震災からの歩み
2011年3月11日 宮城県南三陸町
2011年3月11日に発生した東日本大震災と東京電力福島第1原発事故は、岩手、宮城、福島の3県で2万人近い人が犠牲になる戦後最大の被害を東北にもたらしました。河北新報社も社員が家族を失ったり支局が流されたり、大きな痛手を負いました。本社も新聞制作に必要な機器が倒れて自社での新聞制作ができなくなりましたが、新聞発行を途絶えさせてはならないと新潟日報社の制作システムを借りて新聞を制作。当日夜には号外を出し、翌日も読者に新聞を届けました。
【取材】 記者たちは発災直後から被災地に出向き、被害状況を伝え続けました。テレビもインターネットも通じない中、新聞は人々の貴重な情報源となりました。震災直後の混乱を過ぎてからは被災者の生活再建や市街地、産業再生をめぐる課題など被災地の状況をつぶさに報じ、問題提起を続けています。ハードの問題にとどまらず、被災者に寄り添いその思いや復興への歩みをたどっています。
【大川小事故取材】 児童と教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小事故を巡っては、児童遺族は「安全なはずの学校でなぜ子どもたちの命を救えなかったのか」と問い続けてきました。再び同じ悲劇を繰り返されないよう、河北新報社は関係者の証言を集めて事故原因を究明する企画「止まった刻(とき) 検証・大川小事故」を18年1~6月に49回にわたり連載。「今後の学校防災の指針になる」と高く評価され、18年度新聞協会賞(編集部門)を受賞しました。
【二つの風と戦う】 震災から間もなく12年となり、関連報道は減っています。しかし、被災地の地元紙である河北新報は、震災が忘れ去られる「風化」と、東京電力福島第1原発事故の影響で今も福島県や東北に向けられるいわれのない「風評」、この「二つの風」と戦い続けていきます。
【ツール・ド・東北】 震災復興を支援し、震災の記憶を全国の人々に伝えようと、2013年からインターネット大手のヤフーと自転車で被災地を回るイベント「ツール・ド・東北」を開催しています。ライダーが石巻市を中心とした三陸沿岸を駆け抜けます。
【女川ポスター展】 震災の風化防止に向け2012年から企業と市民による被災地支援活動「今できることプロジェクト」を行っています。15年には全国の若手クリエイターが女川町の被災企業や商店のPRポスターを制作し、女川の魅力をアピールする「女川ポスター展」を開催。42の被災企業・商店のユニークなポスターが町を彩り、多くの観光客が女川に足を運びました。事業主たちにも大きな励みとなりました。
【いのちと地域を守る 震災伝承・防災啓発プロジェクト】 震災で多くの犠牲を防げなかった反省に立ち、「いのちと地域を守る」の誓いの下で住民参加型の巡回ワークショップ「むすび塾」や次代の防災の担い手を育てる「震災伝承講座『伝える/備える』次世代塾」を開催しています。むすび塾は、被災体験を住民と語り合い踏み込んだ防災意識の啓発を目指しています。「質の高い社会貢献事業で新聞の信頼向上に大きく寄与した」として18年度新聞協会賞(経営・業務部門)に選ばれました。