2017年3月30日 河北新報掲載 仙台防災未来フォーラム2017・テーマセッション 次世代が語る/次世代と語る−311震災伝承と防災−
将来の防災推進のために何ができるのかを考え、東北・仙台の地から広く発信する機会として3月12日、
仙台国際センター展示棟で開催された「仙台防災未来フォーラム2017」。
多くの出展者などが集まる中、メーンゲストにフォトジャーナリスト・安田菜津紀さんを迎え、
次世代を担う若者たちと記憶の風化を考え、
教訓伝承の大切さと防災啓発の重みを共有するトークイベントを行いました
(主催/河北新報社 特別協賛/日本損害保険協会)。
震災伝承の通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」の4月開講を前に、
次世代育成の可能性に期待が高まりました。
講演
ファインダー越しに見つめた東北
変化していく被災地で今、選択すべき未来とは。
先日3月11日を迎えて、東日本大震災から6年という月日が経ちました。震災当日、私はフィリピンに渡っていて、日本の情報があまり入ってこない状況にいらだっていました。 また、2011年は私が結婚した年でもあり、岩手県陸前高田市に住んでいた義理の父母の安否が気になっていた中、電話で伝え聞いた〝壊滅〟という言葉に胸が騒いだのを記憶しています。
写真を撮った状況を説明しながら講演する安田さん
安田さんの話に聞き入る参加者のみなさん
ようやく帰国して陸前高田市に向かいましたが、義理の母は行方不明。義理の父は無事でしたが、勤め先の岩手県立高田病院をはじめ、町中が甚大な被害を受けていました。
そんな悲嘆に満ちた周囲の空気と、「私は被災地の人間ではない」という後ろめたさ、「私は後からまぜてもらった家族」という立場から、なかなかカメラを構える気持ちになれなかったのですが、最初に撮影したのが高田松原の7万本から唯一波に耐え抜いた「奇跡の一本松」です。
私は、震災に負けない〝希望〟をこの一本松から感じましたが、その写真を義理の父に見せると、「なぜ、こんな海のそばまで近づいたんだ!」と怒鳴られてハッとしました。私は、フォトジャーナリストとして誰のための希望を捉えたかったのか。
この出来事は、被災者の声にもっと寄り添って耳を傾けなければ、と思う契機になりました。
震災の年の4月、気仙小学校で行われた小・中学校の合同入学式で、記念写真を撮影するお手伝いをしました。その時出合った2人の新入生たちにレンズを向けながら、復興とともに変化していく6年の経過を肌身に感じています。
イカ釣り漁船にも同乗させてもらい、陸前高田市の根岬(ねさき)漁港の漁師一家が、震災後、海とどのように向き合って生きているかも、身近な場所から撮影させてもらっています。
仮設住宅で出合った小学1年生の女の子には、守られる側から守る側に成長していく過程を目の当たりにして驚かされています。
当時、自らの判断で避難所へ向かわなければいけなかった経験をした彼女からは、有事の際、1人の大人としてどのように行動すべきかを、強く問われている気がしています。
これから東北で、安心して暮らせる10年先、15年先のために自分たちに何ができるか。今すべき決断の多くが、未来の安全につながっていくでしょう。今後は、震災の悲しみを繰り返さないためのまちづくりが要になっていきます。
若い世代がどんな選択をしていくか、どんな未来を望むのか。私も、一緒に考えていきたいと思っています。
フォトジャーナリスト 安田菜津紀さん
1987年神奈川県生まれ。studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。 現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。 2012年、「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。13〜14年には、全国各地の中学生らと一緒に東北の被災地を巡り、見たこと、 感じたことを地元新聞3紙(河北新報、岩手日報、福島民報)で報告する「復興中学生企画 被災地を見たよ!」にも携わった。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、 著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。上智大学卒。現在。J-WAVE『JAM THE WORLD』水曜日ナビゲーター、TBSテレビ『サンデーモーニング』コメンテーター。
企業・団体からのプレゼンテーション
学びの世代に防災の未来を託して。
講演に先立ち、2団体によるプレゼンテーションが行われました。最初に、尚絅学院大学の学生ボランティアチームTASKI(たすき)の活動を報告。
震災以降、“つなげる”“つづける”“つたえる”の3つの“つ”を大切にして「寄り添いの活動」を展開してきた壇上の2名は、大学生の視点から見えてきたこと、感じたこと、未来へ残すべきものは何かを率直な言葉で会場に投げかけました。
「学生の限られた時間の中で、これまで得られた教訓をいかに伝え、つないでいくかが大切だと考えています」という発言に、たくさんの参加者から賛同の拍手を送られていました。
続いて、河北新報社防災・教育室の大泉大介が、「311『伝える/備える』次世代塾」の概要や開講の意義を発表。学都仙台としての土壌を生かしながら、震災当事者の肉声をベースに学ぶ15回連続の講義予定を説明しました。
また、次世代塾では、震災を総括的に学ぶことができ、受講生同士のネットワークを広げることによって、相互の理解を深めることも狙いであると紹介。「次世代の継承者たちを育てることで、悲劇を繰り返さない未来を目指します。
震災の教訓を伝える人の和を生み出す一助となれば幸いです」と締めくくりました。
次世代塾について詳細を語る河北新報社・大泉大介
地域に根ざした活動を伝える尚絅学院大学の学生たち
311「伝える/備える」次世代塾に関するお問い合わせ
河北新報社防災・教育室 TEL022-211-1591
詳しくはこちらから https://www.facebook.com/311jisedai
トークセッション
災害伝承の重み〜次世代が担うべきもの
——皆さんには、それぞれの視点から考える災害伝承について語っていただこうと思います。まずは、安田さんの講演を聞いて感じたことを教えてください。
- 吉田さん 宮城野区南蒲生地区でまちづくりに関わっていますが、安田さんも感じた〝誰のための希望〟なのか、私も悩む時があります。地域の方の中には亡くなった人もおり、複雑な状況を踏まえて活動していることもその理由です。安田さんは、フォトジャーナリストとしての仕事をする上で、どんな葛藤を感じていますか。
- 安田さん 私が選んだ写真という手段は、残念ながら直接的に人の命を救う術にはならないんですね。ですから、長くシャッター切れなかった時期がありました。震災から1、2年ほど経った時、地元漁師の方に「どうしてもシャッターが切れなかった」と話したら、「あの時こそ撮っておいて欲しかった」と言われました。被災した当事者であっても、その記憶は曖昧になっていくから、次の世代が災害時に生き残るためのヒントとして、記録しておくべきであると。被災した方々の事を思うとたくさんの摩擦が起きることを考えてしまうのですが、未来の大切な人へ手紙を綴る気持ちで、記録や伝承を後の世に残していくことが重要だと、今ではそう思っています。
- 志野さん 私自身も、これから震災についてもっと多くの人に伝えていかなければと感じています。その恐ろしさとともに、復興の歩みも記録として残していければ、地域の宝物になるのではないでしょうか。
- 安田さん 語り部として活動しているほのかさん自身が、まさに地域の宝ですね。
- 佐々木さん 震災の記憶と記録を伝えていく上で、私たち若者に望むことは何ですか。
- 安田さん 佐々木さん自身がもう実践していることだと思いますが、震災を経験した人たちが得た防災の知恵を、地域や世代の垣根を超えて多くの人に手渡しする活動を、これからも続けていって欲しいと願っています。
パネリストとして参加してくださった吉田さん、志野さん、佐々木さん(左から)
3人のパネリストたちの活動に言及しながら対話する安田さん
——「伝える」、というよりも「手渡す」という感覚。震災の教訓を、言葉と行動によって受け継いでいくという姿勢に大変感銘を受けました。安田さんの講演の中で、「後ろめたさ」や「後からまぜてもらった家族」という発言がありましが、 体験をした者だけが語り継ぐだけでなく、同じ感覚を共有して広める人を作っていかなければと感じました。被災の体験を持たない人が伝える活動に取り組む上で、どんなマインドが必要ですか。
- 佐々木さん 震災直後は、「どうして、父を含む先生たちは命を守れなかったのか」「なぜ大川小の子どもたちが犠牲になったのか」というストレートな言葉を浴びることが多々ありました。それは、私にとって負い目や後ろめたさになって重くのしかかりました。しかし、時間が経つにつれ、私はたまたま東北に生まれて被災しただけなんだと思うようになり、被災者と経験の無い人との垣根を作らず、世代や境遇を超えて伝える活動を行うことが重要だと考えるようになりました。
- 吉田さん 南蒲生地区での被災状況を知りたいという来訪者には、被災者に辛い経験を聞かなければいけないという後ろめたさを、いかに感じさせないかに専念しています。そして、震災の経験だけを伝えるのではなく地域の良いところも知ってもらい、それを楽しみに次は来てもらえるような取り組みを行っています。
- 志野さん 語り部活動を一緒に取り組んでいる同級生の中には、最初、自分は被災していないから、何も話すことはないと思っていた人もいました。でも、今では震災前の美しい野蒜の風景や楽しい思い出などを語ってもらっていて、震災の記憶と一緒にみんなで共有して伝えようと活動しています。
- 安田さん カメラマンだから撮ってもいい、ジャーナリストだから踏み込んでもいいと、自分の中にある後ろめたさから逃げてしまうと、人の心を傷つけるような伝え方にしかならないんです。後ろめたさを持った宙ぶらりんの状態はとても苦しいのですが、地域の心に寄り添う震災伝承が大切だと考えています。
——吉田さんのお話で、地域の魅力も伝えることが震災の伝承に必要だとありましたが。
- 安田さん 陸前高田市へ初めて訪れ、牡蠣の大きさに驚いていた私を、地元の方々は不思議そうに見ていたことを思い出しました。外から来た人間だからこそ、気づくことがたくさんあると思います。当たり前に思っていることが実は伝承に大切な要素である、それを気づき合える交流が生まれればと思います。
- 吉田さん 地域の将来像を考える時、震災の悲しい記憶だけではいけないと思う気持ちがあります。まちづくりが進んでいく上で、住んで楽しいという思いを手渡せるようにしていきたいと思い、まち歩きのマップの制作なども進めています。
- 佐々木さん 昨年の秋から、南三陸町観光協会公式ウェブサイトで、ブログの学生ライターとして執筆しています。この活動では、自分自身が地域の見直しをしながら、観光などの改善点も考える良い機会にもなっています。
- 安田さん 学生と一緒に東北を巡るスタディーツアーでは私自身、学ぶことがたくさんあり、広島県から参加した学生の「被災地に来たからには、2度目の苦しみを作ってはいけない」という決意にふれました。自分たちそれぞれができることを確実に積み上げていけば、それはより多くの人に伝わり、望むべき未来につながっていく。このトークセッションに参加して皆さんとお話ししたことも含め、そんな強い確信を得られています。
パネリスト
- 石巻西高校3年生 志野ほのかさん
- 東松島市野蒜小6年生の時に被災し、自宅と同居の祖父を失う。高校で防災について学ぶ中で使命感を強め、2015年に語り部活動を開始。「災害から一人でも多くの命を救う」を胸に刻む。4月から東北福祉大学に通う。
- 宮城教育大学3年生 佐々木奏太さん
- 宮城県南三陸町生まれ。震災時は志津川中3年生。高台の自宅は被災を免れたが、児童・教職員84人が犠牲となった石巻市大川小で教員をしていた父親を失う。父親が救えなかった命の重さをかみしめつつ、大川小の案内などを務める。
- 東北大学大学院経済学研究科修士1年 吉田祐也さん
- 仙台市出身、尚絅学院職員。2010年から5年間、NPO職員として市民活動・まちづくり支援業務に従事。現在は仕事の傍ら、津波被害を受けた地元の宮城野区沿岸部を中心に、震災伝承活動とコミュニティー研究を行っている。
コーディネーター
河北新報社 防災・教育室長 武田真一