河北新報特集紙面2021

2022年3月31日 河北新報掲載 
復興の現場に立った中学生記者が伝え継いでいくために。



今できることプロジェクト

尚絅学院中学校

今できることプロジェクト
天野 友里恵さん (2年)
 震災当時は3歳でしたが、地震の揺れの衝撃や不安な気持ちを今でもはっきりと覚えています。その後、大きく揺れるものを見ると恐怖を感じてしまうようになりました。震災で辛い思いをし、今も心に傷を抱えている人が少なからずいると思います。でも、今回の取材を通して、女川の方々が復興に向けてさまざまな活動をしていることを知りました。明るい未来を築いていこうとする姿に、元気をもらえた気がします。震災からまもなく11年。震災を知らない子どもたちが増えています。その子たちが大切なものや命を失うことの無いよう、震災の教訓を伝えていきたいです。
今できることプロジェクト
伊勢 智大 さん(2年)
 女川については被災地、ということぐらいしか知りませんでした。初めはきれいな街並みやお話を聞いた方たちの生き生きとした表情が印象的で、本当に津波がこの街を襲ったのか信じられませんでした。でも、当時のままの真横に容赦なく倒された旧女川交番を見て、やっと津波の破壊力を理解できました。当時はまだ3歳。今まで震災の話を聞いても、「みんな大げさに話しているのだろう」と思い込んでいました。未来の命を守るために、東日本大震災を教訓としてほしいです。震災を知らないたくさんの人に、震災遺構を見て、津波の恐ろしさを感じてもらいたいです。
今できることプロジェクト
笠原 梨那 さん(2年)
 女川取材で印象的だったのは、女川の人たちの前向きな気持ちです。私が大切なものを失ってしまったら、絶望してしまうと思います。しかし、取材を通じて「何もなくなってしまったから生み出せばいい。作ればいい。ここからでも、前を向けばいい」という想いに触れることができました。また、町の皆さんは「大きな家族」のような存在だと言っていました。震災後、住民と行政が一体でまちづくりを進めたことからも、女川の人たちの前を向く姿勢や一体感を感じました。復興に向かって諦めずに歩んできた女川の皆さんの思いを、多くの人に感じてもらいたいです。
今できることプロジェクト
佐藤 叶那 さん(2年)
 私は、今回「今できることプロジェクト」に参加して、色々なことを学びました。震災遺構として残る旧女川交番では、杭がむき出しになっている様子を目の当たりにしました。映像などではなく、実際に見て初めて被害の大きさを実感できました。また、津波の脅威を後世に伝えるために建てられた「いのちの石碑」を見に行きました。震災当時、私と同世代だった中学生たちが1000万円もの資金を募金で集めたという話を聞いて、その行動力に驚きました。自分や他者の命を守ろうとする「行動力」は、これから1000年後の未来に伝えていくべきことだと思いました。
今できることプロジェクト
佐藤 ひかり さん(2年)
 私は、女川の方たちが、被災して大変な状況でも、町のことを考えて前向きに行動していたことが印象に残りました。1000年先の人の命を守るために建てたいのちの石碑や、街を明るく彩るためのスペインタイル、海の見える街をつくり上げたことなど、女川で暮らす人々を思って生みだされたものがたくさんあります。この紙面を通じて、一人でも多くの人に震災で起こったことを伝えていきたいです。そして、今ある命を大切にして,もしまた災害が起きても、今回の震災の経験やお話を聞いたことが生かせるよう、さらに学びを深めていきたいです。
今できることプロジェクト
鳥飼 日和 さん(2年)
 私はドライブ好きの父に連れられて、女川をはじめ被災地を何度か訪れたことがあります。被災した建物や被害状況の説明を見て、家の再建は大変だろうとか、自分が被災したら何もできないだろうな、と思っていました。ですが今回取材した方々の話を聞くと、一人一人が女川のためにできることは何かを考え、行動していたことが分かり、その行動力に心を打たれました。いつまた大きな地震が来るかは分かりません。もし被災しても、お話を聞いた女川の皆さんのように、自分ができることを探して、復興に向かって行動できるような人になりたいと思いました。
今できることプロジェクト
藤枝 慎之輔 さん(2年)
 私は、東日本大震災の時は2歳でした。地震が起きたときはお昼寝中で、何も覚えていません。ですが、家族と震災遺構の大川小学校を訪れたり、防潮堤を見に行ったりするなど、震災について学ぶ機会はありました。今回の視察で女川の方々からお話を聞き、震災の怖さや復興への思いを改めて知りました。家族で被災地を訪れた際は分からなかった、被災者の思いや復興の経緯を知ることができたと思います。後日また女川を訪れましたが、視察前後で女川の街を見る目が変わったような気がします。視察を通して、震災の経験をこれから伝えていきたいと思いました。
今できることプロジェクト
柳沼 和奏 さん(2年)
 私はいのちの石碑実行委員会の活動を聞いて、行動することの大切さを感じました。実行委の鈴木智博さんは震災当時、自分とほぼ同じ年でした。未来の命を守るため、同級生たちと女川町の全21行政区に石碑を建てようと立ち上がりました。建設費用1000万円は修学旅行先でも募金活動を続け、集めたそうです。自分が鈴木さんの立場だったら、震災が起きた現実を受け止められず、誰かのために行動することなどできなかったと思います。未来の命を守るために行動した鈴木さんたちの活動やいのちの石碑について、多くの人に伝えていくべきだと思いました。
今できることプロジェクト
渡邊 みいな さん(2年)
 女川を訪れた第一印象は「きれいな町」でした。どのお店を見ても震災の被害などなかったようでした。ですが、旧女川交番の建物が横倒しになった、当時のままの杭や割れた窓に、思わず息をのみました。東京に住んでいた震災当時の記憶は曖昧ですが、宮城の沿岸部に住む祖父母が心配だったことは覚えています。祖父母は避難先の高台から津波が街を襲う様子を見て、とても悲しんでいたそうです。新しくてきれいに見える女川の街も、祖父母のようにつらい思いをした人たちが立ち上がってできた歴史があります。視察を通じて被災地の復興の歩みを知ることができました。

2022年3月30日現在