社会と向き合い より良い未来へ

東北の小中高生が身の回りの出来事を調べたり、社会問題に対する自分の意見をまとめたりする第28回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会・仙台市教育委員会後援)の入賞作品が決まった。応募総数は1930点で、ロシアのウクライナ侵攻や新型コロナウイルス、安倍晋三元首相銃撃、環境、差別、東日本大震災などをテーマにした作品が目立った。最高賞の河北新報社賞と主な入賞作品を紹介する。(表記を一部直しています)

河北新報社賞

動物を家族として受け入れるために

白石市白石一小5年 小関義恭(こせき・よしすけ)さん

泉ケ岳スキー場(仙台市泉区)の駐車場のバス停のそばに、猫がいた。近づいたけれど、ほとんど動かずうずくまっていた。顔にはアリがたくさんいたけれど、体は汚れていなくてきれいだった。少し迷ったけれど、ぼくは、母と相談して病院に連れて行った。でも、猫はその日の夕方、亡くなってしまった。

猫はなぜ、スキー場の駐車場にいたのだろう。駐車場の辺りに住み着いている野良猫が、生んだのだろうか。泉ケ岳に来た誰かの車のボンネットに入り込んで、来てしまったのだろうか。誰かに捨てられたのだろうか。

ぼくが地域猫活動を知ったのはごく最近で、テレビやラジオ、新聞の広告だった。飼い主のいない猫に餌を与えたり、トイレを用意したりしながら、去勢や不妊の手術をして地域に戻し、将来的には飼い主のいない猫を減らすことが目的だ。

だが、それをいいことに、飼いきれなくなった猫を知らないふりをして捨ててしまう、無責任な飼い主もいるらしい。自分で保健所に連れて行くと、自分が殺したという罪悪感が残るが、誰か親切な人が見つけて飼ってくれていると思うことで、捨てた人は罪悪感を持たず、自分は良いことをしたと自分を納得させることができるのだと思う。

「78円の命」という本がある。元々は小学生が書いた作文が本になったものだが、保健所に連れて行かれたペットの殺処分について書かれている。人間の都合で不要だと判断された猫の殺処分にかかる費用は、たったの78円。猫の命の値段はそんなに安いのか。人間だったらどうなのだろうか。同じ命なのに。

泉ケ岳にいた猫がなぜそこにいたのかは、ぼくには分からない。でも、もし捨てられたのなら、とても悲しいことだ。一度は家族として迎えた命なのだから、最後まで責任を持ってほしい。そして、ぼくも含めて、人間以外の命の責任についても考えなければいけないと思う。

荒美咲さん

人間も猫も同じ命

今年6月、泉ケ岳で見つけた白猫が亡くなり、とても悲しかった。かわいそうで、どうしてそこにいたのだろう、という疑問がずっと頭を離れませんでした。

うちで、猫を飼っています。昨年、約20年飼っていた2匹が亡くなりました。僕が生まれる前からうちにいて、大好きでした。水や餌をあげたり、元気がないときは病院に連れて行ったりして世話をして、最後のときまで一緒にいました。命を飼う重さを実感しました。

「78円の命」という本は、本屋で偶然見つけて初めて自分で買いました。猫の命がたったの78円という内容に、衝撃を受けました。「人間も猫も同じ命のはずなのに」と、強く心に残りました。

自分の体験と本の内容、最近新聞やテレビコマーシャルなどを通して知った地域猫の活動が頭の中でつながり、命について書いてみようと思いました。

簡単に「子猫いらない?」と声を掛ける人や、飼わないのに「うちに来るから」という理由で餌をあげる人もいます。無責任だと思います。

生き物の命を中途半端に扱わないでほしい。飼うなら最後まで大事に世話してほしい。自分の意見をみんながどう思うか、聞いてみたいです。

毎朝、新聞を読むのが日課です。テレビで扱わないニュースも載っているし、分からなかったら何度も読み直すことができるところが気に入っています。楽しい時間です。

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論説委員長賞

日本の教育を見直して幸福度を上げよう

宮城県泉高2年 タタル梨沙(りさ)さん

みんなは自分の住んでいる国、日本についてどのように考えているか。海外からも比較的プラスのイメージを持たれている国であると思う。治安も良い方だし、日本人特有の礼儀作法、高度な技術で他国を圧倒してきた。

しかし私はみんなに問いたい。日本が本当に良い国なのか。私はハーフということもあり、もう一つの母国とよく生活や国民性を比較することが日常的に多々あるのだが、日本には深刻に受け取るべき問題がある。

それは国民の幸福度である。実は年々と幸福度が下がっている傾向にあり、今年はなんと先進国であるのにも関わらず54位であったのだ。生活の苦しい人がとても多い国でもないのにだ。なぜこのようなことになってしまったのか考えてみると、その原因は教育にあると気付いた。

私はヨーロッパの幼稚園に通った経験があるのだが、日本の教育の仕方とは大きな違いがあった。印象に残っている出来事としては、お昼寝の時間に当番制で下級生の子守をしたり、何をして遊びましょうというのは全くなく、自分たちで注意して遊んでいたりした記憶がある。そこでおそらく養われるのは積極性である。

日本の学校は生徒が主体になることがとても少ない。授業スタイルも黒板を写す、決められた課題をやる、そのようなことばかりだ。海外では自分でテーマを決め、プロジェクトのように自分の意見を表現することが日常的にあるからこそ、意見を持ったり、自分独自のアイデアを発言したりすることにより、自信や将来の夢へのきっかけとなることがあると思う。それが将来的な幸福につながるのではないか。

日本は自分を出すことを恐れ、周りの目ばかり気にする生きにくい社会を、このような教育で今になっても作り出している。私たち人間はどのように自分に正直に生きられるのか、みんなで考えてみたいと私は思う。暗黙の了解や当たり前な常識、それって本当にあなたが望み、意味を持っているものなのか考えてみるべきだ。

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論説委員長賞

とられることのない富

郡山市高瀬中2年 小林綾莉(こばやし・あやり)さん

小学5年生のとき、同じクラスの子に下敷きをとられた。その下敷きは雑誌の付録で、もう買うことはできないものだった。彼女にいくら頼んでも下敷きを返してはくれなかった。私は自力で取り返すことを諦め、母に相談した。母に言えば、きっと先生に言って取り返してくれるだろう。そう考えた私だったが、返ってきたのは予想外の言葉だった。「下敷きは他にもあるでしょ」

確かに下敷きは他にもある。しかし、お気に入りのものをとられてこのままで良いはずがない。納得のいかない私に、母は椎名林檎さんの「ありあまる富」という曲を聴かせてくれた。買える富には価値がない、絶対になくすことのない富は自分の中にある、という意味のことを歌っていた。母はさらに、学校へは大事な物は持っていかない、というルールを守らなかった私にお説教をし「頭の中は誰にも奪われないんだから、たくさん勉強して取られない富を増やしなさい」という言葉で、この「下敷き事件」は強制的に終了させられてしまった。

今年2月、ロシアがウクライナを侵略した。私の学校には、生徒の日記に先生が返事をくれるシステムがある。日記に侵略のことを書いた日、先生からのコメント欄には「力で手に入れたものって、どの程度大切なものになるのかしら」とあった。それを読み、私は5年生のときに聴いた椎名林檎さんの歌を思い出していた。

 どんなに強い力を使って侵略しても、ウクライナの人たちの心までは奪えないはずだ。ウクライナを愛する気持ちや誇りは絶対に奪うことができない。ウクライナの人たちの心の中には自分の国を思う気持ちや、そこでの思い出があり、それは目には見えないけれど、誰にも奪うことのできない「ウクライナ」だと思う。

 もし、領土を奪うことができても、「ありあまる富」は決して侵略では手に入らないと思う。誰かが盗めるような「物」ではなく、誇りや愛、思い、といったその人の中にある形のないものこそが大切な「富」なのだ。

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論説委員長賞

タブレット端末の使用の意味

塩釜市塩釜二小5年 佐藤里桜(さとう・りお)さん

最近、小中学校でタブレット端末を使う授業が行われています。私もクラスメートと、タブレット端末を使う授業を楽しみにしています。

 現在の学校では情報通信技術(ICT)を活用し、タブレット端末を使って児童に情報を与えることで、教師の説明をより理解しやすくしたり、デジタルコンテンツを使った効率的な新しい授業を展開したりしています。

 私の学校では、ルールを守って楽しく授業に活用している児童がたくさんいる一方で、悪ふざけをする人がいます。データ共有機能で、変な写真などを送ってくる人もいます。本当はタブレット端末を楽しく授業に活用するはずなのに、悪ふざけをして、授業が進まないこともあります。

 同級生のいとこに「タブレット端末を使った授業をするのは楽しい?」と聞いたところ、いとこは「私はタイピングが遅いし、タブレットを使うのが得意じゃないから、あまり好きではない」と答えました。

 しかし、私はタブレット端末を使った授業は、タイピングが苦手な人でもタブレットを使えるようになるために行っていると思います。悪ふざけする人のタブレット端末は、没収したらいいと考えます。

 私は、タブレット端末を使った授業が好きだし、タブレットを使用することも好きです。それに、分からない人の手助けをするのも好きなので、タブレット端末を使った授業はずっと続けてほしいと思っています。

 母は「今のうちにタブレットになれて、大人になったらすぐにパソコンなどを使えるようになってほしい」と言っていました。私はこれからもタブレット端末を使い、自分の未来に役立てていきたいと思いました。

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編集局長賞

無医地区の医療を救え

仙台青陵中等教育学校1年 鈴木美春(すずき・みはる)さん

「なぜこの病院の待ち時間は長いのだろう」。そんな疑問が頭に浮かんだのは、ある総合病院で診察待ちをしているときのことであった。

 私は視力が弱く、数カ月に一度この病院で検査を受けている。いつ来ても受診者が多く、受け付けを済ませてから会計が終わるまでの約3時間は病院にいなければならない。そこで、この夏の検査の診察待ちの間に、先ほどの疑問についてじっくりと考えてみることにした。

至った結論は、仙台市は人口が多い、必然的に病院を受診する人が多くなる。結果、診療の待ち時間が長くなるというものだった。納得できる考えであったが、「大都市の病院でなければ待ち時間は短いのか」という新たな疑問が湧いてきた。そこでこの問題について調べてみることにしたのだが、医療の現状を知って衝撃を受けた。

厚生労働省の報告によれば、無医地区は全国に570地区、無医地区人口は12万6851人にのぼる。近年は道路の整備が進み、他の地区の医師が定期的に診療に訪れることが可能となったため、無医地区に該当する箇所は減少しているとのことだ。しかし、訪問日でなければその地区に医師は一人もいない。急病人が発生した場合には命に関わる危険性もあるのだ。

 なぜ医師や病院のない地区が存在するのだろうか。一つは金銭的な理由が挙げられる。病院の維持には費用がかかる。採算が見込める場所、つまり人口の多い地区に病院が建てられるのだ。二つ目は医師の数の少なさだ。人口千人当たりの医師の数は経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均が3.5人なのに対し、日本は2.4人と少ない。都市部ですら医師が足りていないのが日本の現状なのだ。

無医地区の医療改善を促進するため、医師不足の解消とドクターヘリや巡回診療車などでの対応を強化することが求められている。日本のどこに住んでいても安心して医療が受けられる日が来ることを強く願っている。

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編集局長賞

学校に行かないのは悪いこと?

仙台南高3年 高田(たかだ)はるかさん

「私は不登校でした」

小学5年生の春、私は突然学校に行けなくなった。理由を聞かれても分からなかった。心の中では行きたいと思っていても体は動かなかった。そんなとき、私に居場所をくれたのは保健室の先生だった。

その保健室の先生は言った。「頑張り過ぎて充電切れしちゃったんだよ。あなたは少し止まって充電中なだけ」

その一言で私の心に重くのしかかっていた何かが消えていくように感じた。先生の言う通り、私は不登校になる前まで真面目な生徒だった。でも今は無理をして優等生になろうとしなくなった。それが私に合ったスタイルだと思ったからである。

高校3年生になった私は進路決定を迫られている。今の将来の夢は養護教諭になって生徒の「心の居場所」となる保健室を作ることだ。文部科学省によると2020年度の不登校の児童生徒は全国で19万人余りで過去最多となっている。不登校の児童生徒のほとんどは学校に行けない自分をダメだと思っているだろう。私も当時は学校に行くという普通のことができない自分を責めていた。でも学校に行かないことは本当に悪いことなのだろうか。私は学校という場所を一つの学びの場としか思わないようになった。学校の他にも塾やフリースクールなど学びの場はたくさんあるのだ。このことは私が不登校にならなければ、養護教諭の存在がなければ気付けなかったように思う。

学校に行かないことは悪いことなのか。不登校を経験した私から伝えられるのは、学校に行けない自分を責めないでほしいということ。そして学校という狭い世界に閉ざされないでほしいということだ。私は将来、養護教諭になって生徒を見守り、支える存在として学校と子どもたちの抱える問題の解決の手助けをしたいと思う。

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編集局長賞

新エネルギーと自然環境

聖ドミニコ学院小6年 菊田伶(きくた・れい)さん

新聞で「関電 宮城・川崎 蔵王山麓の風力発電を撤回」の記事を見た。地元住民などの反対が多く断念したという。風力発電に期待していたので、残念だった。

風力発電の長所は二酸化炭素を排出しないため、地球温暖化を加速させないこと。化石燃料を使用せず、なくならない風を使うため、安定した供給が期待できる。

短所は、騒音や発電量が天候に左右されることだ。そして、今回の反対理由の一つでもある環境や景観への影響。この地域は観光地で、絶滅危惧種の動物の行動圏も含まれていた。風力発電は環境に優しいと考えていたが、建設地周囲の環境を壊しかねないと知った。

他の地域では、どのように風力発電を実現したのか。「新エネルギーの町」岩手県葛巻町を訪ねた。葛巻町では、町役場の人から「町の新エネルギーへの取り組み」の話を聞き、風力発電や太陽光発電、バイオマス発電の施設を見学させてもらった。

初めて見る装置や仕組みに感動した。風車を建てる際に反対意見が出なかったのか聞くと、「景観に関しての反対はあまりなかったが、絶滅危惧種の鳥類や珍しいチョウが生息していることが分かっており、そのことについては反対があった」と話していた。図鑑で見たことのあるチョウの名前だった。

どう対処したのか聞くと「風車の間隔を大きく開け、鳥がぶつからないようにしたり、チョウやチョウの餌となる植物の生息する一帯は残したりして工夫し、理解を得た」と教えてくれた。対処によっては、反対の人たちの理解を得られるのだと思った。

さらに発電以外で役立っていることはあるか聞くと「新エネルギーへの取り組みが早かったため、町の特徴になっている。見に来る人も多い」と答えてくれた。現地では、風車の大きさやブレードの弾力性を体感できた。

脱炭素のため新エネルギーの開発は必要だが、それにより環境破壊が進むのでは、矛盾が生じる。開発には詳しい調査や計画、説明が必要で、地元住民の支持を得られることが不可欠だ。今ある環境と共生可能な新エネルギーが増えることを希望する。

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防災・教育室長賞

福祉を身近なものに

尚絅学院高3年 河村幸子(かわむら・こうこ)さん

 

「災害弱者支援」。最近耳にする言葉にどれくらいの人が関心を持っているだろうか。災害時、自力での避難が難しく支援を要する人、主に障がいを抱える人を災害弱者という。では、彼らを支援する人はどんな人だろうか。福祉職の人だろうか。いや、自分を含め誰もが支援者なのだ。

 Mちゃんとの出会いは8年前。彼女は聴覚障がい者だ。山形の祖父母の近所に住んでいて、帰省のたびによく遊んだ。補聴器が髪に隠れていたこともあり、彼女に障がいがあることに気が付くまでしばらく時間がかかった。私が気を付けることといえば、自分の口元をよく見せてはっきり発音すること、後ろから声をかけないこと、これくらいしか思いつかないほど私とMちゃんは何も変わらない、と思っていた。あの日までは。

中学生に上がるころ、祖母からこんな話をされた。

「この地域一帯が土砂災害特別警戒区域に指定されてね、避難を知らせる警報が全く聞こえない全ろうのご両親がいるMちゃん一家を、どう安全に避難してもらうかが町内の課題なんだ。何か良い案はない?」

「警報と連動して災害を知らせる点滅ランプを作るとか?」。未熟な私は物理的な解決策しか浮かばなかった。

何度も重ねた町内会議で決まったことは「支援者をあえて限定せず、自宅にいる誰もが直接避難を呼びかけに行く。その際、手話で『一緒に逃げよう』と伝える」。私は自分の考えが浅はかだと気付くとともに、みんなで助け合い、乗り越えた東日本大震災を経験した被災者として、当たり前のことに気付けない自分が恥ずかしく情けなかった。物理的な支援より、人がする支援が何より大切だということに。

障がい者の困りごとに行政の福祉職の人だけが寄り添うのではなく、社会全体に支援の輪が広がり、自然に助け合いが生まれることで、本当の意味での社会福祉が成り立つのではないだろうか。

他人事を自分事と捉え行動することを福祉と向き合う第一歩とし、社会に広める活動としていきたい。

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優秀賞/佳作/優秀学校賞/学校賞 (敬称略)

優秀賞

松浦聖

宮城教育大付属小6年

優秀賞

神谷宗之介

宮城教育大付属小5年

優秀賞

日比野可於

仙台白百合学園小6年

優秀賞

菊池英仁

聖ドミニコ学院小2年

優秀賞

越中谷響希

聖ドミニコ学院小5年

優秀賞

桜井龍杜

塩釜市塩釜二小5年

優秀賞

菅原颯太

気仙沼市津谷小6年

優秀賞

斎藤玲汰

加美町鳴瀬小1年(宮城)

優秀賞

八重嶋みく

仙台市郡山中2年

優秀賞

高橋彩月

仙台市郡山中2年

優秀賞

田端悠大

仙台市郡山中2年

優秀賞

飯野雪輝

仙台市中山中2年

優秀賞

山下蕗乃

宮城学院中3年

優秀賞

宇田詩桜

宮城県古川黎明中3年

優秀賞

日野佑奈

宮城県古川黎明中2年

優秀賞

伊藤愛莉

宮城県古川黎明中1年

優秀賞

大内優海

盛岡市松園中2年

優秀賞

下出拓利

岩手大教育学部付属中1年

優秀賞

川村康晴

宮城県仙台南高3年

優秀賞

岩倉知世

宮城県仙台南高2年

優秀賞

尾形元気

宮城県仙台南高2年

優秀賞

金田怜実

宮城県泉高2年

優秀賞

高城柊冴

宮城県泉高2年

優秀賞

佐藤凜

尚絅学院高3年

優秀賞

多田空

尚絅学院高3年

優秀賞

中村公亮

尚絅学院高3年

優秀賞

後藤果純

尚絅学院高2年

優秀賞

滑沢音夢

宮城県小牛田農林高2年

佳作

柏倉彩乃

宮城学院中3年

佳作

鈴木心晴

仙台育英学園高1年

優秀学校賞

宮城県泉高

優秀学校賞

宮城県古川黎明中

学校賞

宮城学院中

学校賞

盛岡市松園中

学校賞

宮城県仙台南高

学校賞

尚絅学院高

学校賞

仙台育英学園高

学校賞

宮城県涌谷高

学校賞

宮城県小牛田農林高

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講評

命と教育 鋭い切り口

審査委員長 河北新報社論説委員長 宮川宏

ロシアのウクライナ侵攻や新型コロナウイルス、自然災害などのニュースに接するたびに、「命」のことを考えさせられます。

その大切さは人間に限りません。小関義恭さんは猫を通して命の価値を考えました。人間以外の命にも責任を持つべきだという指摘は鋭いです。スキー場で見つけた猫から地域猫、そして動物の命へと展開させた構成も見事です。

河村幸子さんの災害弱者支援も命に関わるテーマです。災害時、聴覚障害者をどう避難させるか。大人たちが出した結論に学ぶだけでなく、東日本大震災の経験を伝えていこうという覚悟もうかがえました

菊田伶さんは風力発電に関心を持ち、先進地を取材しました。素晴らしい行動力です。絶滅危惧種の生息環境をどう守るかという点では、命の問題にもつながります。

佐藤里桜さん、タタル梨沙さん、高田はるかさんは広い意味で教育を題材にしました。自らの経験を通して、普遍的なテーマや今日的な課題について「気付き」を得ています。

鈴木美春さんは通院先で抱いた疑問から医師不足の問題にたどり着きました。小林綾莉さんも身近な話題からウクライナ危機に触れ、人間にとって本当に大切なものは心の中にあるという結論に至りました。どちらも文章の展開の仕方と考察力が光ります。

ささいな疑問でも調べると、日本が抱える問題に行き当たることがあります。また、グローバル化が進む現代では、外国の出来事は私たちの生活と無関係ではありません。そうしたことを念頭に置いて新聞を読んでもらえたらと思います。

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