明るい世界目指し「できること」探る

 第30回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会・仙台市教育委員会後援)の入賞作品が決まった。応募総数は過去最多の2140点。東北の小学生、中学生、高校生が、気候変動やパリ五輪、誹謗(ひぼう)中傷などをテーマに、取材したり自分の考えをまとめたりした。最高賞の河北新報社賞と主要な賞に選ばれた作品を紹介する。(表記を一部直しています)

河北新報社賞

伝統野菜を守るために

宮城県古川黎明中2年 内藤倫円(ないとう・とものぶ)さん

 私は、マクワウリが好きだ。マクワウリは独特の食感、風味のあるウリで、日本の伝統野菜である。交雑が多いことから、地域ごとに種の異なるものが定着していることが多い。

 近年、マクワウリのような伝統野菜の存続が危ぶまれている。その理由の一つに、生産者が減少していることがある。伝統野菜は、種を採取しないと次の年に栽培することができなくなる。つまり、生産者の減少は伝統野菜の存続に深く関係している。

 一方で現代において一般的に育てられている野菜、作物とはどのようなものなのだろうか。これらはFI品種という性質の異なる野菜、作物同士を掛け合わせた品種である。FI品種の長所として、育てやすい、収穫量が多いことが挙げられる。

 ただ、FI品種は採取種を栽培しても、うまく育たないという短所がある。毎年新たに購入した種を栽培しなければ、FI品種としての長所が発揮されない。それに対し、伝統野菜は育てて採取した種を栽培しても品質は変わらない。

 最後にじっちのやりがいを聞くと「大変な思いをして作ってるセリを、シャキシャキしておいしいねと言われることが力にもなるし、やりがいを感じるな」と言っていました。

 今年、農家をしている祖母に、富山県の伝統野菜である銀泉マクワウリの栽培に協力してもらった。祖母の話では、メロンより成長が遅かったそうだが、育てにくいことはなく、大きな立派な実をたくさん収穫することができた。味も香りも食感も、私はメロンよりおいしいと感じた。

 伝統野菜は地域ごとに種類が異なり、性質も異なる。そのため、特有の味、風味がある。FI品種は「育てやすさ」「おいしさ」だけに集中している。FI品種は利点のみに重きを置いており、伝統野菜はFI品種では切り捨てられる良さを維持しているように感じた。育て続ければ、消滅しない。地域ごとに種のある伝統野菜には、面白さがある。

[ メ モ ] マクワウリは、ウリ科キュウリ属のつる性一年草。メロンのような香りがする。皮が黄色、緑、しま模様などさまざまな品種がある。「甘瓜(あまうり)」と呼ぶ地域も。旬は7~8月。

内藤倫円さん

廃れつつある現状に危機感

 伝統野菜を守ることは、その土地の食文化を守ることにつながります。食べやすさや見た目を追い求めて、伝統野菜が廃れつつある現状に危機感を持ちました。

 宮城県大崎市にある母の実家は農家で、祖父母を中心にコメと野菜を育てています。祖母が自家用に育てたマクワウリを初めて食べたとき、とてもおいしいと感じ、興味を持ちました。

 インターネットで伝統野菜の種を販売する専門店のサイトを見つけたので、祖母に協力してもらい、試しに富山県が産地の銀泉マクワウリを育て、以前から栽培していたメロンと比較しようと考えました。自分も通って、収穫まで成育を見守りました。

 形はいびつだけれど、メロンより自然な甘さで好きな味です。祖母も今回の実験で、マクワウリの良さを再確認したようで「種取りしてまた育てる」と言っていました。

 食べやすさではなく、野菜が本来持っている独特の形や味を長所ととらえれば、伝統野菜には面白さがあり、育てる価値があると思います。農家を増やして、伝統野菜の良さを広く伝える必要があります。作品を通して、みんなに少しでも伝統野菜を知ってもらえたらうれしいです。

 自宅周辺で希少種の植物が生えているのを見つけて以来、植物に興味があり、観察したり標本を作ったりしています。新聞も希少種の保全に関わる記事などに注目して読んでいます。

 将来の夢は、伝統野菜についてさらに深く研究することです。生産者になるのもいいなと思っています。

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論説委員長賞

つなげる平和への願い、未来へ

宮城県石巻市大谷地小5年 内海蘭華(うつみ・らんか)さん

 あるニュースが心をとらえました。

 「目に入ったのは『水をください、水を飲ませてください』と弱り切った声でこん願している、男女の区別もつかないほど血だらけの人や上半身裸で傷を負った人でした」

 8月9日、長崎平和祈念式典で、被爆者を代表して三瀬清一朗さんが述べた「平和への誓い」の中の一文です。

 私はその様子をテレビで見ていました。現在89歳の三瀬さんが語る10歳の時の被爆体験は、今10歳である私と重なり、突然その地獄のような光景の中に投げ出された気分になり恐ろしくなりました。

 普段やるべき事を後回しにして、ついだらだらしてしまう私に、母はよく「世界には、勉強したくてもできない子どもたちもいるんだよ。何でも挑戦できる平和に感謝して、一日一日大事に生きてほしい」と言います。私は「またお説教が始まった」といつも聞き流していましたが、三瀬さんの壮絶な体験を聞き、当たり前だと思っていた平和が決して当たり前の事ではないのだと気付かされ、母の言葉をただ聞き流していた自分が、少し恥ずかしくなりました。

 私はこれまであまり戦争や平和について真剣に考えたことがありませんでした。ですが、今回自身の被爆体験を伝える語り部の活動をされている三瀬さんの「平和への誓い」を聞き、初めて核や戦争の恐ろしさ、そして平和の尊さについて「自分事」として受け止めることができました。

 ウクライナやパレスチナの戦火に終わりの見えない中、自分に何ができるのか分かりません。しかし、平和とは何なのかを考え続け、世界中に平和が訪れることを願ってやまない人々の思いを未来へつなげていくことこそが、私たち若い世代の役目なのではないかと強く思います。

 そして今回、私が戦争や平和について考えるきっかけとなった三瀬さんに会いに、いつか長崎の街を訪れてみたいと思います。

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論説委員長賞

保護猫について

宮城県名取高1年 細浦珠久莉(ほそうら・みくり)さん

 私の家は猫の通り道になっています。少し前に黒猫が決まった時間になると家に来て、餌を待つようになり、私もよく餌をあげていました。その黒猫はとても警戒心が強く、おそらく一度去勢手術のため捕らえられたからではないか、と母が言っていました。他の猫とけんかしたのか、傷だらけの時もありました。

 ある日、その黒猫は目の前の道路で車にひかれて亡くなってしまいました。きっと私の家に餌をもらいに来る途中だったのでしょう。

 黒猫との関わりを通して、私は地域猫に興味を持ち始めました。調べてみたところ、「地域猫活動」というものがあることを知りました。地域猫活動とは、地域猫のために餌をやったり、去勢手術をしたり、トイレの設置をしたりする活動のことです。ですが、当初想定してた予算や期間では対応できず、放置されるケースも多いそうです。特に去勢手術には、雌は2~3万円、雄で1万円ほどかかるそうです。

 地域猫活動の発展系で「保護猫活動」というものがあります。この活動は動物愛護センターで保護している猫を預かり、必要なケアを行いつつ飼育しながら適性がある新しい飼い主を探すことです。地域猫活動ではできない猫の身の安全を保証してあげることができます。

 調べていくうちに、仙台にも保護猫カフェというものがあることを知りました。母と実際行ってみると、人慣れしている猫もいれば警戒心が強い猫もいて、とても個性豊かでした。そのカフェには野良猫だけではなく多頭飼いや虐待されていた猫もいました。みんなそれぞれ背景がありますが、今こうして保護され安全に暮らすことができていて良かったなと感じました。

 私は猫を飼うことのできる環境にはありませんが、保護猫カフェで支払ったお金は活動に役立っていると知り、時々訪れるようになりました。自分にできる小さな活動を積み重ね、一助となれたら幸いです。

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論説委員長賞

理学療法士から学んだ「支える力」の重要性

宮城県石巻市稲井中3年 遠藤夏(えんどう・なつ)さん

 中学校の陸上部員として日々練習に励んでいた私はある日、大殿筋を痛めてしまい、リハビリが必要となりました。この経験を通じて、理学療法士という職業の重要性に気付くと同時に、「支える力」の大切さについて深く考えるようになりました。

 まず、理学療法士とは、単に身体機能を回復させるだけの専門家ではありません。リハビリの開始当初、思い通りに体が動かないことに落胆し、不安と焦りの中にいた私に、担当の先生は優しく寄り添いながら、治療の進め方や目標を丁寧に説明してくださいました。この一対一の支援によって、私は少しずつ前向きな気持ちを取り戻すことができました。

 理学療法士は、患者一人一人の状況に応じて治療をカスタマイズします。私の場合、筋力を取り戻すためのストレッチや姿勢改善のトレーニングが中心でしたが、私が小さな進歩を見せるたびに、その努力を評価し、励ましてくださいました。この「支える力」が患者の回復においてどれだけ重要か身をもって実感しました。

 理学療法士の役割は、身体のケアだけでなく、心のケアも併せ持っています。患者の不安や痛みの程度を把握し、それに寄り添いながら最善のサポートを提供するその姿勢が、患者の社会復帰を支える大きな力になっているのです。

 私は、今回の経験を通じて、他者を「支える力」の重要性を実感しました。リハビリの過程で学んだ「一歩ずつ進むことの大切さ」と「他者のサポートが持つ力」を、今後の人生にも生かしていきたいと考えています。

 理学療法士のように、治療を通して人々の生活を豊かにし、心の支えにもなれる存在は貴重で、今後ますます重要な役割を果たすでしょう。私も、いつかこの社会の一員として誰かの支えになれるように成長していきたいと強く思います。

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編集局長賞

外来しゅ・ざい来しゅ

宮城県丸森町丸森小3年 菅野那月(かんの・なつき)さん

 ぼくには、虫の先生がたくさんいます。つぶら農園でのりこさんに会ったのがはじまりです。のりこさんは、丸森の自然にひかれさい玉からひっこしてきました。のりこさんは、みやぎけん未かんそくの虫を3びきも見つけたすごい人です。2人目の先生は、ふく島虫の会の三田村先生です。三田村先生は、図かんを出ぱんしたり、えほんを作ったりしています。のりこさんに三田村先生をしょうかいしてもらったことが、松川浦ちょうさのはじまりです。

 松川浦ちょうさとは、わなを水べにしかけて外来しゅをくじょしたり、どんなざい来しゅがいるのかちょうさしたりします。外来しゅくじょのメインターゲットはウシガエルです。ウシガエルは、口に入る物はなんでも食べてしまい、生たいけいをはかいしてしまいます。

 ウシガエルは、ただの外来しゅではなく、とくてい外来しゅです。だから、生きてもちかえることはできません。もとは、食ようとして外国から持ちこまれて、それがにげて、外来しゅとなりました、その餌として持ち込まれたのがアメリカザリガニです。

 ウシガエルはつかまえた後、口からいを出して、何を食べてしまったのかしらべます。その後ころしてしまうのです。ぼくはさいしょ、しんじられませんでした。ウシガエルは何もわるくないのにころしてしまうのです。でもそれが、ざい来しゅを守るためには、しかたのないことだと教わりました。

 よの中には、人げんのせいでころされてしまう生きものがたくさんいます。ぼくは、それにたいして、かなしいけれどしかたないことだと思いました。でも、もらった命はぜったいにむだにしないときめました。

 食べるためのウシやぶた、自ぜんを守るための外来しゅくじょ。人がころすことがいっぱい。見つけたアカボシゴマダラもひょうほんにしました。ひょうほんは、かわいそうという人が多いけど、そこにその生きものがいたというしょうこになると教わりました。

 ぼくはまだ子どもなので生きもののために、できることは多くありません。でもできることはやります。大きくなったら、正しいちしきをみにつけ、今のけいけんをいかし生きもののためにがんばりたいと思いました。

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編集局長賞

障害者の人権について

青森市西中1年 斎藤 実恩さん(さいとう・みおん)さん

 2016年7月26日に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害される事件が起きた。犯人は同施設に勤務していた元職員で、犯行動機について「意思疎通の取れない障害者は安楽死させるべきだ」「重度・重複障害者を養うには莫大(ばくだい)なお金と時間が奪われる」などの自説を展開し、裁判の結果死刑の判決が出た。

 私には重い障害がある17歳の兄がいる。話すことや歩くことができず、生活の全てに人の手が必要だ。私は小さいころから兄と過ごしていたので、兄のことを周りと違うと思うことはあっても、大切な存在であることに変わりはないと思っている。だからこの事件を知った時、障害者だからいらないと、勝手に判断してその人のことやその人のことを大切に思ってきた人のことを考えず殺してしまうのはひどいと思った。

 母とこの事件について話した。母は兄を産んで障害があると知った時、この先生きていく意味があるのだろうかと悩んだこともあったと教えてくれた。普通の子と同じように学校に通うことや社会で生きていくなどのイメージが全く持てなかったそうだ。でも、肢体不自由の人が通う学校に通わせてみたら、先生が兄をしっかり一人の子として一生懸命愛情を持って接してくれて、兄も一人の人間として生きていいんだと思えるようになったという。

 それを聞いて私は、障害のある子でも人権がないわけではないし、支えてくれる人や大切に思ってくれている人にとっては、障害があったとしてもかけがえのない大事な存在なんだなと思った。

 障害者は確かに他の人とは違い大変なことや困ることはあるけれど、一人の人間なのだ。差別や偏見で「いらない」と決めつける権利は誰にもない。普通ではないからといって命を奪ってはいけないと思った。障害があっても健康な人と共に過ごせるような社会をこれからも築き上げることができればいいと思う。

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編集局長賞

人手不足と対策に向き合う

宮城県小牛田農林高1年 伊藤優衣(いとう・ゆい)さん

 現在、介護職の現場は人手不足により大変苦しい状況に置かれている。年々、介護サービスを利用する人の割合が増加していく一方、現役世代の人手が足りなくなってしまっているのが原因と考えられているそうだ。

 私の母は介護福祉士で、仕事から帰るとよく「介護の現場は人が足りないから大変だわ」とつぶやく。特に心配なのは、人手不足により利用者さんへのケアが行き届かず、目を離したすきに思わぬ事故が起きてしまう可能性があるということだ。利用者さん一人一人に安全で適切なケアをするように努めているが、それでも1人で多くの人をケアするので、その可能性から免れることができないそうだ。介護職の人手不足の深刻さを強く感じた。

 近年は安定した生活と医療の発展のため、私も長く生きることになるかもしれない。いつか私も介護サービスを受けることになるかもしれない。もしかしたら、私が介護サービスを受ける年齢のときには、サービスの需要と供給が追い付かなくなり、受けたいときに受けられなくなってしまうかもしれない。そう考えると、この問題は人ごとで受け止めてはいけないのだと感じた。

 私と母は、人手不足の解決策を考えた。二つの提案がある。一つは「給料を上げること」だ。今の介護は内容と給料が見合わない、精神的にも肉体的にもつらい仕事だ。二つ目は「人工知能(AI)ロボットを導入すること」だ。ロボットに最低限できることを任せるだけで、仕事の効率が上がりつらい仕事が楽になる。

 将来、私たちが利用する可能性が高い介護サービス。現時点で深刻な問題となっているが、みんなが人ごとと受け止めず、しっかりと向き合い考えることで解決できるかもしれない。

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防災・教育室長賞

最後の世代としてできること

宮城県古川黎明中2年 小向萌生 (こむかい・めい)さん

 「あの日から、今日で13年です」

 テレビからそんな言葉が聞こえてきて、私は画面に目を向けた。13と言えば、私は1カ月ほど前に13歳になったばかりである。思わず反応してしまったが、テレビに映っていたのは、津波に車や建物がのまれている様子だった。この日は3月11日。東日本大震災から13年たった日だ。

 震災当時、まだ私は生まれて1カ月ほどしかたっていなかった。もちろんその日の記憶はないが、母親によれば、地震が起きたとき、私を抱えてとっさに外に逃げたそうだ。それほど大きな地震だったのだと、ひどく驚いたのと同時に、私は通っていた小学校の光景を思い出した。

 校庭には花壇があったが、その回りを囲っているブロックのような物の中に、大きなひびが入っている物がいくつかあった。当時は何とも思っていなかったのだが、あれは東日本大震災の地震でできたひびなのだと気付いた。たとえ覚えていなくても、地震が起きたときの光景を想像して、とても恐ろしく感じ、地震の脅威を感じ取った。

 今「震災を知らない世代」の人が増えている。まだ赤ちゃんだったといえ、私たちが震災を経験した1番若い世代だ。いずれ私たちも大人になり、年を重ね、震災を経験した世代がいなくなってしまうときが来る。そうなったとしても、「東日本大震災」そのものが忘れられないように、最後の世代として私たちには何ができるだろうか。

 子どもである私たちに今できることは限られる。だが、まずは私たち自身が震災を知ることが大切だと思う。知った後に1人でも多くの「震災を知らない世代」の人たちに伝えていく。今まで大人たちがしてくれたように、私たちがつないでいけばいいと思う。震災で犠牲になった人を決して忘れないように。そして、これからはもうあんな悲劇が起きないように。

 私たちは、伝え続けなければならない。

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優秀賞/佳作/優秀学校賞/学校賞 (敬称略)

優秀賞

岩渕さく弥

宮城県登米市米川小6年

優秀賞

佐藤環奈

宮城県登米市米川小6年

優秀賞

高橋さら

宮城県登米市米川小6年

優秀賞

大友実紗

宮城教育大付属小5年

優秀賞

永沼好将

石巻市大谷地小6年

優秀賞

千葉百香

石巻市大谷地小6年

優秀賞

佐々木玄翔

石巻市大谷地小5年

優秀賞

高橋遼真

石巻市大谷地小5年

優秀賞

菊池優樹

石巻市大谷地小5年

優秀賞

阿部花佳

石巻市大谷地小5年

優秀賞

本郷伶奈

仙台市郡山中1年

優秀賞

清水あゆ美

宮城県仙台二華中2年

優秀賞

島田芽依

宮城学院中3年

優秀賞

青木結愛

宮城学院中2年

優秀賞

阿部わか奈

宮城学院中2年

優秀賞

千葉央楽

岩手大教育学部付属中1年

優秀賞

崎野寛太

宮城県古川黎明中2年

優秀賞

伊藤結

宮城県古川黎明中3年

優秀賞

堀内楓

宮城県古川黎明中3年

優秀賞

平田結香

青森市西中1年

優秀賞

前川里桜

尚絅学院高(宮城)3年

優秀賞

佐藤柊華

宮城県名取高1年

優秀賞

佐々木萌百

宮城県名取高1年

優秀賞

丹野蒼斗

宮城県小牛田農林高1年

優秀賞

石森遥

宮城県小牛田農林高3年

優秀賞

佐藤ゆりか

宮城県小牛田農林高3年

優秀賞

小畑美咲

宮城県泉高2年

優秀賞

佐藤静香

宮城県泉高2年

優秀賞

三浦奈々

宮城県泉高2年

優秀賞

川畑柚季

宮城県泉高2年

佳作

阿部はな

石巻市大谷地小6年

佳作

白谷明日奏

郡山中3年

佳作

三田里桜

岩手大教育学部付属中2年

佳作

津田夏希

宮城県古川黎明高3年

優秀学校賞

石巻市大谷地小

優秀学校賞

宮城学院中

優秀学校賞

宮城県泉高

学校賞

宮城県登米市米川小

学校賞

宮城県石巻市稲井中

学校賞

青森市西中

学校賞

宮城県南三陸町志津川中

学校賞

宮城県古川黎明中

学校賞

宮城県名取高

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講評

自分に何ができるのか

審査委員長 河北新報社論説委員長 鈴木 裕

 綿矢りささん著『パッキパキ北京』の主人公、菖蒲( あやめ )はこう言っています。「鬼も死神(しにがみ)も今は地獄や霊界から引っ越してきて、人間界で鼻歌うたいながら、スマホをいじっている」と。

 綿矢さんらしく今の時代を言い当てた表現に思わず「うまい」と膝を打つと同時に、その現実社会に危機感ばかり募っていました。

 コンクール作文を読んで、若い人たちが身の回りのことや地域のこと、日本のこと、世界のこと、そして何よりも人のことを真剣に考え、原稿用紙に向き合っている姿を思い浮かべました。希望という処方箋をもらったような気分です。

 河北新報社賞の内藤倫円さんは、好物マクワウリを通して伝統野菜の魅力と現状、課題を考えました。着眼点に優れているだけでなく、農家の祖母と一緒に育てた行動が作品に説得力を与えています。

 論説委員長賞(小中高)はいずれも、感性のみずみずしさが光りました。3作品に共通しているのは、平和を目指す社会の一員として、自分に何ができるのか考えようという姿勢です。 興味のあること、家族や周りの人との関わり、メディアを通して見知った話題も、突き詰めて考えれば考えるほど、普遍的な問題へと広がります。編集局長賞(小中高)はどれも、順序を踏んで論理的に考えることができた作品でした。

 「震災を体験した一番若い世代」の役割について説いた防災・教育室長賞には頼もしさを感じました。

 30回の節目を迎えた今年のコンクールには、東北6県から過去最多の2140作品が寄せられました。審査を通して若い感性に触れられたことに感謝します。

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