賞 | |
奈良葵 | 仙台市富沢小6年 |
川井実柚 | 同6年 |
佐々木菜名 | 同6年 |
赤川瑞姫 | 同6年 |
鈴木彩太 | 同6年 |
今井心月 | 同6年 |
守優花 | 同6年 |
遠藤望々花 | 石巻市寄磯小6年 |
渡辺成海 | 同5年 |
宮崎文脩 | 仙台市上杉山通小6年 |
井崎英乃 | 宮城県仙台二華中3年 |
西條秀都 | 気仙沼市松岩中3年 |
鈴木映里 | 宮城県古川黎明中3年 |
熊谷千遥 | 同3年 |
斎藤怜生 | 同3年 |
平沢葵(防災部門) | 同3年 |
原科芽衣 | 岩手大教育学部付属中3年 |
鈴木真尋 | 宮城学院中2年 |
由利侑子 | 宮城県利府町利府西中3年 |
柏咲有 | 同3年 |
妻木海帆 | 宮城県泉高2年 |
伊藤彩 | 同2年 |
佐治花音 | 同1年 |
伊東初菜 | 同2年 |
高橋優太 | 同2年 |
畑萌 | 同2年 |
小野寺菜菜 | 宮城県古川黎明高1年 |
菅原篤弥 | 同1年 |
鈴木結衣 | 同1年 |
中山侑香 | 同1年 |
千葉大 | 同1年 |
◆佳作 | |
千葉幸大 | 気仙沼市気仙沼小6年 |
伏見愛 | 宮城県古川黎明中3年 |
長谷川侑那(防災部門) | 同3年 |
武田明日香 | 宮城県古川黎明高1年 |
(敬称略) |
講評
素直な表現 文章に磨き/審査委員長 原谷守(河北新報社論説委員長)
今年の河北賞は甲乙付け難く、石巻市寄磯小6年遠藤怜明さんの「寄磯のホヤは世界一」と、宮城県泉高2年関本千夏さんの「闘う勇気を持とう」の2点に決まった。
いずれも身近な出来事をベースにして自分の考えをきちんとまとめ、明確なメッセージを織り込んだ素晴らしい内容の作品だった。
遠藤さんは学校行事で海洋体験をしたことをつづっている。ホヤ養殖に携わる地域の人たちにインタビューし、自ら水揚げや殻むきに挑戦することで、地元の「宝」に気付かされたことがよく伝わってきた。文章表現は素直で、方言も巧みに使って生き生きと描かれている。新鮮な「寄磯のホヤ」を実際に味わったような気になった。
関本さんの作品はいじめの問題に真正面から切り込んだ力作だ。小学生の時に、発達障害の同級生が担任から「赤ちゃん」扱いされ、いじめられていたつらい話が基になっている。
担任に影響されて、見て見ぬふりするクラスの仲間に「いじめをなくそう」と懸命に訴えて、いじめがなくなった事実を踏まえ、「恐れや不安に打ち勝ち闘う勇気」を訴えている。
構成、論理の組み立てが整っており、文章自体も磨かれている。「人は心が一人になった時に本当の悲しみを感じるのだ」という言葉が胸に染みた。